はつこいリノベーション

たかぱし かげる

( ´_ゝ`)

 内見申し込み者の氏名にどきりとした。

 市川いちかわ大輝だいき

 別に珍しい名前じゃない。だからただの同姓同名、かもしれない。

 たまたま、初恋の人と同じ名前の、お客様。ただそれだけ。


 現地でお客様を出迎える。

 申し込みは二名だったけど、いらっしゃったのはおひとりだった。

 背の高い、立派なスーツに身を包んだ男の人。

 13年振りでもすぐに分かった。

 間違いなく、彼は初恋の市川大輝だった。

 大人の顔になっているけれど、毎日見つめた眉と目は変わっていない。


 幼馴染みだった。小学生のころから“いっちー”と呼んでいた。

 サッカーが得意な明るい少年だった。つるんで、ふざけて、じゃれあった。

 それが恋になったのはいつだっただろう。

 仲の良い幼馴染み。周りが茶化すのを、いつもそう言ってかわした。

 でもまんざらじゃなかった。

 もし告白されたら、付き合って、いつか結婚してもいい。なんて、上から目線の夢想をしたものだ。


 中学二年の二学期、いっちーは引っ越すことになった。

 親の仕事の都合で、行き先はインドネシア。

 あまりの遠さに混乱した私は呆然としてしまった。

 なにもしないまま別れの日になってしまい、クラスで挨拶をするいっちーを前に泣くことしかできなかった。

 ぽろぽろ涙をこぼす私、囃したてるクラスメイト。いっちーは顔を真っ赤にして、自棄やけになったように言った。

「好きだから! 連絡するし! 付き合ってください!」

 返事はクラスメイトの歓声にかき消されたけれど、小さく頷いた私にいっちーは照れ笑いを向けた。

 ついでに担任の苦笑した顔が鮮明に残っている。


 あのときが人生でいちばん幸せだと思った。

 まあ、いちばん恥ずかし記憶でもあって、中学の同窓会には行けそうもないけど。


 そんないっちーと、私はけっきょく自然消滅した。

 インドネシアは遠すぎた。

 メールのやりとりは簡単にできたけれど、それまで毎日顔を合わせて、ふざけあって、そうして築かれていた関係は、物理的時間的な遠さを前になんとも脆かった。

 徐々に疎遠になって、便りも途絶えて、それでおしまい。

 気づいたときには連絡もできなくなっていた。


 あれは本当に恋だったのだろうか。

 お互いあまりに子どもだったと思う。けれど、子どもなりに本気だったのも確かだ。

 だから、あれはまごうことなき、私の初恋。

 中学を卒業して、高校に入り、大学に進学して、就職して。ときには告白されたり付き合ったり別れたりしてきたけれど、いつまでも消えないのは少年の顔ひとつだった。


 私もすっかり大人になった。かつてと違い、メイクもしている。

 バレないかもしれない、という一縷の望みは、顔を合わせたとたん驚いた顔になった彼によって砕かれた。

「……貝塚ヅカ?」

 懐かしい呼び名を遮って営業スマイルで頭を下げる。

「本日は内見をお申し込みいただきありがとうございます」

 いっちーの左薬指にはリングが鈍く輝く。


 もう一人の申し込み者の名前は女性だった。名字は違ったから入籍前なのだろうが、明らかに新居を探しているカップルだ。

 内見の担当者が元カノ――たとえ中学生の芽も出ないような恋だとしても――はまずい。

 ごたごたなどもってのほかだし、青い恋の思い出にひたってお客様をご案内できない、などというのはプロにあるまじき醜態だ。

 感傷は心の奥にしまった。

 新居を求める夫婦に、私は最適な住居を提供するプロに徹しよう。

「さっそくご案内できますが、お連れさまはお待ちいたしますか?」

 姿の見えない彼女について尋ねると、市川様は微かに目線を泳がせた。

「……じ、実は、申し込んだもう一人、は仕事で来られなくなってしまったので」

 すみませんが一人です、と申告される。

「承知いたしました。お気になさらず」

 もし今日この物件を気に入ってくれたら、また改めて二人で見に来てくれればいいと思う。

「ご案内します」

 庭つきの一軒家。空き家をリノベーションした物件で、新婚夫婦にはやや広い。しかし、将来のことまで考えれば悪くない選択だ。

 広い玄関口から廊下がのびてダイニングへ。間取りは少々古いが、造りはしっかりしている。

 作り替えたL型カウンターのシステムキッチンは女性受けも良い。

 ひとつひとつ説明し、ときに立たせ、実演し、物件の魅力をできるかぎり見せる。

 この家での家族の暮らしを想像してもらえるように。

 夫婦で、いつか子どもと。幸せな生活を。


 最初はぎこちなく話を聞いていた市川様も、写真を撮ったり、戸棚を開いたり、壁を測ったり、コンセントを確認したり、と熱心に内見し始めた。

 その姿に不動産屋の営業として手応えを感じる。

「こちらは窓のない壁ですが、一面を棚にしたり、なにか飾ったりするのにうってつけかと思います」

 販促に用意しておいたイメージ図を見せる。市川様は壁と見比べ、つぶやいた。

「……彼女の趣味の絵を飾るのにいいかもしれない」

 初めて漏らされた彼女という言葉にも、私は動揺することなく、愛想よい笑みを返す。

「素敵ですね」

 顔を見合わせてから、市川様は気づいた。はっとして、それから、いつかのような照れ笑いをした。

 中学生のときと変わらない笑み。それはただ懐かしいだけで、心の奥にしまった感傷を解き放ちはしなかったが。

 10代のころには決してなかった目尻の小皺が、駄目だった。

 意識する前に言葉がまろび出る。

「……結婚、いつ?」

 仕事として、プロとして、保とうとした壁が崩れた。崩れてしまった。

 最悪だった。プロ失格だ。

 謝って、立て直して、やり直したい、と願う私の前で、いっちーが真っ青な顔になっていた。

「すみません!」

「え?」

 なぜか謝ったいっちーは土下座せんばかりの勢いで頭を下げた。

「え、なに……?」

「彼女がいるというのは嘘です!」

「は?」

 謝罪混じりのいっちーの説明によると、かつて一度ちょっとした興味本位だかなんだかで物件内見をしたいっちーはその面白さにはまったらしいのだが、なんせ独身男ひとりの戸建内見はまともに相手をされない。そこで架空の婚約者をでっちあげ、さも新婚新居選びを装ってあっちこっち内見するのを趣味にしていたとか、なんとか。

 外した偽婚約指輪を弄ぶいっちーに私はため息をついた。

「……いっちー、馬鹿なの?」

 呆れてものも言えない。

 なにが「彼女の趣味の絵」だ。どんな妄想だ。

「……面目ない。けど!」

 いっちーは顔を真っ赤にして、自棄やけになったように言った。

「お前が! 連絡できなくなってたから! やっと日本に帰ってきたのに! 家引っ越してるし! メアド変わってるし! 同窓会来ないし!」

「……は?」

「どこかの不動産屋に就職したらしいって、ようやくそれだけ分かったから」

 ……それで内見にはまって、妄想婚約者と内見してたのか?

「いっちー、馬鹿だね」

 あとちょっと怖いし、それ。

 私は、かつてふざけていた頃のように、いっちーをばしばし叩いた。

 不貞腐れた顔でいっちーは言った。

「とりあえず、今晩飯でも食べながら、近況報告とか、どう?」

 まあ、悪くない、かな。


 fin.

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