鯉の恋 ~東京の空の下~
月夜野すみれ
前編
新宿中央公園。
都庁第二庁舎を背に、眼帯に袴を履いた着物、腰に二刀を帯びた男が立っている。
ただでさえ時代劇から抜け出したような格好なのに、今はクリスマスのイルミネーションが植え込みにあるから浮きまくっている。
サンタの帽子を被ったトナカイの隣に武士みたいな男……。
「前々から思ってたんだが……刀差して歩いてて捕まらないのか?」
俺は眼帯の男を指しながら近くを歩いていた女子高生のような見た目の少女に訊ねた。
「人間には見えないから」
少女――俺の祖母ちゃん――武蔵野綾が言った。
祖母ちゃんは狐だ。
そして眼帯の男は大マムシが人間に化けている。
ちなみに俺の名字は武蔵野ではない。
祖母ちゃんは十年前に家を出て名前を変えたのだ。
「ならなんで人間に化けるんだ?」
普通の人間には見えないのなら姿はなんでもいいはずだ。
「蛇と話すのは嫌でしょ」
祖母ちゃんの答えに、それもそうかと思って頷いた。
普通の蛇なら怖くはないが、彼は大マムシなのだ。
正体を見たことはないが二百年以上生きているらしいから
開いた口の
マムシの餌はネズミや鳥だと聞くが、それは丸呑み出来る大きさがそれくらいだからだ。
人間を飲み込める大きさのヘビなら人を喰うだろう。
話すために口をぱくぱくしている間にうっかり飲み込まれてしまったらシャレにならない。
うん、やっぱり普通の人には姿が見えないとしても人間に化けていてくれる方がいいな……。
普通の人間の口の大きさでは人は飲み込めないからな……。
祖母ちゃんは
無論、動物の狐ではなく化生――いわゆる妖狐というヤツである。
生まれた時は動物の狐だったらしいが。
化生としての物心――というのか?――が付いた頃に江戸城の築城が始まったと言うから大体四百歳くらいだろう。
俺はその孫だが母さんは人間だし父さんも化生の血は半分だけだから四分の一だけ狐ということになる。
四分の一だと化生が見えたり声が聞こえたりする以外は身体が丈夫で少し長生き出来るという程度らしい。
それはともかく、いくら化生は働いていないといっても用もないのにこんな所に突っ立って時間を潰したりはしない。
俺達に用があって来たのだろう。
俺は一緒に下校してきた内藤
秀と雪桜は俺の幼馴染みで普通の人間である。
いや、俺も普通の人間だが。
秀は化生が見えるが雪桜は全く見えないし聞こえない完全な人間なのだ。
そして今年の春に友人になった高樹は父親が天狗なので半分天狗だ。
当然、見えるし聞こえる。
「俺達に用か?」
俺が声を掛けると、
「この近くに化生が出ているらしいのだ。調べた方がいいのではないか?」
と、大マムシ――
俺が訊ねるように祖母ちゃんに顔を向ける。
頼母は高樹に剣術の指導をしているくらいなのだ。
腕に覚えはあるはずだから本当に化生かどうかくらい自分で調べられるだろう。
「近所に住んでいる娘が不動産会社に勤めているのだが、そこは都内で部屋を貸しているらしいのだ。だが以前、内見の案内をした社員と客が神隠しに
その部屋は、それ以前にも行方不明者が出たからその娘が怖がっているのだと頼母が言った。
「それを俺達が調べなきゃいけない理由は?」
俺達は普通の高校生だ。
「頼母がその子に
祖母ちゃんが言った。
「バカも休み休み言え。客というのが……」
頼母はそこで言葉を切って高樹を見た。
「オレは部屋は部屋を借りる予定はないぞ」
高樹は高校生だから当然だ。高校は歩いて通えるところだし。
「娘と言ったであろう。お主ではなく
「
「そもそもお母さんは〝娘〟なのか?」
「御母堂は客の方だ」
「ああ、なるほど……って、ええ!? 母さん、引越考えてたのか!?」
「待て、近所の娘はどうした」
俺が頼母に突っ込んだ。
「娘が親に話しているのを聞いたのだ。以前同僚が内見に行ったまま行方不明になってしまったから彼女が案内しなければならないと」
「マムシって近所中の話し声が聞こえるほど耳がいいのか?」
だとしたら普段かなりうるさい思いをしてるだろう。
俺が疑問を口にすると、
「化生だからじゃない?」
秀が言った。
「頼母はよく
