書き出しが書き出しが『○○には三分以内にやらなければならないことがあった』【KAC20241】

千八軒

RTA失敗事例

 新人WEB担当社員、安達あだちには三分以内にやらなければならないことがあった。――というよりも、今できてしまった。


「マジかぁ……」


 と安達は我知らずつぶやく。

 それを見つけてしまったから。そして、ひどく驚いたからだ。


 ミスというものは、えてしてリリース直前に発覚するものだ。


 それは安達の先輩であり上司である『トリ』の仕事だった。今回の企画は、安達とその先輩である『トリ』が寝る間も惜しんで関わって来た一大プロジェクトである。


 ゆえに作業をしている『トリ』にも大きな負担がかかっていたのだろう。だからこんなミスが起こってしまったのだ……と思う。


 時計を見る。Webサイトの公開予定時刻まで後三分を切っていた。


「先輩に知らせなくちゃ……」


 安達のつぶやきは絶望に満ちている。弾かれたようにデスクから離れて、廊下を駆け出す。


 場所は、巨大企業KADOKAWAの本社ビルだ。東京都千代田区富士見、靖国神社のほど近くにある閑静な佇まいを見せる赤レンガ調の外壁を持つ建物に安達はいた。


 早く、早く、早く。時間がない。先輩に知らせなければ。


 ハッ、ハッ、ハッと荒い息を吐きながら安達が向かったのはエレベーターホールである。息を切らしながら今しがた到着したばかりの箱に乗り込む。すれ違った女子社員にぎょっとした顔をされたのは、安達が全身汗だくだったからだろう。


 『なんか汚い』そう顔に書いてあった。


 安達としては心外だったのだが、その女子社員が思った以上に可愛い娘だったので安達は精一杯の笑顔を浮かべた。だが引きつった。そのうえ汗だくだ。


「ご、ごきげんよう……」


 女子社員も、形は違うものの引きつった笑顔を浮かべていた。


 扉が閉まると同時に安達は意識を切り替える。今は些細な事を気にしている場合ではない。先輩に会いに行かなければ。


「秘密コード0008、社員安達だ。地下に行きたい」


 エレベーターコンソールにそうつぶやくと、変化は突然だった。何の変哲もないコンソールが突然裏返った。そして表示されるのは、幾何学模様がところどころに配置されたSF的な操作端末だった。


「行き先、『トリ籠』」


『了解シマシタ』


 合成音声の返事が聞こえた瞬間、ガコンと箱が動き出す。そして一瞬感じる浮遊感。そのあとは無音である。だが箱は今すさまじい勢いで下降しているのだ。


「時間は?」


 腕時計を確認する。Webサイト公開まで一分三〇秒。


「これなら、間に合うかも……」


 安達は安堵した。KADOKAWAが誇るこの特注エレベーターは、本社ビル地下200mの大空洞に作られたカクヨム専用地底空間ジオフロントオフィス『トリ籠』にわずか数十秒でたどり着く。


 先輩のデスクはエレベーターホールからすぐ。そして彼は優秀だ。こんなミスなどほんの数秒で修正する事だろう。


「まったく先輩ってば変なところで抜けてる」


 とつぶやきながら、階層表示を見る。そしてぎょっとした。地下50mの途中フロアで止まったのだ。


「マジか」


 そして乗って来たのは、御老人だった。その御老人は、KADOKAWA本社に何十年前から勤務しているのか誰も知らないが、どうやら重役らしいと噂されているいる人物だった。


「ほっほっほ、さて、どこへいくんじゃったかのう」


 呟きながら、老人は操作端末に指示する。しばらくの駆動音と共に箱が移動する。チーンというごく一般的な到着音と共に、扉が開く。よかった。すