あなたにとって最善の選択

oxygendes

第1話

 私には三分以内にやらなければならないことがあった。段取りが狂い、仕損じるあるいは時間を超過すれば破滅が待っている。

 店に入る前に深く息をし、自分の身なりを確認した。茶褐色のジャケットに同系色のスラックス、そして腕時計や靴もリサイクル店で買ったありきたりの品物だ。

 腕時計を見て時間を確認する。午後六時五十七分、本物の客が来店する七時までにすべてをやり遂げ、脱出しなければならない。左手の指輪を外し胸ポケットに収めて、店の扉を開けた。


 受付デスクの理恵が顔を上げ、私の頭から足元まで視線を走らせる。手元のタブレットに目をやってから微笑みを浮かべた。

「いらっしゃいませ、ご予約はいただいておりますでしょうか?」

 私は無言で頷く。

「七時にご予約いただいた市ノ瀬様ですね。しばらくお待ちください」

 理恵は早めに到着した予約客と判断したようだった。ヘッドセットのマイクを手で覆って小声で奥の部屋と連絡を取りはじめた。


 計画の第一段階は成功した。理恵は重度の相貌失認症だ。人の顔を判別することができないため、服装や声で人を識別している。いつもと違う服装の私を、初めて来店した客と判断したのだ。私は壁の電波時計を見る。既に一分二十秒が経過していた。


 理恵は顔を上げた。

「お待たせしました。どうぞ奥の部屋にお入りください。マダム美知恵が、あなたにとって最善の選択をお示しさせていただきます」

 私は頷いて、店の奥に進んだ。扉の前でジャケットのポケットから皮手袋を取り出し両手にはめる。部屋に入ると、顔をヴェールで覆い、黒いロングドレスで身を包んだ美知恵が、私を見て首を傾げた。

「あら? あなた、どうして……」

「ああ、ちょっとやらなければいけないことがね」


 私は足早に美知恵に近づいた。彼女のくびに手をかけ、指に力を籠める。

「え?」

 美知恵はぽかんと口を開けて私を見上げた。


 美知恵は私が営んでいた不動産屋の客だった。一人で訪れて来た彼女は占いの店を開くための物件を探していた。条件は、駅から徒歩圏だが大通りには面していないこと、前面と奥の二部屋に分かれていること、奥の部屋から直接外に出られる裏口があることなどだった。お客どうしが互いに顔を見合わせる事なく来店できるようにとのことだった。

 私は条件に合う物件をいくつか見つけ出し、彼女を案内した。彼女は廃業した元弁当屋の店舗を選び、契約した。彼女に頼まれて改装のための内装業者を紹介し、契約や出来上がりのチェック方法についてもアドバイスした。


 改装ができ上がった時、彼女からお世話になったお礼の意味も込めて私を占わせて欲しいと言われた。彼女は、相手の目を覗きこむことで、その未来を映像として視ることが出来、そこでの選択がどういう結果に結びつくかを察知できるのだと言う。

 『占い』を信じていた訳ではないが、お付き合いのつもりでやってもらった。顔を近づけ、私の目を覗き込んだ彼女の言葉は、

「私と一緒に占いの仕事をしているあなたの姿が視えました。それがあなたにとって、富と繫栄をもたらす最善の選択です」

だった。

 要は引き続きアドバイスしてほしいのだと判断した。不動産屋をしていると契約したお客に求められていろんなアドバイスをすることがある。それと同じだと考えて、彼女の仕事のお手伝いをすることにした。


 受付係の面接も彼女と一緒に行った。何十人もの応募者を見ていく中で、理恵の挙動に不自然さを感じた。私たちを見る視線がちらちらと動く。顔よりも胸元や手の先を見ていることが多いと感じた。もしかしてと訊いてみて、彼女が重度の相貌失認症であることが分かった。人の顔が覚えられないことでトラブルになり、前の職場をやめることになったのだと言う。だが、美知恵の意見は人の顔が覚えられないのは、かえってこの仕事に向いていると言うものだった。依頼人の顔を覚えないほうが、依頼人の秘密を守ることにつながると言う。そのため理恵を採用した。


 占いの店がオープンし、私は不動産屋の仕事の中で、いろんな愚痴をこぼしてくるお客にその話をした。その中の何人かが美知恵に占ってもらい、『最善の選択』がよい結果につながった。傾きかけた経営が好転したり、新規展開した店舗が大繁盛したりしたのだ。そうした人たちの口コミで美知恵の店のお客は増えて行った。


 私は美知恵の店の経理の記帳業務も手伝った。収入がいくらで費用が何と何か。自分の店でも行っていたことなので、特に面倒なものでは無かった。やがて、占いの店の売り上げが伸びる中で、美知恵から店を会社組織にしたいので共同経営者として名前を貸してほしいと言われた。複数人にした方が信用が増えるのだと言う。資本金を一万円にすると言うので了承した。もし破綻してもその範囲で責任を取ればよかった。


 占いの客が増え、売り上げも増えた。剰余金をどう運用するか、美知恵が取った手段は自身の占いだった。共同経営者である私を占えばよいと言う。私の目を覗き込み、彼女が視た最善の選択により株式に投資した。その株式は値上がりし、資産はさらに増えて行った。


 私は共同経営者として顧客リストにも目を通した。占いの的中により、著名な経営者や議員先生も顧客に加わって行った。納税しても会社の資産は増え、数千万円に達した。私はたいしたことをしていない自分が共同経営者であることに居心地の悪さを感じ、これでいいのだろうかと美知恵にこぼした。

