浦島太郎 ~四季の部屋~

 男は後悔にさいなまれながら立ち尽くしていた。


    *


「ここから先は決して話さないで下さい」

 乙姫はそう言って先に立って歩き始めた。


 ここに来て以来、毎日毎日信じられないほど沢山の種類の豪華な料理をご馳走になっていた。

 食事の合間には美しい女性達が舞を披露してくれた。


 食事も豪勢だったが、竜宮城というこの建物も信じられないくらい大きかった。

 装飾も見たこともないものばかりで美しく輝いている。


 男は勧められるままそこで暮らし始めた。

 乙姫は毎日竜宮城の中を案内してくれたが、何日掛けても見尽くせないくらい沢山の部屋があった。


 ある日、案内の途中で乙姫が扉の前で立ち止まった。


「いいですか、もし扉の向こうにいる人に何か言われても決して話さないで下さい」

 乙姫の言葉に太郎は頷いた。

「ここは四季の部屋です。部屋の向こうにはそれぞれの四季があります」

 そう告げると最初の扉を開いた。


〝はなぐはし 桜か雲か 白きみね 春のさかりの み吉野の山〟


「ここは春の部屋で、あの山は吉野の山です」

 乙姫はそう言って桜が満開の山を指した。

 山は満開の桜で白く染まっている。


「ここがかの有名な吉野の山……」

 男は感動した様子で言った。


 吉野の山での花見を十分堪能たんのうしたところで次の部屋に向かう。


〝なつくずの たえぬ白波 うちよする 海にかかるは 天橋立〟


 扉の向こうには夏空が広がっていた。

 海を隔てた対岸は山だ。

 抜けるような青空と紺碧こんぺきの海、そしてその海を横断するように松の生えた砂州さすが対岸まで伸びている。


「ここは天橋立です」

「天橋立……聞いた事はある気がするが……」

「丹後国です」

 乙姫はそう付け加えたが、丹後国がどこなのかも知らない。

 だが、美しい景色なのは間違いない。

 何より海の上を橋のような松林が続いているのは珍しいことこの上ない。


〝さよ衣 重なる萩と 紅葉ばに 錦に染まる 衣川の瀬〟


「こちらは秋の部屋です」

 乙姫が言った。


「ここは……」

 男は目を見開いた。

 ここは男の故郷だった。


 懐かしい風景を目を奪われていると、

「あの山を知ってるのかね」

 不意に誰かに問われた男は思わず山の名を答えていた。


〝なつかしき けしき見むとて 山の名を いはてと君は いいましものを〟


 男が気付くと辺りには誰もいなかった。

 乙姫の姿も消えている。

 竜宮城へ戻る扉も見当たらない。


 夢だったのだろうか……。


 男は仕方なく自分の家に向かった。


〝いくとせの 春過ぎやらむ ふる里の むぐらの宿に 知る人ぞなき〟


 男の家は雑草に覆われていた。

 父も母もいなくなっている。


 隣の家に行ってみたがそこにいたのは知らない人達だった。

 話を聞いているうちに、男が竜宮城に行っている間に長い年月が経っていたことを知った。

 男の家族は皆はるか昔に亡くなっていた。


 家族だけではない。

 知っているものは誰一人生きていなかった。

 信じられないくらい長い年月が立ってしまっていたのだ。


 悔やんでみてももう遅い。

 竜宮城に戻ることも男が生きていた時に戻ることも出来ない。

 男はただその場に立ち尽くしていた。


〝てる月に しづの切る木の 手斧音 ほとほとしき年 ふるも悲しき〟


 * * *


枕詞:被枕

花細はなぐわし:桜

夏葛なつくずの:絶え

小夜衣さよごろも:重ね

手斧音ておのおとほとほと


掛詞

いはて:「いはで(言わないで)」と「岩手(岩手山:歌枕)」

ほとほとし:「ほとほと困った」の「ほとほと」と斧で木を切る「ほとほと」という音の掛詞


しずきこり

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歌語り 月夜野すみれ @tsukiyonosumire

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