後編

「あの、ぬしさん達は……?」

 雪桜が祖母ちゃんに訊ねた。

『達』と言ったということは雪桜にも二人が見えていたのだ。

 祖母ちゃんが主にあらかじめ姿を現すように言っていてくれたのだろう。


「娘が二、三年前に家出したらしいのよ」

「理由は?」

「主と喧嘩したらしいわ。人間でもよくあるでしょ」

「化生にもよくあるものなのか?」

「まぁね。朔夜がこっちに来てたのも奥さんと喧嘩したからだし」

 この奥さんというのは天狗で高樹の母親とは違う女性である。

 朔夜がこっちに来ていたのは江戸時代の話なのだ。

 高樹の母親は普通の人間である。


「家出を探すのもよくあるのか?」

 俺は祖母ちゃんに訊ねた。

 もしかして朔夜が山に戻ったのも奥さんが捜しに来たからだろうか。

「探すのはあんまりないわね」

 祖母ちゃんの返事に危うく「朔夜の奥さんも来なかったのか?」と聞きそうになってしまったが高樹の前で行くのも躊躇ためらわれ――。

「親父も奥さんが迎えに来たのか?」

 当の高樹が質問した。

「いいえ。あかつきとは仲が冷え切ってたから」


 化生にもそう言うのがあるのか……。


「それで、主さん達の人捜しのお手伝いは……」

 雪桜が話を戻した。

「無理ね。人間に化けてるとしたら見た目が分からないし、化生の姿なら陸にはいないし」

 そう言って祖母ちゃんは肩をすくめた。

 化生の姿が見えるとは言え人間と同じ姿をしていたら区別は付かないし、雪桜に至っては全く見えないし聞こえない。

 当然すれ違っても分からない。

 だが、それは俺達の話であって祖母ちゃんは顔が分からなくても気配で分かるはずなのだが探してやるつもりはないらしい。


「神田川の場所教えといたわ」

 祖母ちゃんがどうでもよさそうに言った。


 東京の川に住んでる化生なら祖母ちゃんに教わるまでもなく神田川の場所くらい知っていると思うが……。


 とはいえ祖母ちゃんの言う通りで、俺達に出来る事はなさそうなので主の娘の話はそこで終わった。


「引越が決まったんだ」

 放課後、俺達がいつものようにファーストフード店に入ると高樹が言った。


「大して離れてないとこに引っ越す意味あるのか?」

「家賃が今までの三分の二くらいでむらしい」

「てことは、やっぱセット割だよな。化生はいなかったしお化けも一人だけだから他にセットになるのは欠陥……」

「借り手が付かなかったって言ってただろ。例の……」

 高樹が言葉をにごす。

 食事中に大量のハエの話はしたくないのだろう。

 と言うか、俺や雪桜も食べられなくなりそうだ。

 秀は割と動じない性格をしているから平気かもしれないが。


「引越って何十万も掛かるんだろ。それだけ出しても最終的に安くなるものなのか?」

「半年くらいで元が取れるらしい」

 高樹が答えた。


 そんなに安いとしたらやはりセット割だと思うんだが……。

 お化けが悪霊だとか欠陥があるとか……。


「引越の手伝いするよ。少しは費用が安くなるんじゃない?」

 秀の言葉に俺も同意するように頷いた。

「サンキュ」

 高樹が答えた。


 と言うことで俺達は高樹の引越を手伝うことになった。

 費用を安くあげるためだけではなく、本当に安全なのか確認の意味でも見ておきたかった。

 と言っても俺達には分からないから祖母ちゃんに見てもらうのだが。


 引越の日の朝、俺と高樹は引越先のマンションに来た。

 業者が廊下やエレベーターが汚れたり傷が付いたりしないように養生している間に部屋の鍵を開けておくのだ。


 ドアを開けて中を確かめ、問題が――。


「きゃあ!」


 あった――。


 二十代半ばくらいの男女が部屋の中で抱き合っていた。

