カフェ・クラムジイ2~バンドネオンの響く部屋~

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バンドネオンの響く部屋

 三年間営業した「カフェ・クラムジイ」を閉店した曽我部冬樹は、備品や器具の整理を終えて店を引き払うと、生活と借金返済のため仕事を探した。

 最初に就職したのは、全国でチェーン展開しているカフェだった。しかし、冬樹は店のやり方が気に入らず、わずか数週間で辞めてしまった。マシンで機械的にコーヒーを淹れ、そこにミルクや抹茶や生クリームを次々と投入していくのは、コーヒーに人一倍深い造詣がある冬樹にとっては邪道にしか思えず、見ているだけでもストレスが溜まる一方だった。

 再び無職になった冬樹はハローワークに通い、業務を絞らず必死に仕事を探した。そして、応募に年齢制限がなく未経験者でも歓迎と謳っていた立川市の住宅販売会社に何とか滑り込むことができた。

 仕事は中古物件の販売を行う営業職だったが、基本給よりも契約した数に応じて給与が加算される歩合の割合が高く、稼ぐためには必死に成果を上げるしかなかった。

 冬樹は入社するや否や立川駅周辺のアパートやマンションがひしめく一帯を一日中歩き回り、物件の案内を飛び込みで行った。


「いかがでしょうか? 中古物件でよければご案内しますよ。夢の一戸建て。隣の部屋の方を気にすることなく、のびのびと暮らしてみたいと思いませんか?」

「いえ、結構です。中古の一戸建てって結局リフォームしなくちゃだめなんでしょ? 維持費だってばかにならないでしょ?」

「それは、まあ、その」

「あれ? 答えられないの?」


 会社のマニュアル通りのセールストークをどんなに駆使しても、相手からの疑問や不満にはなかなか上手く答えられなかった。


「はあ……またしても断られたか」


 顔を合わせた住民からはことごとく断られ、残りは留守のためチラシをポスティングするだけにとどまった。気が付くと、西の空から徐々に夕闇が迫り始めていた。成果が出ないまま肩を落として営業所に戻ると、上司の西田が横目で冬樹を睨みつけた。


「外回り、ごくろうさん。で、今日の成果は?」

「ゼロでした。会えた人には断られ、あとはチラシをポスティングするだけでした」

「ふざけるなよ。うちはポスティングする人を雇ったわけじゃないからな。そんな仕事はバイトだって出来るんだぞ」

「それは分かってはいるんですが……」

「分かってるならば、ちゃんと成果を出せよ。お前より二十歳年下の長谷部なんて、今日だけで二件契約取って来たぞ。その他にも何件かアポイントも取ってるし。この位出来ないと、後輩にも示しがつかないんじゃないか、ん?」


 西田は肘を冬樹の背中に打ち付けると、冬樹は何も言い返せずうつむいていた。

 その時、冬樹の目の前の電話がけたたましく着信音を立て始めた。


「はい、山桃ホームの曽我部です。え? はい、そうです。私がチラシを入れたんですが」


 電話の向こうからは、中年らしき落ち着いた口調の男性の声がした。どうやら、投函したチラシを見て電話を掛けてきたようだ。


「え? 物件を見てみたいということですか? わかりました。じゃあ明日午後一時に、現地待ち合わせでお願いします。よろしくおねがいします!」 


 受話器を置くと、冬樹は小さくガッツポーズをとった。必死に歩き回って、ようやく取り付けた住宅内見の約束。冬樹の真後ろであごに手を当てながら立っていた西田は、気まずそうな顔で大きな咳ばらいをしながら自席へ戻っていった。

 しかし問題はここからだ。せっかく取り付けた約束を、契約に結び付けて行かないと成果として認められない。そう考えると、冬樹は喜びと共に重圧感がのしかかった。


 翌日、冬樹は内見に立ち会うために、案内する物件の前で立ち続けていた。朝から厚い雲がたちこめて午後になっても気温が上がらず、寒い中大分待たされていたが、やがて一人の男性が、手を振りながらこちらに近づいてきた。白髪をオールバックにし、髭をたくわえたダンディーな雰囲気の男性は、冬樹を見ると人懐こそうな笑顔を見せた。


