【KAC20242】母と娘とお宝物件

かごのぼっち

母と娘とお宝物件

 その家は一戸建てで、大きくはないが庭もあり、家族四人で暮らすには十分の広さがあった。

 

 インターホンを鳴らし、どうぞの声を確認してから門扉を手で開けて短いアプローチを歩く。


 アプローチ横に並べられた植木は、手入れがされておらず、枯れていたり、生い茂っていたりして、雑草などはそのままである。


 朽ちた犬小屋から、昔ペットに犬を飼っていたのだろうと思われる。


 私は玄関を開けて、この家の家人であるお母さんに尋ねた。


「先程お電話を受けた者です。 娘さんの部屋はどちらになりますか? 部屋を内見させていただきます」


「……二階の奥の部屋です」


「分かりました。 お母さんはこちらでお待ち下さい」


「……はい」


 お母さんは酷く生気のない顔つきで私を見ているようで、何処か遠くを見ている。


 両手を中心に赤黒く染まった服装も、もとよりさほど綺麗なものではなく薄汚れている。


 私は靴を玄関で脱いで家に上がり、薄暗い階段を上がって行く。


 家の中は物やゴミ袋などが散乱していて、とてもじゃないが快適に住めているとは言えないだろう。


 私は立ち込めるえた匂いに口元を塞ぎながら、二階に上がり、廊下の突き当りの部屋の前で立ち止まった。


 ドアはボロボロで足元には穴が空いている。 ドアの外に鍵がついている。


─コンコン


「のぞみちゃん、ここを開けてくれないかな?」


「いや!」


「どうしてかな?」


「いやって言ってるでしょ!」


「でも、部屋を確認するまではお姉さん帰れないんだよ」


「……」


「少し部屋を見たらすぐに帰るから開けてくれないかな?」


「…に?」


「え?」


「本当にすぐに帰る?」


「うん、約束する」


「……」


─ギッ…


 部屋の入口が少し開いて、ドアの隙間から、ギョロッとした目を覗かせる。


「すぐに帰ってね?」


「うん、約束する」


─ギィ…


 ドアが開くほどに中から異臭が漏れ出てくる。

 

 しかし、私は顔を歪めることもなく部屋に入る。


 部屋はカーテンで閉め切られており、机の上の蛍光灯だけが光源となっている。


 部屋は薄明かりに照らされているだけで、あまり良く見えるわけではないが、壁紙や襖はボロボロで黒い手の跡の様な汚れが目立つ。

 

 カーペットやベッドはとにかく糞尿の様な匂いが染み付いていて、部屋の片隅に桶のようなものがある。


 少女はベッドへ向かい、そこに置いてあったぬいぐるみを抱いた。


 ぬいぐるみ……いったい何のぬいぐるみなのか、ひと目見ても分からない。 いくつかのぬいぐるみをテープで継ぎ接ぎにしたように見える。


 ぬいぐるみを抱える腕が細い。 関節が骨の形を浮き彫りにしていて、肌色が青かったり黄色かったしていておかしい。

 手首にリストバンドを着けていて、そこから伸びる手の指先に爪はほとんど無い。


 髪はボサボサに伸びていて、隙間から先程のギョロリとした目が見える。


 表情は暗くてよく見えない。


 机の横の壁に何かを描いた絵が貼り付けてある。


 絵は真ん中に少女と思しき人物。 その横に大きな黒いぐるぐると赤いぐるぐる、反対側に少し小さな赤いぐるぐるともっと小さな赤いぐるぐる。 背景が家の形をしていることから、家族の絵ではないかと想像する。



「もう帰って!」


「うん、帰るけど……最後にひとつだけ良いかな?」


「あなた……大切なものはある?」


「……」


 少女は大事そうに抱えていたぬいぐるみを横に置いて立ち上がり、勉強机の前に立った。


 一度私の方に目をやり、その細い手で引き出しを開けた。


 そして私の方をもう一度見る。


 少し笑った?


