ねずみのひっこし

etc

第1話

 ある農家の物置には、小さなねずみの大家族が暮らしていました。

 ねずみのお母ちゃんは、生まれて間もない三匹の子ねずみたちに、昔話をしてあげるのが大好きでした。


 ある日の夜、お母ちゃんねずみは子どもたちを寝かしつけながら、昔々の話を始めました。


「このお家は私のお爺さんの、お爺さんの、そのまたお爺さんが見つけたお家なのよ」


 三匹の子ねずみたちは天井や壁をぐるりと見回します。

 トタンの天井にトンテンチンとしずくが跳ねて楽しい音色を鳴らしました。

 細い板を張り合わせた壁の隙間からは、解け始めた雪が月明かりでぼうっと白んでいます。


「雨風が防げるし、食べ物もたくさんあるわね。でもね、昔の話によると、人間の子供がいたずらをして困ったこともあったのよ」


 お母ちゃんねずみは優しい声で語りかけます。

 おかげで子ねずみたちは怖くありませんでした。

 子どもたちが眠りについた頃、ねずみのお父ちゃんが帰ってきました。


「おかえりなさい。あらま、ヒゲをびくびくとふるわして、どうしたんだい?」


 いつになく緊張した様子のお父ちゃんねずみは、そーっと抜き足差し足忍び足でお母ちゃんねずみに近づきました。

 お母ちゃんねずみの丸くて大きな耳に小さな声でささやきます。


「人の家の方で猫を飼い始めたみたいだ」


 物置の向かいにある家には人間が住んでいます。

 その方へ目をやると、どこからともなく、


「にゃーん」


 という鳴き声が聞こえてきました。

 猫はねずみの天敵です。

 お父ちゃんねずみは「どうしようどうしよう」とその場でくるくる回り始めました。


 とても困り果てて、何をすれば良いか分からない様子でした。

 お母ちゃんねずみは、心配そうなお父ちゃんねずみを見て、覚悟を決めました。


「アンタ! しゃんとしなさい!」


「そ、そう言われてもだねぇ」


「もしかしたら、引っ越しを考えなくちゃいけないかもしれないわ」


 お父ちゃんねずみは、ハッとしてうんうん、と何度も首を縦に振りました。

 それからお母ちゃんねずみの手を握って真剣な目をしました。

 くりくりとしたねずみのかわいい目ですが、少しだけキリリとしています。


「家を探しに行ってくる」


 慌ただしく外へと出ていきました。

 まだ冬だというのに引っ越しとは大変です。

 三匹の子ねずみたちが「お母ちゃんどうしたの?」と起き出してきました。


「ごめんなさい。起こしてしまったわね」


 お母ちゃんねずみは三匹をテーブルに集めました。

 ほとんど使っていないガムテームを寝かせただけの丸いテーブルです。

 椅子が4脚も余っていますが、お父ちゃんねずみと上の三人兄弟が外で暮らしているからです。


「明日になったらお父ちゃんとお母ちゃんは少しだけお出かけするわ。子どもたちには留守番をしていてほしいの」


 新しい家が見つかっても引っ越し先の内見をしなくてはなりません。

 三匹の子どもたちはそれぞれ返事をします。


「はぁーい」

「ね、ね、どこ行くの?」

「るすばんってたべられる?」


 手をあげて行儀の良い子、前のめりで質問する子、親指を舐めてぼんやりした子。

 どの子もお母ちゃんねずみには大切な子どもたちです。

 無事に留守番をしてほしくて真剣な目で見つめると、子どもたちは静かになって見つめ返しました。


「一つだけ約束してね。留守番をしている間、誰とも喧嘩しないでみんな仲良くすること。いい?」


「はぁーい!」

「うん、うん、わかった!」

「なかよくするのはできるかも?」


 お母ちゃんねずみは、家族が一緒にいる限り、どんな困難も乗り越えられると信じて、優しい微笑みを浮かべました。

 果たして、お父ちゃんねずみは新しい家を見つけてくることができるのでしょうか?



