これは友達から聞いた話なんだけどね?
うめもも さくら
彼氏と家探し
これは友達から聞いた話なんだけどね?
N子という女性には、結婚までほぼ秒読み状態の彼氏がいた。
ある日、彼女は恋人とともに、一つの物件を内見しに訪れた。
N子は彼氏と話し合った結果、結婚を前提に、同棲を始めようということになったからだ。
その場所は、家賃、利便、職場までの距離やお互いがどうしても外せない条件などを考慮した上で不動産屋から勧められた物件だった。
「セキュリティもしっかりしてそうだし、近くにコンビニもスーパーもあるし、見た目もいい感じだよね?これで内装もよかったら完璧じゃない?」
はしゃぐN子に彼氏も大きく頷いて同意する。
「そしたらさ、誰かに
彼氏の言葉に嬉しそうに首を縦に振ったN子だったが不意に顔を少し曇らせて、彼氏を見やる。
「でも……私の都合ばかりに合わせちゃってない?ここ、私の職場からは近いけど……」
そう、この物件は基本的にN子に合わせた場所だった。
もちろん、彼氏の要望にも多少は、そってはいるが、ここは彼の勤めている職場からは少し遠い。
また、今、彼が住んでいる家や彼の実家からも遠く、馴れ親しんだ土地でないことは間違いない。
そのことにN子が不安そうな目で彼氏を見るが、当の本人はさも何事もないかのように首を横に振ってN子に笑って言った。
「そんなこと気にすることないよ。俺は、君が職場から離れて帰ってくることの方が嫌だし。ほら、いくらセキュリティがしっかりしてても、やっぱり夜道とかは危ないだろうし……俺はこの辺のことあんまり知らないけど、俺は仕事が忙しいし、これからご近所さんとかと関わるのはどうしても君の方が多くなってしまうだろうから……君に合わせるよ」
微笑んだ彼氏の、“君に合わせるよ”という言葉がその時のN子にはとても優しいものに聞こえた。
不動産屋の案内で家の中に入り、二人は内装や間取り、収納スペースなどを確認していく。
さらに詳しい説明を不動産屋から受けている彼氏をN子は少し離れた所から何気なくみつめていた。
そして頼れる彼氏の姿は、自分には勿体ないものように思えて、N子から思わず笑みがこぼれる。
彼女は自身に与えられた幸せに浮かれていた。
そしてその心地のまま、まるで探検でもするかのように、もう一度、家の中を見て回ってみる。
キッチン、リビング、ここは寝室にして、この廊下には花でも飾ってみようかな?なんていろいろ楽しい想像を膨らませながら、廊下の先にある収納スペースの扉を開いた。
その瞬間、彼女は絶望の底に突き落とされた。
N子は目の前に広がる光景にまばたき一つもすることが出来ず、ただ見開いたままその目に鮮明に焼き付けていく。
彼女の喉は、引きつり張り付いて、呼吸もままならない。
声を出したくもないのに、こんな時に限って、うまく肺に入ってくれない酸素のせいで、自然と息遣いは荒いものになる。
今すぐにでもこの場から逃げ出したい彼女。
何かから遠ざかろうとするかのように身を捩る。
けれど、恐怖に蝕まれた身体は彼女の言う事を聞いてはくれない。
まるで投げられたボールが顔面にぶつかる瞬間のように、やっと固く瞑られたN子の瞳。
どのくらいのあいだ、そうしていたのだろう。
N子が恐る恐る目を開いた時には、もう彼女の手で開いた収納スペースが広がっているだけだった。
「N子ぉ?もう、ここに決めちゃっていいよね?契約するから、こっちに来……」
「私、帰るっ!!」
「えっ!?なに?どうしたの突然?この場所に決めようって君も言ってたじゃないか……不動産屋も今決めないと他に奪られちゃうって……」
突然、自身の荷物を抱えて玄関に向かうN子に、理由がわからぬままの彼氏は言い募る。
その言葉のどれにも答えることなく。靴を履いて出ていこうとするN子の態度に苛立ったように男は彼女の手を掴む。
「おい、ちょっと!!待てよ!!一体何が……」
「あなた一体何をしたのよ?」
「え……?」
突然振り返ったN子は、憤る男に向かってそう言い放ち呆然とさせた。
そして彼女はもう一度、彼氏だった男に言い放ってからその場を後にした。
「あなた……一体、私に何をするつもりだったの?私に何をさせるつもりだったのよ!!」
不動産屋が、穏やかではない声に驚いて玄関に向かうと、そこには男が一人、腰でも抜かしたようにへたり込んでいるだけだったそうだ。
その後、もちろんN子は彼氏とは別れて、その物件にも近づくことはなかったらしい。
そして彼女は、いくら尋ねてみても最後まで、その物件で何を見たのか教えてくれなかったそうだ。
けれど彼女はこの話をする度に、こう言うんだそうだ。
「あの物件には感謝してる。あそこにいかなければ私はあの男と結婚して不幸になってただろうから」
そして、彼女はきまって顔に影を落として、少し体を震わせてこう続ける。
「だけど、今でも不意に、あの光景が目に焼き付いて離れなくなる。あの凄惨な光景が……でもこうも思うの。あの時、あの収納スペースから伸びてきたあの血に塗れた手を掴んでいたら私、どうなっていたんだろう?」
ってね。
あれ、怖かった?
ははは、怯えなくても大丈夫だよ。
これは、友達から聞いた話だからね。
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