隠れ家選びは慎重に

佐倉伸哉

本編

 文久ぶんきゅう四年〈一八六四年〉一月。毛利家の藩庁が置かれる長門ながとはぎで米問屋“弥勒みろく”の跡取り・喜兵衛太きへえたは、訳あって上洛していた。長州藩内で獲れた米を畿内方面へ輸出する事を考え、京に拠点となる住まいを探しに来たのだ。

 内見ないけんで訪れたのは、九条にある長屋の一つ。人口密集地である京では平均的な広さといったところか。

「如何ですか、こちらの物件は」

 ニコニコと満面の笑みを浮かべながら揉み手をするのは、京で呉服問屋を営む“周防すおう屋”の店主・治郎兵衛じろべえ。屋号にもあるように長州藩と繋がりが深く、父を通じて今回の物件探しに協力を仰いだのだ。

「やや市中から若干離れておりますが、その分騒がしさとは無縁で閑静なところです。築年数が経過しておりますので家賃も相場と比べて幾分お安いです」

 立て板に水を流すようにスラスラと述べる治郎兵衛。流石は商人あきんどといったところか。

 部屋の広さや間取りなど、室内を確認する喜兵衛太。瑕疵かしとして挙げた経年劣化も特に気にならない。これなら一人暮らしどころか店の者が上洛してきても二三人なら滞在出来るだろう。あとは家賃だけだが……。

 満足そうに頷く喜兵衛太へ、若干表情を曇らせた治郎兵衛が「ただ……」と憚るように言う。

「……近くに“壬生狼みぶろう”が出入りする詰所つめしょがございまして」

 治郎兵衛の一言に、喜兵衛太の顔色が一変する。

めよう」

 つい先程まで前向きだったのとは打って変わり、即答する喜兵衛太。その反応に“もありなん”といった感じで治郎兵衛も引き下がる。

 米問屋の跡取りというのは仮初かりそめの姿。その正体は、長州藩士・七尾喜兵衛太。世間で急速に増加している尊王攘夷そんのうじょうい派志士である。

 慶長八年〈一六〇三年〉に開かれた徳川幕府は三百年以上が経過し、体制や制度が金属疲労が生じていた。そこへ追い討ちをかけるように嘉永かえい六年〈一八五三年〉六月三日、黒船来航。諸外国の圧力や幕府内の主導権争い、急速に存在感の高まった皇室公家衆の介入など、国内情勢は混沌こんとんとしていた。

 こうした状況の中、国の舵取りの新たな形を目指す“志士”と呼ばれる者が現れた。幕府の政に登用されない“外様”と呼ばれる薩摩藩や土佐藩の出身者が大半を占めたが、その中でも特に多かったのは長州藩だった。長州藩は当時革新的な思想や考え方を持っていた吉田松陰しょういんが開いた松下村塾しょうかそんじゅくに通っていた者達が藩内部で頭角を現しつつあり、朝廷内部の過激な攘夷派と結託して存在感を高めていた。

 しかし、長州藩や一部の公家があまりに過激な思想を抱いていた事に危機感を募らせた孝明こうめい天皇は京都守護職の松平容保かたもりや薩摩藩などを動かし、文久三年〈一八六三年〉八月十八日に京から締め出した。俗に“八月十八日の政変”と呼ばれる出来事で危険分子と見做みなされた長州藩だが、復権する事を諦めていなかった。政局の中心地である京へ入る事は認められていなかったが、あの手この手を使い監視の目を縫って潜入していた。

 喜兵衛太は同士達の隠れ家を確保する重大な密命を帯び、町民のフリをして上洛。協力者である治郎兵衛と共に物件を探し、現在に至る。

 治郎兵衛が口にした“壬生狼”とは、都の治安維持を任された京都守護職から活動を委任された実働部隊“新撰組”の蔑称で、不逞ふてい浪士の取り締まりに当たっていた。幕府の非正規組織ながら不逞浪士の捕縛・詮議せんぎのみならず場合によっては斬り捨ても認められる程の権限を有し、剣客けんかくも多い浪士に対抗すべく腕利きの実力者が揃っていた。腕っ節に自信のない喜兵衛太からすれば新撰組の隊士は飢えた狼も同然、もし捕まれば筆舌に尽くしがたい拷問か非業の死のどちらかだ。そんなの真っぴら御免ごめんである。

 新撰組に見つかる前に喜兵衛太はいそいそとその場から退散した。暫くは尾行されてないか周囲に気を配りながら次の物件へ向かった。


 次に案内された物件は東寺の近くにある古びた一軒家だ。元々は農家だったみたいで敷地内には農具を保管する為に使っていた納屋もある。辺りは田畑が広がり、見知らぬ人が居ればすぐに分かるという点では潜伏先選びで好条件と言えよう。

