サピエント・スタンピード

技分工藤

Sapient Stampede

 ニューヨーク州総督バフィ・ベネットには三分以内にやらなければならないことがあった。スタンピードの沈静化である。


「スタンピードって何?」


 バフィは理想に向かって突き進む強い信念を持つ素晴らしい統治者だ。しかし、スタンピードの意味を知らないという実直な返事は事務次官のビル・ブライアントを大いに失望させた。


「知らないのですか⁉」


「ごめん。あー、急ぎの話?」


「間違いなく。これを見てください」


 ビルは事務室の端末を操作し、執務室のスクリーンに中継映像を映した。

 まさしく災害の光景だった。青空の向こうから土埃が巻き上がり、夥しい数の群れがこちらに向かって来ている。群れは芝生の生えた土を抉るように足を進めていた。まばらな家屋を打ち壊しながら駆ける様は怒涛そのものであり、全てを破壊するかのように突き進む災いだった。破壊されたニューヨーク市民の土地を見てバフィは震えた。


「バッファロー?」


「はい、」


 常軌を逸した映像を前に、バフィは努めて冷静に脳内のスケジュールを整理した。午後に控える科学総裁との会談はキャンセルだろう。午後の評議会も。ビルは説明を続ける。


「ニューヨーク州エリー群の現地映像です」


「この光景は、動物によるものなの?」


「はい。スタンピードとは、集団で移動し途中にあるものを全て破壊し突き進む動物の行動の一つです!」


「市民の避難は?」


「保安官が市民の避難に全力を尽くしています。しかし、計算ではあと三分で都市に到着してしまいます」


「残った時間は三分ね。この現象の原因は推測出来る?」


 そう言いながらバフィは大きな黒い目を伏せた。バフィは次のように想像しなければならなかった。つまりこの厄災は我らが文明の研究機関の杜撰なリスク管理の代償なのだと。


 暦は2200年代を迎え、アメリカ民主連合国は社会学の最も強力な領域、遺伝子工学を究めることで統一による繁栄を手に入れた。

 遺伝子改良されたコーンは5mほどに成長するようになり、市民の栄養豊富な食事を支える計画だった。しかし、巨大すぎるコーンの収穫に困った統治者は更に遺伝子改良を使って計画の改善を試みた。キリンのDNAを操作し、脳細胞を増大させることで農業に従事させることを可能にしたのだ。農夫がキリンに礼を述べると、キリンは英語で丁寧に「It’s my pleasure.どういたしまして」と答えた。文明は知性化のテクノロジーを手に入れた。



 今回の事件が遺伝子工学と無関係かは定かではないが、バフィは顔を上げて返事を待った。

 ビルは低い声で答えた。


「現状で、原因の特定は難しいという結論です」


「なら、仮定を置きましょう。どうあれ生き物。私たちが理解できるような行動の理由があるはず」


 


「スタンピードの原因は食料不足じゃない? 食料を配れば止まるかもしれない」


「リスクのある選択肢です」


「コーンは十分な備蓄がある。バッファローはみんなコーンが好き。お腹がいっぱいになれば、全てを破壊するなんて愚かな真似は止めるはず」


「私が意味しているのは、時間的なリスクが存在するということです」


 ビルがきっぱりと言い切る。


「その作戦が失敗した場合、スタンピードは間違いなく都市に到達します。他の方法を考えるべきです。もっと、破壊的な」


「出来ない。私たちは霊長で、知性的で、全てを破壊するような愚かな真似はしたくない」


 ビルが口を開きかけて、スクリーンに表示された時刻に目を向ける。舌打ちして端末の操作を始める。


「具体的な作戦内容は? どうやって食料を散布するんですか? 局員は避難していますよ」


「生体ドローンを使いましょう。損壊するリスクもないはず」


 共同で作成したプログラム指令に、バフィは軽やかな指捌きでコンソールに承認サインを入力していく。

 事務室の窓の向こうを鮮やかな翼が無数に飛び立ってゆく。飛ぶその鳥の種はハチドリ。学名をTrochilidae。青、赤、緑、の各々のグラデーションの極彩色は識別用の外装でもある。ホバリングなどの自由な飛行が可能なハチドリは遺伝子改造によって輸送用ユニットとして利用されている。食料コンテナに集合したハチドリはありえないほどバキバキに筋肉のついた脚でコンテナを掴み、運搬を始める。指令通りに動いたドローンを確認して、バフィは一先ず息をつく。


 その様子を見て、ビルが釘を刺すように一言呟く。


「私は最善案だとは思いませんでした」


「あら。素直に手伝ってくれたじゃない」


「口論するのは時間の無駄でした。貴方は突き進んだら止まりませんから」


「それは……、ありがとう。我儘だったわね」


「上司には逆らえませんから、意味がない」


 執務室に少しの間だけ沈黙が漂い、スクリーンから発するノイズがそれをかき消す。ドローンの視覚情報が送られていた。土煙をあげて突き進むスタンピード、その群れの表情が見えるほどにドローンは接近していた。ビルはその表情を改めて観察し、バフィは祈るように画面を凝視した。


「お願い、ごはんを食べて」


 ドローンがスタンピードの前方にコーンを投下する。金色に輝く粒が芝の上にキラキラと輝いて落ちる。

 最前列の一人が落ちたコーンに興味を示した。匂いを嗅ぐように鼻を近づける。完全に足を止めた。


「やったぁ!」


 その一人は後続の群れに踏み潰される。


「……あ」


 群れは前進を止めない。集団の誰一人として止まることが出来ない。全てを破壊しながら突き進むスタンピードは自らすらも破壊する。巻き上がる土煙の隙間から、土にまみれたコーンの実が果汁をまき散らして潰れている。