 ◆


 お母ちゃんねずみは、お父ちゃんねずみが見つけてきた家に招かれました。

 その家は、ひっくり返した木の箱で、川のほとりに建っていました。

 家の前では三男ねずみが手を振ります。


「やっほ、お母ちゃん。お父ちゃんに聞いたよ。猫が出たんだって?」


「そうなのよ。それより元気にしてたかい?」


「ああ。家を出てからいっぱい創作に専念できた。ほら、家の中を見てごらんよ」


 地面を少し掘った所に頭を入れて木箱の中に入ると、なんと壁じゅうに絵が描かれていました。

 三男ねずみは画家なのです。

 お母ちゃんねずみに絵の良し悪しは分かりませんでしたが、息子が楽しくやっているようで安心しました。


「いいよ、アートは孤高だからね。それじゃあ、景色なんかどうかな?」


 三男ねずみはあっけらかんとして、はしごへ案内します。

 カラフルなはしごを上ると、屋上に出ました。


「春は桜が見えて、夏は水が冷たくて気持ちいいよ」


 たしかに川べりにあるこの家は景色に飽きることは無いでしょう。

 しかし、後から付いてきたお父ちゃんねずみが「ぶぇっくしょい」とくしゃみをしました。

 川沿いにあるから冬は寒いようです。


「まだ下の子たちは小さいのよ」


「それなら藁をかぶればいいんじゃないかな。ちょっとセンスは無いけど」


 それならば寒くはなさそうです。

 お父ちゃんねずみは「うーむ」と唸ってお母ちゃんねずみへ目をやります。


「お母ちゃん、この家はどうだろうか?」


 お母ちゃんねずみは首を横に振りました。


「この家は、ちょっとだめみたいね」


 すると、その時、川の畔に大きな白鳥が飛んできました。

 白鳥が羽ばたくと、小さい体のねずみたちは屋上から吹き飛ばされてしまいます。

 茂みに落ちた三匹は目の前で木箱の家があっという間に踏みつけられるのを見ているしかありませんでした。


 三匹は驚きましたが、幸いにも誰もけがをすることはありませんでした。

 果たして、次にお父ちゃんねずみが見つけてくる家はどんなところなのでしょうか?





 お母ちゃんねずみは、再びお父ちゃんねずみが見つけてきた家に招かれました。

 その家は、使われていない車の中で、田畑の脇にありました。

 太っちょのねずみが車から重たそうに体を動かして出てきます。


「はぁ、はぁ、お母ちゃん久しぶりです。ね、猫が出たって本当なんですか?」


 びくびく、おどおどとしている様子から、次男ねずみだと分かりました。

 家を出てからいくらかふくよかになったようです。


「そうなのよ。それより太ったわね!」


 お母ちゃんねずみは快活に笑いました。

 よく肥えているのはねずみにとって幸せの証だからです。

 腹の贅肉をいじられながら次男ねずみは「へぇへぇ」と笑いました。


「さ、早く中へどうぞ。外は危ないですから」


 お父ちゃんねずみとお母ちゃんねずみは次男ねずみに導かれて、車のエンジンタンクから車内に入り込みました。

 シートが一つしかない車ですが、ねずみにとっては充分すぎるほどの広さです。


「夏から住んでいますが、けっこう快適なんですよ」


 ガラス窓が少し開いていて、ほどよく風が吹いています。

 三男ねずみの家と違って、周りは畑なので寒すぎるということはありません。


「雨風も防げますし、ガラス窓から外の様子がよく見えます。遠くの猫も見えると思うんです」


 ハンドル伝いで窓のへりまで行くと、たしかに遠くの景色まで見えました。

 鳥避けの風船が風できらきら光っています。

 天敵の心配はしなくて良さそうです。


「それに近くに畑や田んぼがありますからね。夏には美味しいスイカが食べられますし、秋にはたっぷりの米を味わうことが出来ました」


 次男ねずみは、ぽん、と腹太鼓を鳴らしました。

 これほど太ったのにも納得です。


「よく見て下さい。この車は実家にあったものとそっくりなので安心感もありますよ」


 お母ちゃんねずみは、そうだったかも、と頬に手を当てました。

 実家というのは農家の物置ですから、似たものがあってもおかしくはないです。

 傍らでお父ちゃんねずみが、そうだって、と補足します。


「お母ちゃん、この家はどうだろうか?」


 お母ちゃんねずみは首を横に振りました。


「この家は、ちょっとだめみたいね」


 その時、突然に人間がやってきました。

 老いぼれた人間は「そろそろ畑の仕事を始めっぺ」と言いながら、農機具車に乗り込んできます。

 ねずみたちは慌てて車から逃げ出しました。


 次男ねずみが家にしていた車はエンジンを掛けられて、どんどん遠ざかっていきました。

 どうやら春になったら使う農機具だったようです。


 お母ちゃんねずみとお父ちゃんねずみは安全な家を求めて、また新しい冒険に出ることになりました。

 果たして、次に見つけてくる家はどんなところなのでしょうか?



 ◆



 3番目の家もすぐに見つかり、お母ちゃんねずみは再び招かれました。

 その家は、発泡スチロールを繋ぎ合わせたもので、街中の排水路にありました。

 家の前で待っていたら、痩せぎすのねずみがやってきてジロリとお母ちゃんねずみを睨みました。


「……お母ちゃん」


 こんなぶっきらぼうな呼び方をするのは長男ねずみに間違いありません。

 一番最初に家を出てから一度も連絡をよこさなかった息子です。

 まさかこんな風になっているとは。


「ちょっと大丈夫? ちゃんと食べてるのかい?」


「うるさいな。死なねぇ程度に食べてるよ。で、猫が出たって?」


 ぼりぼりと頭をかくと、汚れた毛が落ちました。

 とても自堕落な暮らしをしていたようです。


「そうなのよ。それで新しい家を探していたんだけど」


「わかったわかった。弟たちの家がダメだったんだろ? ウチでいいぜ」


 指さしたそこは発泡スチロールを繋ぎ合わせたボロ家です。

 排水路は腐った水のような異臭もしますし、コバエもたくさん飛んでいます。

 衛生環境は最悪でした。


「あのな、住めば都って知ってるか? ここなら人間の残した食べ物もたっぷりある。水路は当然だけど猫も入ってこないし、街じゅうに繋がっているから、好きな場所まで安全に移動できるぜ」


 長男ねずみは、ほら、と良い匂いのするパンの切れ端を渡しました。

 怪しいと思いながらも一口かじると今までにないほど美味でした。

 ふと目が合ったお父ちゃんねずみも、それを一口かじって頬をゆるませています。


「それピザっていうんだ。あんな田舎には無い食べ物っしょ」


 彼はちょっと誇らしげでした。

 とても生活に苦労しているようでしたが、息子が満足そうならお母ちゃんねずみは安心です。


「発泡スチロールの家ならさ、増築だって簡単だ」


 たしかにその通りだ。

 お父ちゃんねずみはじっくり頷いてから、問いかけます。


「お母ちゃん、この家はどうだろうか?」


 お母ちゃんねずみは首を横に振りました。


「この家は、ちょっとだめみたいね」


 その時、体の大きなドブネズミがわらわらとやってきました。

 種類の違うねずみなので三匹が肩を寄せ合っても、ドブネズミ一匹の大きさには敵いません。

 目に傷のある怖い顔のドブネズミがガラガラ声で「おい」と長男ねずみに怒声を飛ばしました。


「兄ちゃん、あんた一人で住むならって俺らは目を瞑ってやったんだ。どういうことだ?」


 長男ねずみはビクッと体を震わして息を呑みました。

 石のように固まっていると、なんと、お父ちゃんねずみが前に出てきます。

 ひざをブルブルとさせていますが、何倍も体格差のあるドブネズミを見上げました。


「息子になにかするというのなら、僕が話を聞こうじゃないか!」


 目に傷のあるドブネズミはキョトンとした顔をして、取り巻きのネズミたちと顔を合わせました。

 そして、やれやれと肩をすくめます。


「親父さんか? こっちにもルールがあるんでね。もし家族でここに住むってんなら、一日一人につき1食分を払ってもらうぞ」


 つまり、一日一食を抜いて差し出せということです。

 そんなことできるはずありません。

 ねずみの家族は兄弟全員を合わせると8人の大家族だからです。


「そんなの払えるか」


 臆すること無くお父ちゃんねずみは言い返しました。

 ドブネズミは傷のある目を閉じて、「やれ」と号令を掛けると、取り巻きたちが発泡スチロールの家を破壊し始めました。

 それを止めることはさすがに出来ません。


 でも、お母ちゃんねずみはお父ちゃんねずみを見直して、バシンと背中を強く叩きました。

 咳き込みながら提案します。


「一度、家に戻ろう」


 果たして、ねずみの大家族は安心して住める家を見つけることができるのでしょうか?



 ◆



 しばらく家を空けていたお母ちゃんねずみとお父ちゃんねずみが家に戻ってくると、そこには驚くべき光景が広がっていました。

 なんと、家の中には猫がいるのです。


「きゃあ! 猫!」


 お父ちゃんねずみが情けなく叫んで腰を抜かしました。

 さすがのお母ちゃんねずみもこれには驚いて一歩も動けません。

 しかし、お母ちゃんねずみの心配は杞憂でした。


「おかえりー」

「わ、わ、兄ちゃんたちも帰ってきた!?」

「ねこってあったかいからいっぱいねむれる……」


 家で留守番をしていた子ねずみたちが猫の背中に乗っかっているではないですか。

 なんと猫と一緒に仲良くしていたのです。

 猫の方も腕を腹の方に畳み込んだ座り方のまま動きません。


「どうしてこんなことが?」


 お母ちゃんねずみは驚きながら聞きます。

 すると、三匹の子ねずみたちは顔を見合わせて笑い合いました。


「やくそく!」

「そう、そう、けんかしてないよ!」

「みんななかよく」


 たしかにそう約束しました。

 まさか天敵である猫とも仲良くするとは思わなかったのです。

 猫はお母ちゃんねずみと目線が合う高さに頭を下げました。


「はじめまして。お邪魔しております」


「これはご丁寧に」


「つい最近、ペットショップから人の家の方へ引っ越しをしたんです」


 そう言われると猫はこのあたりではとんと見かけない毛の長い猫でした。


「農家の娘さんが結婚して家を出て、淋しく思った夫婦がわたしを迎えたのです。なので、ご飯には満足しています。もちろんねずみを食べたりなんかしませんよ」


 その言葉を聞いてほっとしました。

 腰をぬかしていたお父ちゃんねずみも立ち上がって、「まいったなぁ」と頭をかきました。


「それにです。わたしが産まれた頃から、向かい側にはハムスター……、ねずみが住んでいたんですよ」


「へぇ、都会生まれは違うのねぇ」


 こうして、ねずみたちは引っ越しの心配はなくなり、家が無くなった上の子たちも一緒に住んで冬を越すことができました。

 家族全員が笑顔で暮らし、春になりました。

 おしまい。

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