こちらではお久しぶりとなりますかね。近況報告の方ではちょくちょく顔を出していたわけですけれども、まぁ、元気に?やっておりますNemです。

今回は才能の話を一つまみしようかなと思います。

僕ね、結構才能に関してはハッキリとした持論がありまして、というのも「努力なんざ些細だ。環境なんて些細だ。凡は悲しい位にあっけなく才能に潰されるもんだ」ってやつなんですけど。

あ、と思ってくれた方はあの二人の物語を読んでくれているんでしょう。そうです。まさしく、「イレギュラーはギフテッドに夢中です」のテーマは”才能”です。

僕はですね、諦めてほしいんですよ。才能を持たなかった人たちに、「下手の横好きはやめろ」と言って、手をパシンと叩いて止めたいんです。

ただ、本当に勘違いしないでほしいんですが、僕は決してそういった大勢を非難している訳でも嘲っている訳でもなくて、むしろ、自分がその凡だったからこそ、こんなにも苦しいのだからやめようと言っているんです。

成功した人ってみんな口を揃えて言いますよね?「才能も確かにあったけど、僕が成功できたのは努力のお陰です」って。

これね、多分そうなんです。

あの人たちって、僕らじゃ考えられないくらい、その事について熱中していて、四六時中、考えて試して失敗して修正して成功して、っていうのを繰り返してるんですよ。まぁ、僕は才能のある人が結構好きなので、彼ら彼女らがやっていることを「それは努力なんかじゃない!」と否定したくないってのもあるんでしょうが。

ただね、ここで努力について考えてほしいんですよ。誰もかれもが毎日毎日平凡の圧力で窒息しそうになっている原因はここにあると思うんですが。

努力って人類全員に与えられた権利じゃないんです。それどころか、才能を与えられた人のみが持つ特権ですらあるんですよね。もーーーーーっと平たく言えば、「オレが頑張った一時間とあいつが頑張った一時間じゃ全然効率違うじゃん」ってソレです。これならみんな一度は考えたことあるでしょう?

努力なんてのは、才能を持っていること前提のボーナスなんです。僕ら凡人が悪戯に真似てみたとて、天才たちのそれには到底及ばない訳です。悲しいけど、きっとこれが事実なんだと思うんです。

嫌ですよねぇ。けど、みんながこれを知って一様にあきらめることが出来たら、世の中の苦しみって半分くらいはなくなっちゃうのかななんて思ったりして。

これに気づいたのは、中学受験が失敗した後の中一の時だったんですけどね、頭じゃこうだって分かっていても、どうしても、夢があって、それに向かってもがいてる人が美しく見えてしまうんですよ。なんだかなぁとは思うんですが、僕はそんな二面性から、「能力が高い人」と「真っすぐに頑張る人」が大好きなんです。多分、”こうありたかった”っていう憧憬と、”こうあるべき”っていう悪あがきが自分のそれと一致していて、親近感を覚えるんでしょうね。

これを読んでくれた人の中で、もし、「自分って何なんだろう」みたいに存在価値が分からなくなっている人がいるのなら、僕は二種類の処方箋を渡したいんです。

一つはちょっと苦いかもしれません。

「価値がもともとある人間はごくごく限られていて、普通は人っ子一人に価値なんてない」

もう一つは甘くはないけれど安心できるようなものかもしれません。

「みんながそれと同じ悩みを抱えてる。昨日怒られていたAさんも、来週結婚するBさんも、はたまた、テレビに映るCさんも」

僕はこれを大声で言うために今頑張ってますから。冷たい世界ですけど、すこし楽天的に考えちゃったりして、頑張っていきましょ。ね?

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筆が進まない時の逃げ場 Nem @Nem0630

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