中編

 休み時間、高樹と雪桜が俺と秀の教室にやってきた。


「夕辺、母さんに話を聞いたんだ」

 高樹が言った。


 昨日の放課後、高樹は頼母に話を聞きに行き、俺達は祖母ちゃんから話を聞いた。

 祖母ちゃんから高樹の母親が昨日の昼に内見に言ったと言う事は聞いていた。

 仕事を休んで――祖母ちゃんは普段、昼間は大人の姿に化けて働いているのだ――高樹の母親の内見を見ていてくれたそうだ。

 高樹の母親や不動産会社の職員には化生が見えないので影からこっそり――ではなく堂々と近くに立って見ていたらしい。


「引越を考えているのは本当らしい。家賃が安いんだそうだ」


 事故物件だもんな……。


 俺は胸の中で呟いた。

 祖母ちゃんによると、やはり化生はいなかったらしいがお化けはあそこに取りいているらしい。


「事故物件じゃないぞ」

 高樹が俺の心を見抜いたように言った。

「あの部屋では誰も死んでないそうだ」

 隣の部屋なのである。あのお化けが取り憑いているのは。


 祖母ちゃんがそう言っていた。

 ちなみにその部屋には入居者がいるらしい。

 その入居者には見えないからお化けに気付いていないようだという話だった。

 誰だか知らないが幸せな人だ。


 俺だってお化けは見えなくていいのに……。


「安いのは古いかららしい」


 と、思いたいんだな……。


 俺は心の中で高樹に突っ込んだ。

 そんなに古そうには見えなかったし、仮に古かったとしても新宿駅まで徒歩十五分のマンションの家賃が安いのは事故物件でなければ生活に支障を来すような欠陥があるという事になる。


 お湯が出ないとか鉄骨が入ってないとか……。


 いつ大地震が来てもおかしくない東京で鉄骨無しのマンションはシャレにならない。

 といっても安いのは事故物件だからだ。

 鉄骨は入っているだろう――多分。

 事故物件の上に鉄骨無しだったりしたら踏んだり蹴ったりもいいところだ。

 祖母ちゃんには化生やお化けがいるかどうかは分かっても手抜き工事かどうかは判別が付かない。


 それはともかく安い理由はお化けだけだとして、失踪の理由が化生やお化けではなかったとしたら――推定無罪の原則を適用して今はあのお化けのせいではないという事にしておく――行方不明は一体なんだという事になる。


「師匠は立ち聞きした以上のことは知らないらしい」


 立ってはいなかっただろ……。


 屋根裏にいたのならヘビの姿だったはずだ。


「綾さんも化生はいないって事しか分からないみたいだよ」

 秀が言った。

「そうなるとあの幽霊に話を聞いてみるしかないから今日の放課後行ってみる」

「そうか――」

「なら僕達も一緒に行くよ」

「――えっ!?」

 秀の言葉に俺は驚いて声を上げた。


「孝司は高樹君のこと心配じゃないの?」

 秀がとがめるように俺を見た。

「心配じゃないわけじゃないんだが……」


 お化けは怖い……。


 そう言いたかったが雪桜の前で情けないことは言いたくなかった。


「別に話を聞くだけなんだから一人でも大丈夫だ」

 高樹が俺に気を使ってそう言った。

「いや、万が一失踪があのお化けのせいだったら大変だから……一緒に行くよ」

 俺は渋々そう答えた。

 高樹のことが心配してないわけではないのだ。


 お化けが怖いだけで……。


 だから高樹がお化けに話を聞きに行くというのなら念のため同行するが――。


 お化けが留守だったりは……しないだろうな……。


 俺は心の中で溜息をいた。


 放課後、途中の中央公園で祖母ちゃんと会った。

 祖母ちゃんと一緒にマンションへ向かおうと思ったのだ。


 だが、祖母ちゃんは二人組の男女と一緒だった。

 女性は大きな鯉の絵柄の着物を着ている。

 男性も渋い色の羽織袴だ。

 祖母ちゃんの知り合いのようだし、それで着物姿ということはこの二人も人間ではないのだろう。


「祖母ちゃん」

 俺が声を掛けると、祖母ちゃんは着物の男女に向かって、

「この子が私の孫の大森孝司、こっちが孝司の友達の内藤秀介と高樹ぼう――」

のぞむだ」

 高樹が訂正する。

「――と東雪桜」

 と紹介した。

 それから、

「この二人は大川の鐘ヶ淵かねがふちに住んでるぬしよ」

 と二人組を見ながら紹介した。


〝主〟は名前なのか……?


