ファンレターの話
江東うゆう
第1話 ファンレターの話
私は、ファンレターを書くのが下手だ。
大学生のころ、私は新本格ミステリーが大好きだった。
特に好きな一冊があって、初めてファンレターを書いたのだが、送るのはやめた。
当時、私には頼れる先輩がいた。その方の好きなミュージシャンが言ったそうだ。
「ヤバいファンレターの便箋は、罫線がない」
私はその教えを守って、ヤバく見えないように本の感想をB掛の便箋に書いたのだった。
小説の感想だけでなく、文庫の後ろにあった自作解説の感想まで、細々とした文字で書き込んだ。
よし、できた、と思って見た紙面は、白黒反転させたロゼッタストーンに似ていた。
文字がびっしりきっちり詰まりすぎている。
私の文字の形も相まって、細い筆で記した呪いのようであった。
内容もくどい。感動しすぎだ。よかったところを片っ端からまくし立てているような文章で、見ているだけで息切れがする。
こんなの送れない。
けっきょく、そのファンレターは頼れる先輩に送った。
先輩は後日、「愛が溢れていますね」と優しい返事をくれた。
空気の読める先輩なので、そう書きながらも、あのファンレターをダストボックスにシュートしてくれたものと信じている。
以来、私は本を読んで、「いいなあ」と思っても感想を書くのは控えた。
書けば、誰かに伝えたくなる。そもそも伝えたいから書いているのではないか。我慢してしまっておくのはつらい。
迷いが生じて出版社に郵送し、重苦しい愛が著者様に伝わってしまうのは困る。絶対に、嫌われてしまう。そんなのはイヤだ。
ところが、最初のファンレターから十何年経って、私はあるウェブサービスに登録して、感想を書いてしまった。
他の人が何人も感想を書いているのを見て、うらやましくなったからだ。
それに、ちょうど、「これは!」という作品を読んだばかりだった。心には作品への愛が溢れていた。
もちろん、細心の注意を払った。
ペンネームは、それまで私が避けてきた漢字を使った。
文体も、自分とはかけ離れた人たちの文章を分析して作った。それだけでは心配なので、ところどころ(注:)を入れて知識をひけらかすという書き手の癖まで創作した。
絶対に私の書いた文章とは思われないだろう。
でも、まだ心配だったので、最後のほうに、「本人や出版社へお伝えいただくのはNGとさせてほしい」という一文を加えておいた。
二千字ほどの感想文は、読み返すと、一面「大好き!」と書いてあるような文章だったが、私のものだとばれなければよいのだった。
投稿し、自分で何度かアクセスしてみて、私は満足した。
しばらく眺めていると、ハートマークが付いた。読んでくれた人がいるのが、とても嬉しかった。
いい時代になったなあ、と思った。
昔だったら、ファンレターは出版社に送るしかなかった。
でも、今は、明後日の方向に発表することができる。
著者様に届くこともない。
ファンレターを出さずに手許に置いているときの気恥ずかしく、かといって捨てられもしない、面倒な状況にも陥らない。
翌日、二つ目のハートがついた。
同じ本を読んだ人かもしれないな、と楽しくなった。
――この人はどうやってこの感想文に辿りついたのだろう。もう新着記事とはいえないだろうし、もしかして書名かなにかで検索したのかな。
そう考えているうちに、頬が冷たくなってきた。
いくら、「本人や出版社NG」と書いたって、著者様や担当様が検索したら、引っかかって、見られてしまうのでは。
私は半泣きで記事を削除し、アカウントも消した。
その際、そのサービスから、「おやめになったのはどうしてですか」という内容のメールが届いた。
理由。
著者様に感想が届くと困るから。
そんなこと、書けたものではない。
「続けていく自信がなくなりました」
そう書いて、私は去った。
今は、好きな本の感想は、家で、架空の聞き手に向かって、頭の中で早口でまくしたてている。はたからみれば、壁や天井をじっと睨んでいる変な人だろうが、誰もいないときにしているので大丈夫だ。
初めからそうすれば、黒歴史にもならずに済んだのに。
〈終わり〉
ファンレターの話 江東うゆう @etou-uyu
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