気になる年頃【KAC20242・住宅の内見】

カイ.智水

気になる年頃

 息子の合格が決まり、大学にほど近い住宅地にある高層アパートを、住宅斡旋業の営業さんと私、そして息子が訪ねた。


「こちらの物件は日当たりもよく、閑静な住宅街でかつ防音室となっておりますので勉強にも集中できますよ」


 住宅斡旋業の営業さんが一押しするだけあって、バス・トイレも備えていて、防音仕様なので夜に洗濯機を回しても怒られないのだそうだ。

 これはいきなり当たりの物件かもしれない。


「ここは空室になるとすぐに次の住人が埋まるという人気の部屋なんです。お家賃が周辺の相場より一割ほど高いですが、快適な住空間をこの価格で、というところが魅力ですね」

 大学の徒歩圏だから交通費もかからないし、近くに飲み屋街があるわけでもないので、勉強に集中できるだろう。幸い近くに図書館もあり、調べ物や卒業論文の作成でも有利に立ち回れそうである。


「お父様も息子様には勉学に勤しんでもらいたいでしょうから、勉強に集中できる環境としてオススメですよ」

 こちらの思考を先読みされたような営業さんの返しだった。


 するとどこからかアンアンという声が聞こえてきた。営業さんの顔がわずかに曇ったが、すぐにもとの営業スマイルを浮かべている。


「この声はどこから来ているのですか」

「これは隣のマンションからでしょう。ご覧ください。向かいの窓が開いていますよね」

 言われたように窓から隣のマンションを見ると窓が開いていた。

「でもご安心ください。こちらの窓を閉めれば聞こえなくなりますから」


 そう言って営業さんは手際よく窓を閉めると、確かに音は聞こえなくなった。


「本当ですね。確かに声が聞こえなくなりました」

「でございましょう。それほどこの高層アパートの防音性は高いのです」

 息子の顔を覗き見ると、どうしていいのかわからない表情を浮かべている。 


「お前はこのアパートが嫌いか」

「嫌いってわけじゃないけど、春や秋は窓を開けて新鮮な空気を吸いながら勉強できると嬉しいんですけど」


 息子の言わんとしていることは理解できる。営業さんも察したようだ。


「ああ、お隣さんでしたら以前の住人さんからスケジュールを教えてもらっています。この紙をご覧ください」

 私と息子にそれぞれ印刷用紙が配られた。

「なんでも、曜日によって異なるけれども、週で見ればいつも同じなんだそうです。今日はたまたまこの時間だったのですが、防音性能を確認するためにも、あえてこの時間で内見を組ませていただきました」


 時間割がわかっているのであれば、そこを我慢すれば確かに良い部屋なんだろう。

 しかし、新大学生には刺激が強すぎるのではないだろうか。

 とくに時間がわかっているとなると、気になって仕方がないだろう。


「先ほども申しましたが、この部屋は人気が高いのです。お隣さんを我慢できれば最高の環境だと思いますよ。いかがでしょうか」


 いかがでしょうか、と言われても。すぐ近くで営んでいるのを気にせず勉強などできるものだろうか。


「今ここでお決めいただけなければ、おそらく二度と御縁はございませんよ」

 黙って息子の顔を眺めたが、やはり決めかねているようである。


「なにかご不満な点がございますか。よい物件だと思うのですが」

 ちょっと気になることがあったので、営業さんに聞いてみた。


「ちなみに前の住人はどのくらい住んでいたのでしょうか」

 営業さんは左目をすがめたが、すぐに表情を戻した。

「えっと、前の住人さんは、と。はい、一か月ですね」


「これだけ立地が良いのに一か月ですか」

「女性だったので、おそらくいたたまれなくなったのでしょう。男性であればちょっぴりエッチなアパート、くらいの認識でいられるはずです」

「そういうものですか」


 大学の徒歩圏で、近くに図書館もある。しかも家賃が周辺のアパートの一割高という程度だから確かにお値打ちではある。


「本当に他には欠点がないのですか。地震で揺れるとか、豪雨で水没するとか」

「耐震構造ですし、高台ですから豪雨でも水没することはありません。仮に川があふれても問題ありません」


 条件面では文句はないのだが。あとは息子の決意次第。


「なあ、お前はここでいいか。それとも他のアパートを見て回るか」

 六畳だがひとり暮らしであればじゅうぶんな広さだ。しかもバス・トイレ完備。電気だけでなくガスも引かれているから、たとえ停電してもガスで湯を沸かせられる。


 返事のない息子の顔を見据えると、目をランランと輝かせている。どうやら気に入ったらしい。

「あの、本当にこの紙に書かれている時間に声が聞こえてくるんですよね。それじゃあこの時間さえやり過ごせれば気にする必要もないのですね」


 営業さんは満面の笑みをたたえている。


「はい、そのスケジュールさえ頭に入れていただければ、問題ありませんよ」

 顔を赤らめながら息子はさっきまでとは打って変わり、部屋の隅々を積極的に見て回る。


「お風呂とトイレはユニットなんですね」

「はい、ひとり暮らしであればあえて分ける必要はございませんからね」

「昼下がりでもこれだけ部屋が明るいのは助かるんですけど、真夏に部屋が暑くなりすぎることはありませんか」

「このサッシとガラスは二重になって、外気の熱をシャットアウトしてくれます。暑くも寒くもなりません。いつも快適なものです。二重サッシ・二重ガラスは防音にも寄与しますので」

 なにか話をそらしたいかのような早口でまくし立てているが、まあ年頃の男だからわからないでもないが。


「で、この部屋に決めてしまってもいいんだな」

「それでもかまわないよ。営業さん、ついでなので他の物件の間取り図と家賃を見せていただけませんか。ここよりもいい物件があるかもしれないし」

「たとえば」


「そうだなあ父さん。女子大生が多いアパートとか」

 余計な詮索だろう。そもそも女子大生が多いアパートに男子が住める可能性はかぎりなく低い。


「あ、それでしたら次の物件が当てはまりますね。ここはひとりで勉強するには向いた部屋なのですが、次の物件はアパート内のコミュニケーションを重視する方向けですので」

「父さん聞いたかい。女子大生が多いアパートだってさ。ここも捨てがたいけど、やっぱりご近所付き合いもたいせつだもんね」


 息子は真面目に勉強をするつもりがないのだろうか。

 まあ大学で四年過ごせば社会人だから、異性との交流はあったほうがよいのだろうけど。それで学業に手がつかないのでは本末転倒だ。


「住むのはお前だ。気に入ったところに決めればいいさ」


 息子の表情から、学業は諦めたほうがよいかもしれないと悟った。




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