モー推理

小石原淳

※最大の謎は解けないまま終わります

 夜の帳が降りた。

 もー。

 空はよく晴れており、星がいつもに比べればきれいに見えている気がする。今だけじゃなく、ここ数日は晴天続きだ。

 もー。

「皆さん、ご静粛に願います」

 探偵が声を張った。もー。宿泊客が集まれる広間は、外の様子がすぐに分かるよう、窓の一つが細く開けられている。なので、音がちらほらと入ってくる。もー。

 とにかく、皆、息を飲んで探偵の次なる発言を待った。

「先ほど、改めて説明したように、我々は閉じ込められました。このペンションから出ることは難しい、少なくとも現状では無理だと言えましょう。しかも、外部との連絡手段も断たれている。これが何を意味するか」

 もー。

 探偵は相方の私に視線を当ててきた。私はワトソン役らしく振る舞うことに努めるとする。

 もー。

「いわゆるクローズドサークルというやつだね? 殺人が起きているのに、警察に通報できないし、避難もできない」

「その通り」

 以心伝心、ツーと言えばカー、打てば響くとはこのこと。

 もー。もー。

「何故かは分かりませんが、今夕になって突如、牛、恐らくバファローの大群が東方より現れ、何もかもなぎ倒しながら西、言い換えればこのペンションのある方角へと行進を始めました。行進と形容するのは違うかもしれません。バッファローを猪にたとえるのも変ですが、猪突猛進と呼びたくなるほどの勢いがあったので。彼らの鳴き声及び地響きに気が付いたときには、もはや手遅れ。ペンションごとバッファローの波に飲み込まれるかと思われたほどです」

「このペンション、見かけは古い割に、防音と免震は気合いが入っているから」

 鳴き声や振動がなかなか伝わってこない、という意味である。今だって窓を開けているのは、バッファローの動向をちょっとでも早く知るためだ。

「そうだね。ああ、神戸かんべさん、すみません。決して設備のせいだと言っているのではありませんので、あしからず」

 探偵はペンションのオーナーたる男性に、ぺこりと頭を下げた。

「気にしちゃいません。バッファローの大群が出現するだなんて、想定外の事態。実際に被害が出て、私らに責任があると言われても、認めやしませんて」

「でしょうね。それに、現実には被害は出ていない。これまた理由は不明ですが、彼らはペンションを避けてくれた。おかげで建物の倒壊は免れたものの、辺りはバッファローだらけ。牛の泥流に襲われたとでも言いたくなります。そしてその泥流は途切れることなく、今も尚続いている。こうしてこのペンションは、はからずもクローズドサークル物の舞台と化してしまいました」

 もー。

「オーナー、ついでに伺います。松坂まつざか氏は硬質ガラス製の灰皿で殴打され、亡くなったと見られますが、あの灰皿は? 他の部屋には備わっていないようでしたが」

「ご宿泊の皆さんの中で、松坂さんが唯一の喫煙者だと聞き、用意しておいたんです」

「今日で宿泊三日目になりますが、灰皿の交換は?」

「朝、お訪ねして吸い殻だけ回収してましたよ。洗わなくていいと言われましたし」

 オーナーの神戸の解説に探偵はもー、基、にこっと微笑して続ける。

「ありがとうございます。さて、松坂氏は彼にあてがわれた部屋の中で、頭部を硬質ガラス製の灰皿で殴打され、窓際に据えられたベッドの上で事切れていた。灰皿はこのペンションの物であり、犯人が用意して持ち込んだ物ではない。今のご時世、宿泊先に灰皿が常備されていることを期待する人は少ないでしょう。このことから、恐らく衝動的な犯行だと見なせる」

 確認を取るかのように、台詞を区切る探偵。みんな黙って頷き、静かなものだ。もー、もー。

「結構。――被害者がいつ亡くなったのかを特定できないまま、皆さんには今日一日の行動を伺っていた訳ですが、証言を比べる内に、ふと閃いたことがあります。

 仮の話をしましょう。もしも皆さんが今この状況で、誰かを殺すのであれば、いかなる手段を執るのが最も有効か、考えてみてくれませんか」

 探偵の投げかけた問いに、関係者一同は素直に応じた。侃々諤々、喧々もーもーと意見を交わす。そしてたいした時間を掛けずに、一つの結論に至った。

「事故死に見せ掛けるのが一番よ」

 代表して米沢よねさわさんが言った。

「どこか手頃な窓を選んで、外に突き落とすの。無数のバッファローにあっという間にもみくちゃにされて、助かりっこない」

 期待していた答えだった。もしこの答が出ないようであれば、私がワトソン役として“補助線”となる言葉を出すつもりだった。

「ありがとうございます。私も同意します。たとえ他殺を疑われたとしても、遺体はぼろぼろに踏み荒らされ、証拠もへったくれもない状態になっている可能性が高い。翻って、現実に起きた松坂氏殺しはどうか。遺体はそのままにしてあった。凶器すら、現場に残している。この事実から、犯行があったのはバッファロー襲来前だったと言えるのでは?と推理したのですが、如何でしょう」