祖母ちゃんの言葉に、そういえば頼母は天井裏を
ヘビというのは餌になるネズミなどを捕まえるためによく天井裏を這っているのだ。
実は俺のうちも春から秋までは時々ヘビが天井裏を這っている音が聞こえる。
「不動産屋が怖いと思うような物件客に勧めんな」
高樹が突っ込む。
「文句は不動産屋に直接言え」
頼母が言い返す。
「じゃあ、高樹君、引っ越しちゃうの?」
雪桜が疑問を口にする。
「オレは聞いてない」
「内見っていつ?」
秀が頼母に訊ねる。
「明日だ」
頼母が答えた。
「えっ!?」
俺は思わず声を上げたが、考えてみたら高樹の母は看護師なのだ。
休みが土日とは限らない。
「じゃあ、今夜行かないとダメだよな」
俺が言った。
万一予定が前倒しになって予定より早くいってしまったら大変だ。
俺達は今夜行くことにした。
雪桜は女の子だからと言うのもあるが全く見えないし聞こえないので化生退治には同行しない。
というかさせないようにしている。
見聞き出来ないのでは攻撃されたとき
その夜、俺達四人は頼母から聞いたマンションにやってきた。
俺、秀、高樹、祖母ちゃんである。
マンションだから出来れば昼間、住人のような顔で入ってきたかったのだが……。
夜間に
口を開いたらマンション中に響き渡ってしまいそうだった。
俺は黙ってスマホ画面に目を落として部屋番号を確認する。
目的の部屋を目指して廊下を進んでいく。
部屋の側まで行った時、突然誰もいなかった廊下に白い人影が現れた。
「ぎゃぁ……!」
悲鳴を上げかけた俺の口を秀が慌てて手で
「しー!」
秀が小声で
俺は震えながら白いものを指した。
化生は平気だがお化けは怖い。
廊下の先は突き当たりで階段などもないからアレは何もないところから現れたのだ。
間違いなくお化けだ。
「ただの幽霊よ」
祖母ちゃんが平然と言った。
「有料のお化けがいるのかよ!」
俺が小声で反論する。
「お化け屋敷とか」
「それは仮装した人間だろ!」
「お化け屋敷にいるのは人間だけじゃな……」
「よせ! お化け屋敷に入れなくなるだろ!」
「そんな事はどうでもいいだろ」
高樹が俺と祖母ちゃんの間に割って入った。
「そうだった。あれが人を誘拐してるのか?」
俺は祖母ちゃんに訊ねた。
「違うわよ」
「じゃあ、化生とは別にお化けまでいるのか? だからセット割で家賃が安いとか?」
俺がそう言うと高樹が嫌な顔をした。
家賃が安いという理由でお化けと化生が取り
お化けや化生が見えない普通の人間にとっては家賃が安い部屋は掘り出し物だろうが高樹は見えるし声や音も聞こえるのだ。
ポルターガイストはうるさいっていう話だしな……。
お化けと化生の両方を退治すれば高樹の母親は安く借りられて助かるだろうが、問題は――。
「化生はともかくお化けはどうすれば退治出来るんだ?」
俺は祖母ちゃんに訊ねた。
俺達はお化け退治はしたことがない。方法も知らない。
「さぁ?」
祖母ちゃんが首を傾げる。
祖母ちゃんが知らないなら――。
「白狐に聞くしかないのか?」
白狐というのは祖母ちゃんよりも長く生きていて物知りだから俺達は困った時はいつも彼に知恵を借りていた。
祖母ちゃんと同じく新宿に話が残っている狐なのだ。
「なら今日のところは化生だけ退治して……」
「孝司、ホントにこのマンションなの?」
祖母ちゃんが高樹の言葉を遮って訊ねてきた。
「頼母が間違ってるんじゃないならそうだ」
「化生の気配ないわよ」
「えっ!?」
「そもそもこの辺で化生が悪さしてるって話は聞いてないし」
「ええっ!?」
そういう事はもっと早く言え、と言いたかったが祖母ちゃんがそう言っていたとしても高樹、というか高樹の母親が危険な目に遭わないか確かめるために来ないわけにはいかなかっただろうが。
高樹だってそれなりに腕に覚えがあるとは言っても一人の時に不意を突かれたら負ける可能性があるのだ。
「
秀が俺の肩を
振り返った俺は秀の視線の先を見て、
「ぎゃぁ……!」
再度悲鳴を上げそうになって秀に口を塞がれた。
話し込んでいる間にお化けがすぐ側に来ていたのだ。
「しー!」
秀が自分の口の前に人差し指を立てる。
なんでお前は平気なんだよ……!