 彼女の取った手段は当然のごとく占いだった。私の目を覗き込み、暫くして目をそらした彼女は押し黙ってしまった。何十回も占ってもらってきて初めてのことだった。やがて、彼女はおずおずと話し始めた。

「あの、あくまで視えたことをお話しするだけなので誤解しないでください。あなたがわたしと結婚するのが最善の選択と視えました」

 うつむいて顔を赤らめる美知恵を見て、私は彼女と結婚することを決めた。


 美知恵との結婚生活は充実したものだった。私は小さなマンションを購入し、二人の生活の拠点にした。普段は物静かな彼女は閨の暗闇の中では快楽に貪欲で奔放な女性だった。

 私が結婚指輪を着けるようになったことを、理恵は『これで社長を確実に見分けられます』と歓迎した。


 だが、私は美知恵との生活にいつしか息苦しさを感じるようになった。何か選択すべき事項が出て来たら、彼女は全てを占いで決めようとする。私の目を覗き込み、『私にとって最善の選択』が何かをとうとうと話すのだ。『私にとって』と言うが、それが視えているのは彼女だけ。実は『彼女にとって最善の選択』なのではないか、疑いを抱くようになった。

 こうした状況を変えるにはどうすればよいか、彼女と離婚することも考えた。しかし、それを口にしたら、彼女は『占いで決めましょう』と言うだろう。そして、『結婚を継続するのがあなたにとって最善の選択』と告げてくるのだ。

 私は彼女を亡き者にするしかないと思い詰めた。そして、そのための方法を考え付いた。決して警察に捕まることのない方法を。これがその方法なのだ。



カチカチカチ

 時計が時を刻む音で、私は我に返った

「え、今、何時だ」

 時計の針は六時五十九分五十秒を指していた。もう時間がない。私は崩れ落ちた美知恵の身体をその場に残し、裏口から逃亡した。


 警察からの電話が鳴ったのは、自宅についてから十分後、着替えを終えた後だった。私は占いの店に呼び出され、遺体の本人確認をさせられた。動かない彼女の姿を、理恵は真っ青な顔で見つめていた。

 警察は現場の写真をたくさん撮り、捜査に必要と言って美知恵の身体を運び去ってしまった


 翌日、私は警察署に呼び出されて、事情聴取を受けた。

 美知恵を恨んでいる人物に心当たりはないかとの質問に、顧客リストを渡して、『お客さんからは占いが当たったと喜ばれている。恨むとしたら、この人たちの成功をねたむ人ぐらいしか思いつかない』と答えた。

 警官たちはリストを見て顔を顰めた。著名な実業家や議員先生、こうした人たちを取り調べ、ねたむ人はいないかと訊くのは彼らにとって膨大な手間を要することなのだろう。


 私の後に、理恵が事情聴取を受けた。一時間ほどで戻って来た彼女を、捜査が終わり使用可能になった占いの店の奥の部屋に呼び込んで話を聞く。危険をはらんでいたが、どうしても確認しておかなければならないことだった。


「あんなことがあって気持ちが動転していると思う。君にはそもそも認識できていなかった部分もあるよね。でも、犯人を捕まえるために教えてもらいたい。あの時、訪れた人物について気が付いたことが有ったら、どんな小さなことでもいい。私に教えてもらえないだろうか?」

 理恵は私を見つめ、小さく頷いた。

「それって、警察にどう話したかってことですよね。大丈夫です、警察では『訪れてきたのは見たことのない男でした』って言っています。指輪を外していたってことも話していません」

「え?」

 面食らった私に、彼女は言葉を続けた。

「入って来られた時に指輪を着けていた跡を見て、すぐに社長だってわかりました。でも、いつもと違う服装で、わざわざ指輪を外しているので、あたしに気付いてほしくないのだと覚りました。だから、お客さんだと思ったふりをしました。その時は理由がわかりませんでしたけど」

 彼女は手を伸ばし、私の手を包み込むようにして握った。

「それがあんなことになるなんて……。でも、きっと理由があったんですよね。ああしなければならない理由が。安心してください、あたしは社長の味方です。だって……」

 理恵は私の目を見つめて微笑んだ。

「社長は居場所を求めていたあたしを受け入れてくださった。社長にとって最善の選択は、あたしにとっても最善の選択です。だから、あたしをずっとおそばに置いてくださいね。一緒に最善の選択をしていきましょう」

 私は言葉を失った。危険を冒して美知恵を取り除いたと言うのに何にも変わっていないではないか、わたしのやったことは一体……。



カチカチカチ

 時計が時を刻む音が聞こえた。

 いつの間にか私は跪いていた。床に向けて伸ばした二本の手の先に美知恵の顔があった。戸惑った表情で、私を見上げている。

 私は時計に目を向けた。時計は六時五十九分三十秒を指していた。

「な、何だ、これは。今までの出来事は一体……」

 何が起こっているのか、理解できなかった。美知恵がゆっくりと体を起こし、私の耳元に顔を寄せてきた。

「あなたも未来を視ることができるようになったのね。そこでどんな選択をしたのかしら?」

 私はぽかんと口を開けたまま、何も答えることができなかった。

「無理に言わなくてもいいわよ。もうわたしたちは一心同体なのだから。同じ穴のむじなかもしれないけど」

 囁くように話す彼女の顔はどこか晴れやかだった


                終わり

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