 と思ったが突っ込まなかった。


『ぬ』さんと『し』さんではないと思うが……。


「川に住んでるってことは河童か?」

「違うわよ」

「その子、朔夜の……」

 女性が高樹に視線を向けた。

「息子よ」

 祖母ちゃんがそう言うと二人は納得したようにうなずいた。

 二人も朔夜の知り合いのようだ。


「で、用って?」

 祖母ちゃんが二人に質問した。

「娘を探してるの」

 女性が答えた。

 化生の娘なら普通の人間ではないだろう。

 最低でも半分は化生のはずだ。

「半分じゃなくて完全な化生よ。この二人の子供だから」

 祖母ちゃんが俺の心を読んだように言った。


 俺はそんなに表情に出るのか……?


 それはともかく――。


「俺達に探せるのか?」

「あんた達に頼みに来たんじゃないわよ」

 祖母ちゃんが言った。

 そりゃそうか。

 俺達のことは知らなかったのだ。

雨月うげつの耳に入ってないか聞きに来ただけなの」

 女性が答えた。

「じゃあ、祖母ちゃん抜きで行くか」

 俺は秀達に声を掛けると祖母ちゃんに顔を向けた。


「祖母ちゃん、俺達、あのマンションのお化けに話を聞きに行くから」

 俺がそう言うと祖母ちゃんは「分かった」というように頷いた。

「取りかれないように気を付けて」

「え!? やっぱり取り憑くのか!?」

「冗談よ」

「心臓に悪いからやめろ!」

 そんなやりとりをした後、俺達は祖母ちゃんをその場に残してマンションに向かった。

 雪桜が俺達にいてきたが祖母ちゃんが何も言わなかったということはおそらく大丈夫なのだろう。


 俺達が廊下を歩いて行くとこの前と同じところで白いものが現れた。


 俺は視線をらしながら立ち止まった。


「幽霊さんが出たの?」

 雪桜が俺に訊ねてきた。

「ああ」

「こーちゃん、怖いなら私の後ろに隠れててもいいよ」

 雪桜が無邪気な笑顔で言った。

「いや、大丈夫だ」

 俺は顔を引きらせながら答えた。

 女の子の後ろに隠れるのはさすがに羞恥しゅうちが優る。

 祖母ちゃんの後ろには隠れたが祖母ちゃんは見た目が女の子なだけで人間ではない。


「聞きたいことがあるんだがいいか?」

 高樹が俺達のやりとりを無視してお化けに声を掛けた。

 お化けがうなずく。

「あ、姿を現せるんなら現してくれ」

 俺が付け加えた。

「出てるでしょ」

 お化けが怪訝けげんそうな表情で答える。

「いや、彼女はお化けとか見えないから」

 俺はそう言ったがお化けは首をかしげている。


「まぁいい。ちょっと聞きたいんだが昨日ここに不動産業者が内見に来ただろ」

 高樹がそう言うと再度お化けが頷いた。

「その部屋で誰か消えたことはないか?」

「引越や夜逃げで出て行ったんじゃなくて何かに襲われて死んだりとか」

 高樹と秀が言った。


「悪い人に殺されたとかじゃなく?」

「人間以外の何かだ」

「待て! 殺人事件があったのか!?」

 俺が突っ込んだ。

 高樹はスルーしたが、化生やお化けではなくても凶悪な人間が出入りしているなら危険なことに代わりはない。

 むしろ退治すれば出てこなくなる化生の方がマシまである。

 例えばこのお化けがどこかで殺されて死体がここに運ばれてきて部屋の壁に埋まっていたりするなら危険な人間が出入りしているという事だ。

 それはそれで問題である。


「ここでは見たことない」

「ならどこで見たんだ?」

「テレビ」

「……お化けがテレビ持ってるのか?」

「このうちの人が良くてる」

 お化けがドアを指す。


 なんでお化けがテレビ観るんだよ……。


「ホントに人が襲われてるのは見たことない」

「今日不動産会社の人が女性を連れて内見に来たんだよね?」

 秀の問いにお化けが頷く。

「その家で人が失踪したことは?」

「空き家になった理由は?」

 秀と高樹が訊ねた。


「失踪はないと思うよ。その部屋の人は死んだの」

「なんで死んだんだ?」

「病気だと思う」

「分からないのか?」

 俺が訊ねた。


 お化けの話によると孤独死らしい。

