第3話
大鎌を構えた死神の幻影がディルクの眼裏に浮かぶ。
そう言えば、この国の北部を守備する魔女は大鎌を扱うとの噂が……などと、どうでもよすぎることが脳裏を過ぎる。鉄の蹄で蹴り殺されるか、巨体に圧し潰されるかで迎える死の間際なのに。覚悟した痛みも重さも一向にやってこない。
不思議に思い、おそるおそる伏せていた身を起こし、目を開ける。
「なっ……」
バッファローの大群は再び跡形もなく消えていた。
代わりに、城壁もディルクのいる見張り塔も真っ赤な炎に包まれている。
だが、轟々と炎は燃え盛っているのに、人も城壁も焼かれていない。ディルクを囲む炎も熱をまるで感じない。試しに触れてみるとまったく熱くない。
「えええぇぇぇええええーーーー?!?!せっかくバッファローのステーキがいーっぱい食べられると思ったのにぃぃいいいい!!!!なーんで消えちゃうんですかねぇええええ!!!!」
緊張感が一切感じられない、まぬけな絶叫が一帯にこだましていく。
途端に炎はパッと消失、ディルクも含め、城壁の人々も状況が掴めず目を白黒させる。
阿保みたいに一人で騒ぎ立てる人物は、エンマより更に高い位置で浮遊していたが、適当な民家の三角鱗屋根へ、しゅたっ!と降り立つ。
肩までのカッパーブラウンの髪を風で乱し、天使のような愛くるしい顔立ちのその人物は鳶色の瞳をキッと吊り上げる。一見美少女かと思いきや、赤黒ボーターニットと黒革のショートパンツ、ショートブーツに包まれた身体は細身の少年にも見える。
性別不詳すぎるその人物は、ディルクたち同様状況を飲み込めてないエンマを指差し、少年にしては高く、少女にしては低い声で更に喚き散らす。
「自分はもう怒りました!プンプンですよ、プンプン!!期待を見事に裏切られたんですから、それはもうケッチョンケチョンにやっつけ……、ぎゃん!!」
「黙れ馬鹿」
頭頂部を押さえ、屋根の上で蹲ったその人物の真横。いつの間にか、虹色の残光と共に現れた男が無表情で拳を握りしめていた。遠目からでも彼の真っ白な髪、纏う豹柄ロングコートの派手さはやたらと目立ち、非常に背が高いことまで伺える。
まさか、あの二人は──、白髪長身男の左の眼帯に気づくとディルクは確信し、内心自嘲した。
魔女(の疑いある者)を迫害した街が魔女に破壊され、魔女によって救われようとしているとは皮肉にも程がある、と。
「これ以上ウォルフィにどつかれたくないんでー、ちょちょっと片付けますかっ!」
「一言多い」
「何なの、あなたたちは。邪魔しないでちょうだい」
「エンマさん、でしたっけ。あなたが何を使って魔法を学んだのかは大体予想ついてるので追求しません。ですが、この街を破壊し、人々を脅かした罪は償ってもらいます!」
「この街は法に逆らって魔女狩りを行っていたのに?私はこの街の被害者なの。私を悪い魔女だと糾弾する前に、彼らがこれまで犯した罪を糾弾しなさいよ。じゃなきゃ不公平だわ」
「知らないんですか?今この街は魔女狩りを禁じています。この方が……、新しい長が」
「そんなこと知ってる。だからなに。私は……、この街が、彼が、憎い」
エンマの顔に初めて強い感情が表れたかと思うと、一瞬でディルクの目前に降り立った。
「どうしてあの時一緒に逃げてくれなかったの」
「エンマ」
「こんな街捨ててしまえばよかったじゃない。私より街を選んだディルクが何よりも誰よりも憎い」
「だから、魔女になった、のか。街を破壊したのは俺への復讐……」
憎悪に染められたエンマの琥珀の双眸に、失意も宿る。
何か言おうと開きかけた唇を固く引き結ぶと、ディルクの胸にワンドの先を強く押し当て──
「ぎゃあっ!!」
エンマの全身が透き通った青白い光に包まれ、ディルクから飛びのくように勢いよく離れた。
ディルクの足元にワンドが転がり、同じく床に転がるエンマにぬめった鱗をてらてら光らせ、九つの頭を四方へ擡げる
異形の怪物の悍ましさに顔面蒼白で後ずさるディルクの両側が、今度は虹色に発光
し始める。
「捕縛かんりょーーーぉおおう!!」
「
身体も思考もうまく働かないディルクをよそに、性別不詳の魔女と白髪隻眼の大男は水蛇ごとエンマを引き起こす。直後、エンマを黄金の光が包み込み、水蛇は縄へと変化していく。
ワンドも詠唱もなしで魔法を使えるのは魔女の中でも特別魔力に秀でている者だと、聞いたことがある。
「だいじょーぶですかー?体内の血液を毒に変換されたとかー、カエルになっちゃう呪いかけられたとかー、してないですよねぇー?」
「た、たぶん。魔法は……、発動する前だったと、思う」
「それは良かったですぅー!!彼女はすぐに最寄りの軍駐屯地へ転移させます!安心安心!」
性別不詳の魔女は両手をパンと合わせ、無邪気に破顔する。
魔女の笑顔と対照的に、白髪隻眼大男はむっつりと黙りこくっていたが、ふと眼光鋭き青紫の隻眼をディルクへ向けた。
「……あんたこの女に言うことはないのか」
「え」
「言うことないのか」
唐突に水を向けられ、ディルクは困惑によって言葉を詰まらせた。
エンマは後ろ手で縄を男に掴まれ、無理矢理立たせられ、俯いている。
「なんで、バッファロー、だったんだ……」
短くない沈黙ののち、やっと出てきたのはあまりにどうでもいい問いだった。
案の定、顔を上げたエンマは眉を寄せ、ディルクを不審を込めて見つめてくる。
「いや、やっぱり、いい……」
「図鑑……」
「え」
「図鑑よ、図鑑。子供の頃一緒に読んだ、世界中の動物について載ってた図鑑」
「そんなの、あったか?」
エンマの瞳に再び強い怒りが、しかし、すぐに怒りは深い哀しみに塗り替えられていく。
「やっぱり忘れてたの……」
「何をだ……?」
「もういい!」
イヤイヤをするように何度も何度も頭を振り、エンマは吐き捨てた。
「約束したのに!バッファロー見てみたいって言った私に、大人になったら本物がいる国へ一緒に遊びに行こうって……、約束したのに!!嘘つき!臆病者!」
「はい、ここまでっ」
「エンマ!待っ……」
まだ喚き続けるエンマが虹色に発光し、姿形が薄れていく。思わず伸ばしたディルクの手は届かず、数秒後には跡形もなくエンマの姿はこの場から消えていた。
どうしてあの時一人で行かせた。どうして手を離してしまった。
どうして今までずっと忘れていた。
膝から崩れ落ち、項垂れた頭頂部に二人分の溜息がかすかにかかった、気がした。
【KAC20241+】Forget me not 青月クロエ @seigetsu_chloe
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます