KAC20242 タイトル:幽霊の内見 お題『住宅の内見』

マサムネ

幽霊の内見

「ご飯できたわよ」

「はーい」

 母親の声に、鏡の前で髪型を整えながら答える中学生の少女。

「いただきまーす」

 読んでいた新聞を片付けながら朝ごはんを食べ始める父親。

 絵にかいたようなありふれた日常の風景。


「はいはーい、こちらが紹介する物件になりまーす」

 一人の男の声が聞こえた。

 しかし、家族たちはそれに気が付いた様子はなく、それぞれの朝の準備を続けている。


「へー、一戸建てかー」

 男の声に続くのは女の声


「おーい、ソース取ってくれ」

「あー、はいはい、それくらい自分で取ってよ。はい」

「ありがと」

「もう、寝癖がなかなか直んない。いただきまーす」

 家族はやはり、女の声に気づいた様子はない。


 リビングと廊下を隔てる扉から、にょきっと半透明の上半身が現れた。

「こちらがリビングダイニングキッチンですー」

 スーツ姿の半透明の男。

 その少し下からは、半透明の女が現れた。

「あー、なるほどね。そこまで広くなくて、3、4人家族でぴったりって感じですね」


 ここの家族は霊感がないから、その二人に気が付くことはなかった。

 二人は幽霊である。

 男は、幽霊が取り憑く物件を紹介する『霊ブル』の社員。

 女は最近死んだばかりの浮遊霊だ。


 あわただしく朝食が片付いていく横で、幽霊二人の会話は続く。

「でも、まあ普通ですね」

「普通が一番ですよ。でもね~、この家、普通じゃないですよ?」

「と言いますと?」

 女の言葉に、男の幽霊が父親の横に移動した。


「何とこの方、浮気しているのです! そして実はこの奥さん、そのことにうすうす気づき始めています! どろどろとした展開になりそうでしょう? 嫉妬に恨み、取り憑くにはぴったりの物件です!!!」


 家のことじゃないんかい。と突っ込む人間はいない。


「えー、私、彼が結婚間際で浮気して、そのショックでやけ酒して急性アルコール中毒で死んだんですよ? 幽霊になってまでそんなのごめんです!」

「なんと! そういう恨みで幽霊になったんじゃないんですか?!」

「もう、人を何だと思っているんですか」

「悪霊候補の浮遊霊」

「ひどい、そんなんじゃないです! 私は心の平穏が欲しいんです! 静かに暮らしたいんです」


「そうですか……それでしたら……」

 女の訴えに、男はあっさりと気持ちを切り替えると、どこからともなく取り出したファイルをめくり、他の物件を探す。

「そうそう、二軒隣にあなたによさそうな物件がありましたよ」

「じゃあ、そっちに行ってみましょう」


「あ、ちょっと待ってくださいね」

 リビングを立ち去る前に、男は父親のポケットに入っていた髪留めを床に落とした。

 それは、この家にあったものではなく、逢瀬の時に浮気相手がこっそりポケットに入れておいたものである。

 まだ、夫婦ともにそれに気づいた様子はないが、いつ導火線に火が付くか分からない状況である。

「さあ行きましょう」

 男は楽しそうな様子で部屋を後にし、女は男の行動に首を傾げながらも後をついていった。



 — * — * — * —



「ノリちゃん、ここに置いておくね」

「……」

 部屋の扉の前に朝食を置くと、母親は階段を下りて行った。

 部屋の主である少女は、返事もせずにベッドで膝を抱えていた。


「こちらになりまーす」

 男は、声など相手に聞こえていないはずなのに、小声になりながら、部屋の中に入っていった。

 カーテンも明けられていない部屋は薄暗いままだった。

「こちらの少女は引きこもって不登校です。親とのコミュニケーションもうまくいっておらず、静かも静か」

 穏やかに過ごせるのか? と疑問に思わなくはないが―――


「………いいわね」


 女の目がきらめいた。

「私、ここにする!」

「え! いいんですか?」

 男は、紹介したものの断られると思っていたものだから驚きの声を上げた。

「この娘、私ほっとけない」

 女の胸に何か温かい感情が沸く。

「この娘を、私は救って上げたい」

 女は触ろうとしても透けてしまうことを気にせず、相手を抱きしめるようにして一言告げた。


「大丈夫だからね」


「え?」

 何か聞こえた気がして、少女が周囲を見回した。

 この部屋には間違いなく自分一人だ。

 でも、何か背中が温かい気がした。


 女も、不登校の時期があった。

 それを乗り越えて、就職して、彼氏が出来て、結婚間際まで行った。

 彼氏に対して恨みはあるが、そんなことはどうでもよかった。

 女には何となく思い描いていたことがあった。

 自分にもしも子供が出来たら、その子には自分と同じような苦しみは味合わせたくない。もしも、不登校になることがあったら、自分の経験からその子の支えになってあげたい。

 何となくそう思っていた。

 それもできずに自分の衝動的な行動で死んでしまったこと、それが未練だった。


 自分の行動に対する未練。


 だから、この目の前の少女を救って上げたい。

「幽霊に何ができるのか分かんないですけどね」

 それでも、自分の行動で、自分の未練を断ち切りたい。

「あなたは悪霊ではなく、守護霊候補だったんですね」

「守護霊?」

「ええ、私も今までにそう何人も経験はありません。物件の紹介したのは数知れませんが、大概は取り憑いた場所や人に害をなす悪霊がほとんどです。しかし、稀にいるんですよ。あなたのように人を守るために幽霊になった人が」

「そうなんだ」

 守護霊、その言葉を女は深く噛み締めた。

 大した人生を歩まずに、くだらない理由で死んでしまった自分にも、まだ人のためになるれる可能性がある。

「なんで幽霊になったのかよく分かんなかったですけど、幽霊も捨てたもんじゃないですね」

「ええ、私もいい物件を紹介できてよかったですし、光栄です」

 悪霊も、多くの場合やりたいことをやりつくせば成仏する

 守護霊も、守るべき対象が成長し、その必要がなくなれば成仏することになる。

「二人の今後に、幸あれです」

 男は、仏のごとき笑顔でほほ笑むと、その姿を消した。


「さてと……」

 女には、何をすればよいのか分からなかった。

 だが、ただただ、少女の横に居続けた。

 少女に気づかれることがなくとも、

 君は一人じゃないよと、

 その思いを胸に、居続けた。


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