 バフィは見たものが信じられないと言うように脚を震わせる。


「食べ、ようと、してた」


 ビルは考え込むように目を閉じて呟く。


「食性の問題。スタンピードを起こす種族をもう一度調べる必要があるかもしれません」


 窓の外から市民の悲鳴が聞こえてくる。スタンピードは目視できる距離にあった。

 三分が経過した。


「わたし、酷い間違いをした」

 

「私達は仮説の検証をしました。間違いも正解もありません。効果のないことが検証出来ました」


「わたしのせいで、たくさんのものが壊れちゃう」


「世の常です」


「でも、あたしが、

 ニューヨーク州総督バフィ・ベネットがやらなければならないことが、

 出来なかった!」


「世の常です、全てが破壊されるのは」


 執務室の窓から、慌てふためく市民の姿が見える。スタンピードの到達が確定し、この市街も破壊されるであろうという恐怖が市民を混乱させていた。ある路地では逃げようとする市民が渋滞を起こし、群衆事故を起こしていた。ビルはその市民たちの表情を改めて観察する。


「有力な仮説が見つかりました。スタンピードを起こす動物として、バッファロー、ヤギ、シマウマ、そしてヒト。いずれも、肉食ではない。いうなれば被食者です。そして、この混乱は集団が攻撃されると判断した時に発生する。つまり、スタンピードとは被食者の知性的な反撃行動と言えます」


「そんなのおかしいよ」


「私はそうは思いません。穏やかな植物に知性がないのと同様に、全てを破壊し突き進むスタンピードが知性的であると思います」


 ビルはコツコツと足音を立てて部屋から出て行く。


「どこ行くの」


 バフィには見えなかったが、嫌な音がした。ジャキ、という装填の音。


「私は知性的なので、破壊的な作戦を実行します」


 ビルは執務室を出て行った。バフィは自分の理想が突き通せなかったという挫折を受け止めるのに精いっぱいで、頭が真っ白になり床に四肢を投げ出し、涙の溢れるままに任せていた。


 自責と後悔の時間は、現実に流れる時間よりずっと長い。同じ間違いを二度としないと心に刻んでも、挽回の機会が来ないなら心が刻まれるだけだった。外からは悲鳴と、液晶の砕ける音と、燻ぶる煙の臭いまでもが伝わってくる。全ては破壊されている。一番堪えがたかったのは、それは知性的に行われているというビルの言葉だった。


 バフィにかつてあった信念は破壊された。あらゆる生き物に知性があれば、破壊されるという悲しい出来事は存在しなくて、それを認めるような種は霊長に相応しくないとさえ信じていた。そう考えるバフィは今、体を丸めて床に転がっている。


「あはっ」


 矛盾していると感じて、笑ってしまった。知性的であろうとする自分が、まったくもって知性的でない時間を過ごしていて、わたしは結局のところ動物なんだと感じた。


「あはは」


 知性ではどうにもならない心臓が鼓動しているのを感じて、自分に心があることを実感して、この宇宙のままならなさが可笑しくなって、この考えることそのもの、わたしに与えられた脳そのもの重さが愛おしかった。


 この知性だって、遺伝子を組み替えればなくなってしまうのに?


「うん!」


 バフィ・ベネットは立ち上がった。理由の分からない衝動は矛盾していて、理性的なスタンピードだ。

 バフィはビルの後を追った。バフィは執務室の扉を頭突きで破壊し、それを矛盾しているとはもう考えなかった。




 市街地は混乱の頂点にあった。破壊された精密機材が爆発し、いたる所で火の手が上がっていた。ビルは避難する市民のしんがりでスタンピードの群れと戦っていた。


「なまじ知性があるだけ厄介ですね!」


 角を振るうビルに駆け付けたバフィが援護する。


「総督⁈」


「ビル、先の失敗はごめんなさい。今度は成功させます」


「本当に?」


「はい、わたしはもう」


 バフィは前足でコンソールを操作する。首にかけられたコンソール端末は、神々しいほどの輝きを放っている。


「破壊したくないなんて言いません」


 空が晴れ渡る。


「この知性だって、遺伝子を組み替えればなくなってしまうから!」


 自らの名を、四本指の蹄で軽やかにサインする。


「総督バフィ・ベネットの権限において、軌道衛星『コロッサス』を起動します」


 晴れ渡った空の上に、太陽と見まがう黒球が現れる。


「使用用途は遠隔遺伝子書き換え。地域はニューヨーク州 エリー群 バッファロー」


 対象を指定する。


「書き換え対象種族はヒト 学名 Homo sapiens」


 空から閃光が走る。目に一杯の光が天から降り注いで、そして、終わった。

 スタンピードを構成していたヒト種族には、被食者の恐怖を理解するほどの知性も失われて、ただ茫然と汚れた両手を振り上げたままに立ち尽くしていた。

 バフィは、自分が破壊したものの大きさを測りかねるように、前足で毛むくじゃらの頬を撫でた。ビルは、信じられないように角を振って、バフィに尋ねた。


「信じられません。本当にやったのですか?」


「成功するに決まってるよ。


「いや、他の意味があるのです。あれほど、破壊は嫌だと言っていたのに」


「だって、知性だって壊すよ。私たちは」


 バフィは後悔を打ち消すように、微笑んでバッファロー種特有の黒い鼻を鳴らした。


「全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れ」だから。

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サピエント・スタンピード 技分工藤 @givekudos003

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