軍神 七生報国

わたくし

今から約百二十年前

 広瀬少佐には三分以内にやらなければならないことがあった。

「杉野上等兵曹はどこだ?」


 彼の指揮する閉塞船福井丸は目標地点にあと少しの所まで来ていた。

 部下の杉野上等兵曹に船倉にある自沈用の時限爆弾の点火準備を命じた。

 しかし、点火直前にロシア軍艦船の攻撃により船体が破壊されて、福井丸は沈没寸前になった。

 脱出用のカッターに集合した部下を点呼すると、船倉へ行った杉野上等兵曹だけがいなかった。

 広瀬少佐は船内へ戻り、杉野上等兵曹を探し始めた。沈没まで正味三分も無いであろう。


「すぎの~! 杉野はいるか~!」

 広くはないが暗い船内を隈なく探し回る、破孔からは夥しい海水がなだれ込んでいる。船倉は海水でほぼ埋まっていた。

「杉野! おらんか!?  返事しろ!」

 広瀬少佐は力の限り叫んで探す。

 しかし、杉野の返事は無かった。


 広瀬少佐は杉野上等兵曹の捜索を諦めてカッターへ戻り、脱出を指揮する。

 オールを漕いでいる部下達を広瀬少佐は立ち上がって士気を鼓舞する。

「それ漕げ! やれ漕げ!」

「味方の船はもう少しだぞ!」

「キンタマに力を入れて踏ん張るのだ!」 

 突然、敵弾が広瀬少佐の頭部に命中した。

 カッターに血と肉片が飛び散った。

 カッター上に立っていた広瀬少佐の姿は消えていた。


 第二次閉塞作戦も失敗に終わった。

 戦死者は広瀬少佐・杉野上等兵曹を含む四名であった。

 作戦後、広瀬は中佐に杉野は兵曹長へ死後昇進した。

 政府は広瀬中佐の部下を思う勇敢な行動に対して『軍神』として顕彰した。

 広瀬神社が創建され、行動を称える唱歌や銅像などが作られた。

 広瀬中佐の血や肉片に染まった海図や水兵の衣服が、現在まで伝えられ残されている。

 ロシア軍は沈没した福井丸の近辺で、頭部の無い敵軍の海軍士官の遺体を発見した。

 戦争中ではあったが、ロシア軍は栄誉礼をもって丁重な葬儀を行い陸上の墓地へ埋葬した。



 帝国海軍は第三次閉塞作戦も敢行したが失敗し、旅順港閉塞による旅順艦隊無力化を諦めた。

 代案として港湾背後にある山から重砲で旅順艦隊を砲撃して無力化する作戦を立案した。

 敵の射程外から山越しで砲撃するには、港を見通せる高台に観測所を設置して砲兵に着弾位置と照準修正を知らせる必要があった。

 帝国海軍は旅順要塞攻撃部隊の司令官乃木陸軍大将に203高地の奪取を依頼する。

 本来、203高地は要塞攻略の予定外の地域であった。

 多大なる将兵の犠牲により、帝国陸軍は203高地を占領した。

 重砲によって旅順艦隊は撃破され、バルチック艦隊到達前に無力化を成功した。

 203高地の戦いで兵力を消耗したロシア軍は、帝国陸軍の要塞攻撃に耐えきれずに降伏し、旅順要塞と旅順港を明け渡した。




 漢詩を嗜む広瀬中佐は旅順港口閉塞作戦の前に


 七生報国

 一死心堅

 再期成功

 含笑上船


という四言古詩を書き残したが、結局これが遺作となった。


 杉野兵曹長は妻に、

「自分が死んだらば、子の一人は広瀬少佐殿に預けて海軍軍人にするように」

 と遺言をしたためて出撃したと言われる。

 杉野の息子の修一は父の遺言通りに海軍兵学校へ進み、海軍士官に任官して海軍大佐まで進級した。

 杉野修一大佐は昭和二十年七月二十四日、帝国海軍で残存している大型艦で唯一航行可能な戦艦『長門』の最後の艦長に任命される。


 辞令を受けた時に杉野大佐は外地にいた為、横須賀港の『長門』に実際に着任したのは終戦の八月十五日を過ぎていた。



 ―完―

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軍神 七生報国 わたくし @watakushi-bun

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