「悪くはないと思うが」

 但馬たんばさんが即応してきた。もー。

「折角なので反論してみよう。凶器のことはさておき、犯人は体格的・腕力的に、松坂君を落とせなかったのかもしれない」

「なるほど。ですが、現場をご覧になれば分かる通り、松坂氏は窓際のベッドに倒れていた。羽毛布団のかさを足すと、ベッドの高さと窓枠の高さはほぼ同じ。非力な人でも両足を使って押せば、押し出せたはず」

「ふむ。認めざるを得ないか。僕自身、部屋に入ってまず感じたのが、ベッドが高い、寝ぼけて窓から落ちないかなという心配だったからねえ」

 但馬さんの台詞に、神戸オーナーが「相済みません」と謝罪した。

「では、犯行時刻はバッファロー襲来前としていいですね? この前提に立つと、非常に興味深い事実が浮かび上がるのです。すなわち、最後に松坂氏の生きている姿が目撃されてからバッファロー襲来までの区切った時間帯において、アリバイのない人はたった一人に絞られる。あなただけにね」

 探偵が指差した先、そこにはたくましい身体付きをした若者がいた。

美濃太郎みのたろうさん、私の推理に対して、何かご意見は? ああ、物証がまだない点は勘弁してください」

「ご意見も何も……僕はやっていないとしか」

「あなたが犯人でなければ、誰でしょう?」

 もー、もー、もー。

「知るものか。大方、外からやって来た奴がぱぱっと殺して、さっと逃げたんじゃないのかな」

「おかしいな。あれだけのバッファローに囲まれているというのに、そんな発想が出て来るなんて、やはり犯行はバッファローが現れるよりも前だったと認めているも同然ではないでしょうか」

「言葉尻を捉えるなよ。さっきあなたが披露した“めい”推理につられただけさ。いや、妄想推理かな」

 もー。

 挑発的な笑みを浮かべる美濃。だが、どこか強がっているようにも映った。

「うーん、どうなんでしょうね。バッファローの群れが来ようが来まいが、このペンションの交通の便は決してよくない。途中で車を降りて、おんぼろな吊り橋を含んだ山道をてくてくと歩かなきゃならない。そんなペンションに、密かに忍び込んで人を殺し、また逃げ出すのはよほど奇特な方ですよ」

「何とでも言え。バッファローの群れに突き落とさなかった理由自体、確定はしていないだろうが。犯人が、たまたま思い付かなかっただけかもしれない。それか、僕に濡れ衣を着せるために、敢えて遺体を残した可能性だってある。違うか?」

「可能性を追い始めれば、きりがありません。現状ではいかなる名探偵・名刑事であろうと、蓋然性を重視するしかないんですよ。そこで提案です。あなたの手を始めとする身体及び服、それからあなたの部屋の洗面台を調べさせてもらいましょうか」

「……」

 美濃は調べる理由を聞き返すことさえせず、黙り込んだ。心当たりがあると見える。

 そんな若者に代わり、近江ちかえさんが声を上げた。

「彼の身体に、犯行の痕跡があると言うんですね? 洗面台まで調べるのは、洗い落とした可能性を考えてのこと」

 ああ、用意していた台詞を全部言われてしまった。ワトソン役の出る幕がないじゃないか、まったく。

 もー。

「はい。駄洒落になってしまいますが、『灰』が決め手になるんじゃないかなと。ええ、煙草の灰です」

「……凶器の灰皿には、吸い殻も灰もなかった。発見時に、その場にいた全員で確認した」

 美濃が声を絞り出す。

「ええ。ですが、少し前に神戸オーナーが話されたように、松坂氏が逗留を始めてから喫煙をしていたのは間違いない。また、吸い殻を回収はするが灰皿そのものを洗いはしなかった、とも。これらが何を意味するのか。灰皿の表面には灰が付着したままだった可能性が非常に高い。灰皿を凶器として用いた際に、犯人の手に灰が移ったでしょうし、灰皿を振り上げたからには、少ないながらも灰を頭から被ったかもしれない。そういった灰を犯人が認識できていなかったら、手や指先、頭髪などにまだ灰が着いていると期待できる。仮に認識できていたら、多分、自室にある洗面台で洗い落とそうと試みるに違いない。共同の風呂は、夜を待たなくてはいけないですからね」

「……灰を調べれば、煙草のものかどうか、判別できるのかい、探偵さん?」

「うん? 灰の状態にも拠るが、目視でもある程度は可能だろうね。警察の科学力を借りれば、より確実だ」

「そうか」

 美濃は窓の方へ目をやった。地響きはまだ強めだが、もーもー声はようやく遠ざかり始めたようだ。

「分かった。認める。迷宮にはまった僕には、“アリアドネの糸”はなかったようだ」

 美濃太郎の自白のあとの発言は、何だか唐突に聞こえた。


 が、ことの顛末をまとめているときに、はたと思い当たった。

 美濃太郎とミノタウロスを掛けたんだな、と。


 おしまい

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モー推理 小石原淳 @koIshiara-Jun

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