 死因は知らないそうだ。

 病院で検死があって判明したとしても隣の家の幽霊に報告はしない。

 だからたまたま誰かが近くで話をしない限りお化けには分からないのだ。

 お化けが知っているのは異臭に気付いた警備員が通報して警察などが来たことと、その後、誰かが来て家具などを運び出していったことだけだった。


「病死で家賃が安くなるものなのかな? その亡くなった人も出るの?」

「ガス中毒で亡くなったとかじゃないか? 欠陥住宅でしょっちゅうガス漏れするとか」

 秀と俺がそう言うと高樹が露骨に嫌そうな表情になった。

 お化けが何人もいるリアルお化け屋敷も、いつ事故が起きるか分からない欠陥ロシアンルーレット部屋も、どちらも願い下げだからだろう。


「違うよ。新聞に出たからだよ」

 お化けが言った。

「何が?」

「発見された時の様子が」

 お化けの言葉の意味が分からなくて首をかしげる。

「遺体にハエが沢山いて網戸にびっしり付いててまるで黒い布が動い……」

「よせ!」

 高樹がお化けの言葉を遮った。

 お化けや化生は平気でも大量のハエは嫌なのだろう。


 沢山のハエとか別の意味でホラーだもんな……。

 ハエを見る度に網戸をおおくすハエの大群を想像するだろうし……。


「……えっと、その前の人は?」

 雪桜がお化けがいるであろう方を見ながら言った。

 お化けが見えないし声も聞こえないから俺や秀が雪桜にお化けの言葉を伝えていたのである。

「前の人?」

 お化けが怪訝そうな表情を浮かべる。

「そっか、不動産会社の人が怖がってたのは失踪が二度目だったからだよね」

 秀が言った。


 そういえばそうだった……。


 頼母がわざわざ俺達に教えに来たのも失踪が初めてではないと聞いたからだ。

 俺達はお化けに色々聞いてみたが、思い当たる節がなくて何を知りたいのか分からないのか要領を得なかった。


 お化けは隣の部屋で自殺したらしい。

 遺体は発見されて葬式も済んだとのことだったので壁に死体が埋まっているわけではないそうだ。


 死体を見付けて供養してやれば出てこなくなるかもしれないと思ったのに……。


「おい、お前達!」

 不意に男の声がした。

 振り返ると警備員が歩いてくるところだった。

「ヤバい……!」

 俺は焦ったが警備員は俺達の横を素通りして行ってしまった。

 そのまま突き当たりの階段から下に降りていく。


「まだ話は終わらないの?」

 いつの間にか来ていた祖母ちゃんが言った。

「祖母ちゃん……助かった」

 また警備員を化かしてくれたのだ。

「とりあえず出直そう」

 高樹の言葉に俺達はマンションを後にして近くのファーストフード店に入った。


「お化けから聞いたことをまとめてみよう」

 全員が飲み物を買って席に着いたところで俺が言った。


「前の住人が孤独死したのが数年前」

「それ以来借り手がつかないから家賃が安いんだよな」

「その人はお化けになってない」

「その前に住んでた人も生きて出ていったって言ってたんだよね?」

 雪桜の問いに俺は頷いた。

 一応お化けの返事はその場で教えてあったが雪桜には聞こえなかったから確認したのだろう。


「事件事故は幽霊の知る限り起きてない。少なくとも人死にが出るようなのは」

「内見には何度か来てたけど普通に帰っていった」

「つまりあの部屋には人を喰う化生の類は出ないって事だよな」

「人をうお化けも」

 俺が付け加えた。

「幽霊が人間を食べるの?」

「人をうようなのは化生よ」

 秀の疑問に祖母ちゃんが答える。


「なら不動産会社の新入社員が先輩に一杯食わされたって事か?」

「意地の悪い先輩の嫌がらせとか」

「化生は住み着いてないんだな」

 俺は祖母ちゃんに念押しした。

「少なくとも今のところはいないわね」

 祖母ちゃんが答えた。

 なら当面は大丈夫そうだ。

 内見も近くで見ていたんだから何かあれば気付いているだろう。

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