 私はひとつ頷いて携帯でソレを写真に収めると、少女の頭を撫でて部屋を出た。


「ありがとう」


 部屋を出て、階段を降りるとお母さんが不安そうな顔をしてこちらを見て来る。


「娘は何か言いましたか?」


「いいえ?」


「部屋で何か観ましたか?」


「……はい」


「娘は……私を恨んでいると思いますか?」


「……いいえ?」


「私……」


 お母さんはやつれて、疲れきった顔をしていた。


「では、行きましょう」


「……お願いします」


 私はお母さんと一緒に家を出た。


 お母さんは俯いて何かを引きずる様に、一歩一歩脚を前に出して歩く。


 外には赤色灯がクルクルと回っていて、ストレッチャーが忙しなく乗せられている。


 その車が見えなくなるまで見送ると、私は家の前に待たせていた車のドアを開けた。


─ガチャ…


 私は彼女を車に乗せると、ドアを閉めた。


─バタン…


 お母さんは車窓越しに家と別れを惜しむ。


─ブロロロロ…


 無情にも車が出発する。


 私は何となく気になって、少し振り返ると、二階の窓から、とても細い灯りが視えた。


 そんな気がした。




 車から降りた私達は、打ち放しの冷たいコンクリートの部屋に入り、硬いパイプ椅子に腰掛けた。

 

 私はこれから、この母親の心を内見しなければならない。


「話していただけますか?」


「はい……」


 彼女はうつむき加減で、ぽつりぽつりと語り始める。


「私がやりました。


 私が夫をこの手で殺しました。


 背中から包丁を突き立てて、何度も何度も刺しました…。


 息の根が止まるように…。


 二度と起きて来ないようにと…。


 動機は単純です…。


 度重なるDVやパワハラ、モラハラ……そんな日々に疲れて嫌気が差したんです。


 私は再婚です。


 夫を事故で失い、娘たちを養うために再婚しました。


 しかし、再婚相手は酒癖や女癖も悪く、家の貯金を使い込み、街金に借金してまでギャンブルをするような人でした。


 それだけならまだしも、夫は私や娘たち、挙げ句は愛犬にまで暴力を振るい始めたのです。


 私だけならまだ良かったんです…。


 娘たちや愛犬に手を出すだなんて…。


 それでも下の子と愛犬は、助けてあげられませんでした…。


 愛犬は私が庭に埋めました…。


 下の娘は、目を離した隙に階段から落ちたのだと言って…家庭内事故として病院で亡くなりました…」


「……」


 お母さんはぼろぼろと大粒の涙を零し始めた。


「私は夫が怖くて、娘や愛犬が虐げられているのを助けてあげられませんでした…。


 少し口を挟んだだけで酷い仕打ちを受けたからです…。


 下の娘と愛犬を失い、途方に暮れた私は、先日ひとつの決心をしました…。


 上の娘をこの手で殺して、自分も死のうと…。


 そして昨日、娘の部屋でソレを実行しようとした時に、娘の涙をみたのです…。


 娘は寝た振りをして、起きていたのでしょう…。


 ぷるぷると細く小さな身体を震わせて、必死に我慢をしていた様です…。


 私はそこで思いとどまりました。

 

 違う。


 そうじゃないんだと。


 私たちは十分に苦しんだし、これ以上苦しむ必要なんてないのだと。


 少なくとも、眼の前の娘には笑って過ごす、未来の可能性だってあるのだと。


 思いとどまったんです。


 そして、私も娘もこれ以上苦しむ必要なんてない、まして死ぬ必要なんてない。


 苦しんで死ねばいいのは、夫の方なのだと。


 思ったのです」


「……」


「刑事さん、わたしがやりました。 娘は何ひとつ関与しておりません。

 下の娘も、愛犬も私が殺したも同然だと思っております。

 私は自分の保身と娘の未来のために、夫を殺したんです!」



 そこまで言って、彼女は泣き崩れてしまった。


 私は温かいお茶を淹れて、彼女が落ち着くのを待った。


「娘は父親を失って、妹や可愛がっていた愛犬を失って、これから独りぼっちになります…。


 きっとこんな家庭で暮らして、こんな頼りない母親を見て、娘はちゃんとした家庭のあり方を知らないまま育つのでしょう…。


 私は母親失格です。 仮に刑務所から出たとしても、私は娘に会う資格なんてありません…。


 刑事さん!


 お願いです!


 娘を宜しくお願いします!」


「私は立場上何も言えませんが、どうぞこちらをご覧ください」


 私はスマホに取り込んだ一枚の画像を彼女に見せた。


「娘さんの部屋で見つけた、彼女の大切な宝物だそうです」


 彼女はそれを見るなり、再び号泣し始めた。


 


 それは幸せそうな笑顔にあふれる、一枚の家族写真だった。

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