 本来ならここは無人のはずなのに。


「誰だ!」

 男性の言葉に、

「それはこっちの台詞だ」

 俺は思わず言い返してから、もしやお化けではないかと不安になった。


 いくら友達の家でもお化けが沢山いるリアルお化け屋敷に遊びに来るのは嫌だ……。


「オレはここに引っ越してきたんだ」

 高樹が答える。

「え、いつ!?」

「今日からだ。今から荷物を運び込む」

 高樹の言葉に男女が顔を見合わせた。


「どうやってここに入った」

「鍵で……」

「なんで鍵持ってんだ?」

 俺の質問に男性は答えず、女性と顔を見合わせた。


「通報する」

 高樹はそう言ってスマホを取り出した。

「待ってくれ! それは困る」

「だったらなんで鍵を持ってたか言え」

 高樹が言った。

 確かに簡単に合鍵を作れるようでは不用心極まりない。

 男性が落ち着かない様子で視線を左右に動かす。

 それを見た高樹がスマホ画面を押そうとした。


「前の仕事先がこの部屋を貸してたんだ!」

 男性が慌てて答える。

「仕事先って……不動産会社か?」

「そうだ。ここは孤独死があって現場がひどい状態だった上に出るって噂があって借り手が付かないから……」

「勝手に利用してたのか」

 高樹の言葉に男性が後ろめたそうに頷いた。


「……あっ!? 失踪した社員か……!?」

 俺が声を上げる。

「失踪って……黙って会社めただけ……」

「もしかしてそれ最近か?」

「去年だ」

「その人も元社員なのか?」

 高樹が女性に視線を向ける。


「いや、会社とは関係ない」

「内見の案内した人じゃないのか?」

「え?……ああ、そうか。会社を辞める前に内見だって言って鍵を持ち出したんだった」

「じゃあ、内見に来て失踪したんじゃないって事だな」

 鍵を持ち出してすぐに出社しなくなったから失踪したと思われたようだ。


 人騒がせな……。


「その前の失踪事件は?」

「え?」

「あんたの前にもこの部屋の誰かが行方不明になったって噂が……」

「家賃滞納で夜逃げした人の事か?」

 男性の言葉に俺と高樹は顔を見合わせた。

 夜逃げなら死んでないからお化けが言ったことは事実だ。

 それにお化けは『夜逃げ』とも言っていた。

 つまり神隠しはなかったのだ――孤独死はあったが。


「まぁいい。通報はしないから出て行ってくれ」

 高樹がそう言って手を出した。

「部屋の使用料請求する気か!?」

「鍵を渡せって意味だ。うちに勝手に入られたら困るからな」

 高樹の言葉に男性は仕方なさそうに鍵を渡した。


「孝司、ぼう……こんなとこで何してんの?」

 俺達に声を掛けた祖母ちゃんが部屋を出ようとしていた男女に言った。

 祖母ちゃんの言葉に俺と高樹だけではなく、男女も怪訝けげんそうな表情を浮かべた。

「あんた、おすみでしょ。ぬしが探してたわよ」

「主って……え!? じゃあ、しょ……」

 言い掛けた俺の脇腹を高樹がつついた。


 そうか、男性が普通の人間で彼女が化生だという事を知らないのなら口を滑らすのはマズいな……。


「あ、あたしはすみなんて名前じゃ……」


 墨……。


 現代人は普通、名前の上に〝お〟を付けたりしないから『おすみ』と呼ばれたら『小隅おすみ』とか『大角おすみ』だと考えるだろう。

 化生というのは、知り合いの化生の血が流れている者は親や祖父母が分かるものらしい。

 主が高樹を見て朔夜の息子だと気付いたように。


「そ、人違いだったようね」

 祖母ちゃんはあっさり引き下がった。

 だが祖母ちゃんが間違えるとは思えないから家出している主の娘なのだろう。


「孝司、望、もうトラック来てるわよ。早くしなさい」

 祖母ちゃんの言葉に俺達が戸口からどくと女性が男性をかして部屋から出てきた。