俺は秀を睨みながら祖母ちゃんの後ろに隠れた。
高樹は俺に呆れたような視線を向けた後、
「なんか用か?」
とお化けに訊ねた。
なんでお前も平気なんだよ……!
「って、お前、人間の言葉話せるか?」
高樹が平然とした様子でお化けに質問した。
「人間だから」
違うだろ……!
と突っ込みたかったが怖かったので黙っていた。
「なら用件を聞こう」
「ここに何の用?」
お化けが俺達に訊ねた。
それはこっちの台詞だ……!
と、俺は言い返した。心の中で。
「この部屋で行方不明者が出たって聞いたんだが」
「行方不明? 誰が?」
「しばらく前にこの部屋に内見に来た不動産会社の社員と客が」
高樹の返答にお化けが首を傾げた。
その様子に俺達は視線を交わした。
「人がここで行方不明になったことは?」
「夜逃げとか?」
「いや、化生に
もしくはお化けに喰われたとか……。
俺は心の中で付け加えた。
「けしょう?」
「妖怪っていうか……人間じゃないけど幽霊でもない何かって言うか……」
秀が説明した。
「ここには人間しか住んでないけど……」
お化けもいるだろ……。
と、心の中で突っ込む。
とはいえ祖母ちゃんも噂を聞いてないし気配もしないと言っている。
となると本当に化生はいないのかもしれない。
このお化けは今「夜逃げ」と言った。
もしかしたら夜逃げで姿をくらました人間がいるのかもしれない。
ただそれだと内見でいなくなった不動産会社の社員はなんなんだという事になってしまうが。
今勤めている社員が同僚が失踪したというのなら噂や勘違いではないはずだ。
それとも、入社前の噂を聞いて勘違いしたとか?
あるいは先輩社員に一杯食わされているだけとか……。
「おい、君達」
不意に廊下の先から声を掛けられた。
振り返ると警備員らしき男性がやってくるところだった。
「マズい……!」
俺がとっさに言い訳しようとした時、
「行きましょ」
祖母ちゃんはそう言って歩き始めた。
「え……」
俺が困惑しながら祖母ちゃんの後に続くと警備員は俺達の横を素通りした。
祖母ちゃんが
普段人間の姿だから忘れがちだが祖母ちゃんは狐なのだ。
「どうする?」
秀がマンションの外に出たところで誰にともなく言った。
「ホントに化生はいないのか? 高樹や高樹のお母さんがが喰われたりしたら……」
「縁起でもないこと言うな」
「
と祖母ちゃんが答えた。
朔夜というのは高樹の父親で神奈川に住んでいる天狗である。
祖母ちゃんは身内だけは助ける。
特に高樹の父親である朔夜とは昔付き合っていたことがあるという話だから孫である俺よりも長い付き合いなのだ。
「じゃあ、高樹君は大丈夫って事?」
秀が確認するように祖母ちゃんに訊ねる。
「多分ね」
「多分?」
「あの幽霊が絶対安全かどうかは……」
祖母ちゃんが肩を
「とりあえず
高樹が言った。
師匠というのは頼母のことである。
頼母に剣術を教わっているから師匠と呼んでいるのだ。
「なら、今夜は帰ろう」
俺はそう言うと秀達と連れ立って歩き出した。
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