バッファローと、ひなあられ

黒中光

第1話

 これは2024年3月3日に起きた事件の記録である。

 この日、日本全国に「バッファロー発見」の速報が流れた。場所は北海道。本来はアメリカやカナダに生息するはずのバッファローが日本に現れたのだから、それは大々的なニュースになった。しかも、どこかから一頭迷い込んできたというレベルではない。数百頭もの群れが発見されたのだ。

 動物学者のみならず、世間の人々の注目を集めたこのニュースは、珍しい生き物を一目見たいという野次馬達の関心を集め、北海道への道はひしめき合う車で大混乱となった。

 それが、悲劇の始まりであった。

 日の出と共に、バッファローが南下を始めたのだ。バッファローの体長は3m以上、四つん這いの状態でも頭の高さは2m。更に体重は1tを超える。この巨大動物が、一斉に道を全力疾走し始めたのだから堪らない。

 軽自動車はボールのように軽々と弾き飛ばされ、家には穴が空いた。逃げ惑う人々には容赦なく角が向けられた。

 この大混乱において、バッファローが行ったことはただ一つ。

 雛祭りの妨害である。

 小さな女の子がいる家は残らずドアを破られ、両親の腕で震える少女達の目の前で、バッファローは雛あられを貪り食い、甘酒を一滴残らず飲み干した。そして、泥だらけの蹄跡と、噎せ返るような獣臭を残して、次の家へと出撃するのだ。

 バッファローはたったの二時間で北海道を蹂躙すると、津軽海峡を泳いで青森に上陸した。

 もちろん、人間も黙ってはいない。警察と猟友会が連携して捕獲に当たった。しかし、この時点でバッファローの数は数千頭に膨れ上がっており、その中に数発の麻酔銃を撃ち込んだところで焼け石に水である。しかも、バッファローの首筋は分厚い毛で覆われており、それがクッションの役目を果たして、銃弾の威力を弱めてしまう。

 仕留めきれなかった場合、怒り狂ったバッファローを止められる物は誰も居ない。バリケードは破られ、機動隊が空中へ舞う羽目になった。

 バッファロー軍団が関東地方へと進出してきた頃、少女の泣き声と親の怒号に背中を蹴られる形で、内閣が自衛隊にバッファローの駆除命令を出した。

 早速、陸上自衛隊は歩兵部隊を投入し、バリケードで防衛線を築き、20式小銃が火を噴いた。これは麻酔ではなく、実弾である。しかも、毎分800発という速度での連射性から、これでバッファローを駆逐できると防衛省は太鼓判を押す記者会見すら行った。

 実際、警察の捕獲作戦とは比べものにならない打撃をバッファローに与えることができた。何発もの銃弾を一斉に浴びたバッファローは次々とアスファルトに突っ伏していった。

 しかし、バッファローの謎の増加は留まることなく、既に数万頭にまで膨れ上がっていた。市街地戦で大規模な展開ができなかった自衛隊は数でゴリ押しするバッファローを相手に次第に後退、ついに戦線は突破され、ひなまつりコーナーを設けていた銀座、池袋周辺の百貨店には、バッファローの黒々とした大群が押し寄せ、美しく盛り付けられたちらし寿司に口を突っ込んだのであった。

 日本はバッファローに敗北したのである。首相官邸を駆け回るバッファローの映像が電波に乗って世界中に拡散され、全世界に衝撃と爆笑と嘲笑を持って迎えられた。

 正午には、関東・北陸地方が陥落した。

 こうなると、人々はパニックである。どこに逃げれば良いかも分からず、とりあえず西に逃げようとする人たちで高速道路は渋滞、駅では電車に乗れない人々で暴動が起きた。

 路上では、家に押し入られないようにひなあられや甘酒を道に捨てる家庭が続出した。道は甘ったるい匂いが充満した。

 人間の混乱を余所に、バッファローは邪魔者を押しのけ、跳ね飛ばした。本州を制圧した後は、再度海を渡って、四国・九州へ。日が沈み始めた頃には沖縄にまで出現した。

 そして、日没と共に一頭残らず突然消えた。

 後に残ったのは、破壊された家具や踏み荒らされた庭だけである。被害者達は失われた自分たちの努力の結晶を思い、泣き叫んだ。あるいは、これからの労苦を思い膝をついた。

 バッファローの食べかすには虫やカラスが群がり、衛生面での課題が既に叫ばれている。

「有識者」たちは、バッファローが何故現れ、どうしてひな祭りを徹底的に狙ったのか、白熱の議論を始めているが答えなど分かるはずがない。

 問題は、来年である。来年の雛祭りにもバッファローは現れるのであろうか。来ないと決めてかかる理由は一つも無い。

 故に、この記録を読んでいる貴方にも十分気をつけて欲しい。貴方自身の知恵と行動だけが、貴方をバッファローから守ることができるのだから。この記録が後世の人々の安全に僅かでも寄与することを願ってやまない。


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