「なぁ、あんたが元社員ならこのマンションに危険人物が住んでないか知ってるよな?」

 俺は男性に訊ねた。


 まだ社員なら借り手が付かないと困るから教えてくれないだろうがもうめたのなら内緒にしたりする必要がないはずだ。

 場合によっては守秘義務があると言っても無断で辞めるような人間はそんなもの守らないだろう。


「聞いてないな」

 男性はそう答えるとエレベーターに向かった。


 引越が終わった数日後、高樹の母さんが手伝いのお礼と引越祝いを兼ねて俺達を家に招待してくれた。


「この時期はクリスマスケーキしか売ってなくて。ごめんなさいね」

 高樹の母さんがケーキを出しながら謝った。

「お構いなく」

「クリスマスケーキ大好きです」

「ご馳走になります」

 俺達はそう答えると、

「じゃあ、ごゆっくり」

 高樹の母さんはそう言って台所に戻っていった。


「で、この前の女の人は主の娘だったんだろ。主には教えたのか?」

「教えたわよ」

「それで? あの女性ひとは川に戻ったのか?」

「てか、喧嘩で飛び出したんだろ。なんで男と一緒だったんだ?」

「あの男との仲を反対されたそうよ」

 祖母ちゃんが答えた。


「人間との恋は禁止なのか?」

「あれは人間じゃなくてゴイサギ」

「え……!? あの男性のことだよな?」

「そうよ、お墨は魚だし」

「魚ってゴイサギの餌なんじゃ……」


 捕食者と被食者の禁断の恋なのか……?

 人間とバンパイアの恋的な……。


「それは小さい魚。主は人間くらいの大きさだから鳥には食べられないわよ」

「え……!? 東京の川にそんなデカい魚がいるのか!?」

「鐘ヶ淵に住んでる主っていうのは昔から有名だけど」

 そう言われても鐘ヶ淵というのはこの辺りではないから――というか、この近辺だとしても化生の話は聞いたことがないから知らない。

 祖母ちゃんは家を出ていく前は化生の話をしたことがなかった。


「反対の理由が天敵だからじゃないならなんだ?」

ぬしの一族はあのゴイサギの一族と犬猿の仲だったから」

 おそらく仲が悪い理由は人間には理解しがたくて聞くだけ無駄だろう。

「昔、あのゴイサギの仲間が主の仲間を騙したせいで漁師に捕まったのよ」


 突然日本昔話の世界に……。


「それで、主の娘さんとゴイサギさんはどうなったんですか!?」

 雪桜が食い付き気味に訊ねた。


 女の子って恋愛話コイバナ好きだな……。


「主と話し合いはしたみたいだけど結局折り合いが付かなかったみたいで鐘ヶ淵には戻らなかったみたいよ。お墨も大人なんだし」

「じゃあ、大都会で恋人と二人きりなんですね!?」

「まぁ……そうね」

 祖母ちゃんが苦笑しながら答える。

 化生だとしたら普通の人間より長く生きているだろうし、そのかんずっと東京に住んでいたなら知り合いは大勢いるはずだ。

 その知り合い全員と縁を切ったわけではないなら親とは顔を合わせないと言うだけで別に頼れる者がいないと言う事はないだろう。

 だから祖母ちゃんも歯切れが悪いようだ。


「今頃、クリスマスを恋人と二人だけで……」

 雪桜が夢見るように言った。


 今頃は不動産屋巡りの最中だと思うが……。


 今まで空き家に勝手に住んでいたのが出来なくなったのだ。

 だがロマンチック(なのか?)な空想に浸っている雪桜の夢は壊さないでおいた。


     完

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

鯉の恋 ~東京の空の下~ 月夜野すみれ @tsukiyonosumire

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