「“壬生狼”もこの辺りは縄張りの外らしく、見かける事はほとんどありません。それに、家賃も相場と比べてグッとお安くなっております」

 治郎兵衛の説明に、うんうんとうなずく喜兵衛太。提示された金額は先程の物件よりも低く、広さや立地に対してかなりお手頃ではある。

 これなら複数人が常時滞在出来る上に、万一新撰組など追手が踏み込まれても身を伏せる箇所も複数の出入り口から逃れる事も出来る。理想的な潜伏先と言える。

「ただ……」

 暫し言い淀んだ治郎兵衛は、やがて観念したように小さな声で理由を明かす。

「……こちらの家、前の持ち主家族が心中しんじゅうしまして」

「治郎兵衛。死人が出た家に住みたいと思うか?」

 喜兵衛太の問いに、力なく「いえ……」と答える。

 現代風に言えば“事故物件”で気にしない人は別に構わないかも知れないが、大望たいぼうを抱いて危険を顧みず敵地へ潜入するには少々縁起えんぎが悪過ぎる。家賃も間取りも立地も申し分ないが、この家はしりぞけざるを得ない。

 断られる事は織り込み済みの治郎兵衛は何も言わず、次の場所へ案内する為に歩き出した。喜兵衛太もその後に続く。


 三軒目に案内されたのは、丸太町にある小ぢんまりとした家。

「こちら、るお大尽様が島原の遊女の為に建てられた別邸べっていにございます。事情により都から離れる事となり、手放された物件にございます」

 島原とは京の都にある色街で、大坂の大町・江戸の吉原に並ぶ三大遊郭の一つに挙げられる。ある程度資金力に余裕のある男性が妻帯者がめかけの為に家を用意するのは珍しい事ではなく、治郎兵衛の説明にも矛盾点を感じない。

 家の造りこそ小さいものの、庭の植木や間取りなどは前の持ち主のこだわりを感じられる。好きな女の為に建てられた家であると同時に、日常から避難する秘密の隠れ家も兼ねているみたいだった。

 繁華街に近いのもあって人の行き来は絶えないが、人目がある分だけ捕縛者などが居れば逆に目立つ。京の拠点にするにもってこい条件が揃っている。

「土地柄、ちと家賃は高くなりますが、志士様が京で潜伏するにはこれ以上ない物件かと」

 治郎兵衛の目がキラリと光る。どうやら前の二軒は捨て駒で、今紹介している物件こそ本命だったみたいだ。

 確かに家賃は予算より少し上だが、立地や間取りなどを考慮すればそれだけ払うだけの価値はある。最悪、幹部の滞在先にも転用出来る。国許へ帰って上役と相談だ。

「……分かった。こちらの物件にしよう」

「ありがとうございます。喜兵衛太様もきっと気に入って下さると信じておりました。さて、手付金の方ですが……」

 謝辞を述べながらも早速お金の話に入る治郎兵衛。その抜け目の無さに喜兵衛太も苦笑いするしかなかった。


 喜兵衛太は治郎兵衛の提示した手付金を支払い、国許へ戻って行った。重要な任務を無事に果たせた治郎兵衛は達成感からか意気揚々、足取りも軽かった。

 その翌日。治郎兵衛は店を部下に任せると、フラリと出掛けた。行先は――壬生。しかも、辿り着いた先は新撰組の屯所だ。

「毎度お世話になっております、周防屋の治郎兵衛にございます。山崎様はいらっしゃいますでしょうか?」

 門前の衛兵に用向きを伝えると、無言で中に入るよう促される。治郎兵衛は建屋の中には入らず、敷地内の修練場の裏手へ向かう。修練場では激しい稽古が行われており、威勢のいい掛け声や怒声に竹刀の音が鳴り響く。

 敷地内の木にもたれ掛かるようにして佇んでいると、暫くして反対側に人が現れた。互いに顔を合わせることなく、背中合わせの状態のまま治郎兵衛は独り言のように話し始める。

「長州の志士へ丸太町の別邸を紹介しました。あとは、

 それだけ告げると、足元に何かが放られる音がした。目線を向けると、小判が二枚地面に落ちている。

 拾っている内に、いつの間にか人の気配は消えていた。小判についた砂を払い、袖に仕舞う治郎兵衛。

 周防屋の治郎兵衛は長州藩と繋がりを持っているように装い、その実は新撰組と裏で通ずる“二重諜者ちょうじゃ”だった! 志士を秘かに支援するフリをして情報を新撰組の監察に渡していたのである。

 何事も無かった風に新撰組の屯所から出て行く治郎兵衛。別に小金こがねが欲しくてやっている訳ではない。商売は大儲けこそしてないが順調そのもの、お金に困っていない。寧ろ、まるで“野良犬にえさを恵んでやる”ようにお金を雑に扱う新撰組の人間を内心唾棄だきしていた。それでも新撰組に尻尾を振っているのは――。

(尊王だの攘夷だのに気触かぶれた阿呆あほう共の所為せいで、私は損をした)

 八月十八日の政変以降、長州の印象は一気に悪くなった。その余波を受け、治郎兵衛の商売も客足が明らかににぶり、売上が目に見えて落ちた。同じ国を屋号にしたばかりに、全く関係のない私に悪影響を及ぼした。ゆえに、治郎兵衛は元々あった繋がりを活かして二重諜者になる事を決意した。これは復讐なのである。

(世直しか革命か、そんなの知った事か。やるならやるで勝手にやってくれ。そして、互いに食い違えろ)

 袖に仕舞った小判をギュッと握りながら、治郎兵衛は家路を急いだ。自分の帰りを待つ家族や部下達の元が、待っている。

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隠れ家選びは慎重に 佐倉伸哉 @fourrami

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