「お電話して下さった堀金ほりかね様、ですね」

「はい。私が堀金英二ほりかねえいじです」

「早速物件をご案内します。こちらの物件は築三十年ですが、それほど汚れも破損も無く、綺麗な状態です」

「そりゃよかった。早速見せてくれるかな?」


 冬樹は図面を片手に英二を案内し、設備の一つ一つを説明すると、英二は柔らかい笑顔を浮かべながら何度も頷いていた。


「防音は大丈夫なんですか? あなたの置いたチラシ見ると、この家は防音対策が十分出来ているって書いてあったから」

「はい、以前ここに住んでいた方がピアノの先生で、防音はしっかり施してあるので大丈夫です」

「なるほど、これは良い物件だね」


 冬樹は英二の満足そうな顔を見て、手ごたえを感じた。ようやく念願の契約を取れそうなことへの嬉しさから、英二の目の前で思わずガッツポーズをとってしまった。


「ハハハハ。あなた、面白い人ですね。僕の目の前で突然ガッツポーズなんかしちゃって」

「あの、これは、その……つい、嬉しくなっちゃって……」

「ひょっとして、僕が契約してくれそうに見えたから?」


 英二は呆れた様子で冬樹を見つめていた。


「実は私、この仕事始めたばかりなものですから」

「そうなんですか?」

「恥ずかしい話、私はつい先日までカフェを自営しておりました。でも、経営不振で閉店し、借金返済のためにこの仕事に転職したのです」

「ふーん。カフェと言うことは、コーヒーがお好きだったのですか?」

「はい。でも、考えが甘かったようです。好きなことばかりじゃなく、もっと現実を見ないといけなかったなと反省しておりまして」

「へえ、そうですか」


 英二は訝し気な様子で冬樹を見つめていた。

 冬樹は英二の表情が変わったことに気づき、何か気に障ることを言ったのだろうかとうろたえ始めた。

 すると英二は家の外に出て、後ろ向きに「こっちおいで」と言いながら冬樹を手招きした。


「どちらへ? 内見の方はもういいんですか?」

「もう十分見せてもらったから大丈夫。それよりも、あなたにぜひ見てもらいたいものがあるのでね」


 英二は早足でどんどん先に進んだ。一体どこに行くつもりなのか……いくら契約がかかっているとはいえ、英二にばかり時間を割くわけにはいかないのに。

 やがて英二は、古びたアパートの一番奥の部屋のドアを開けた。このアパートは確か昨日、冬樹がチラシのポスティングをした所だった。

 英二に招かれるままに部屋に入った冬樹は、足元を見て思わず目をぎょろつかせた。

 玄関と居間へと続く廊下には、所狭しと沢山の壺が並んでいた。


「なんでこんなにいっぱい壺が……?」

「ああ、これは有田焼、こっちは益子焼と笠間焼、あ、こっちは相馬焼だな」


 英二は壺の一つ一つを手に取ると、冬樹の目の前に近づけて見せてくれた。


「僕のコレクション、なかなかでしょ? ここまで集めるの、大変だったんですよ。全国の有名な窯元をめぐって集めたんでね」


 英二は笑いながら壺をゆっくりと手で撫でると、再び廊下の上に置き、「こっちも見てごらん」と言いながら冬樹を手招きした。

 冬樹は手招きされた部屋の中に入ると、今度は部屋を取り囲むかのように並べられた棚の中にたくさんのウイスキー瓶が並んでいた。


「す、すごい! 今度はウイスキーですか?」

「そう。これはスコットランドまで行って買ったやつかな。これはニッカで、宮城の蒸留所で買った記憶がありますね。あ、これはなかなかいいやつだな。マッカランって知ってます?」

「……まあ、知ってますが」


 英二は口髭をいじりながら、自画自賛するかのように棚に置かれたウイスキーを紹介してくれた。


「そして今は、これに凝ってるんですよ」


 英二は部屋の片隅に置かれた楽器を取り出した。横に伸びる蛇腹のついた箱型の楽器……それは冬樹が小学校時代の学習発表会で演奏したアコーディオンのように見えた。


「これ、バンドネオンっていう楽器でね」

「え? アコーディオンじゃないんですか?」

「ちょっと違うな。よーく見てごらんなさい」


 英二は体を斜めにして楽器の側面を見せてくれた。そこにはアコーディオンのような鍵盤が無く、代わりに箱の左右にたくさんのボタンが付いていた。


「このボタンを押しながら演奏するんですよ」


 英二は蛇腹を左右に大きく動かしながら、ボタンからボタンへと指を自由自在に動かしていた。すると、アコーディオンよりも明快な音色が、部屋中を包み込んだ。アコーディオンのような優雅なシャンソン向けというより、タンゴなどのダンス向けのように感じた。


「おっと、ここまでにしとこうかな。また隣の部屋から『うるさい』って苦情が来るからね」


 英二は笑いながらバンドネオンを床の上に置いた。


「確かに、楽器の大きさの割に結構音が響きますね」

「アコーディオンよりも蛇腹を大きく動かすから、音もその分響くんですよね。でも僕は、このバンドネオンがたまらなく好きなんだ。はずむような音でリズム感があるけど、どこか哀愁が漂ってくるんですよね」


 そう言うと、英二は壁を拳で何度も叩いた。


「ここ、安いアパートだから、壁が凄く薄いんですよ。それに、僕のウイスキーや陶器のコレクションも置き場がなくて困っていた所でね。そんな時、あなたがポストに入れてくれた一戸建ての広告を目にして、これだ! と思って電話したわけ」


 英二の言葉を聞いた時、冬樹はここまで必死に営業活動したことが初めて報われたような気がした。


「私は陶器もウイスキーも、そしてこのバンドネオンもみんな心から好きなんですよ。好きだから、とことんまで追及しないと気が済まなくてね。お蔭で仕事で稼いだ金を自分の家庭でなく好きなものにばかりつぎ込んでしまい、妻子には逃げられ、こうして一人でアパート暮らししていたんですよ。アハハハ」


 英二は陶器を手にしながら高笑いしていた。

 その時冬樹には、紳士的な雰囲気の英二の顔が無邪気な子どものように見えた。

 自分に嘘をつかず、好きなことをやっているせいなのだろうか?

 生活は苦しそうだが、所狭しとたくさん並べられたコレクションに囲まれて暮らす彼は、少ないとはいえ安定した収入のあるサラリーマンの自分よりも幸せそうに見えた。


「物件を紹介してくれたあなたには感謝します。契約書、サインしますね」


 英二は口笛でタンゴの曲を奏でながら、冬樹から渡された契約書にサインしていた。

 やっと仕事で成果を上げることができたのに、冬樹の顔は浮かなかった。心のどこかで、もどかしいものを感じていた。


「あの、どうして私をここに連れてきたんですか?」

「ああ、別に深い意味はないですよ。ただ、好きならとことんやればいいのに、と言いたかっただけでね」


 英二はそう言うと、楽しそうに口笛を奏でながら契約書にペンを走らせていた。一方で冬樹は、英二の言葉が胸に刺さったまま、何も言えずに茫然と立ち尽くしていた。

(了)

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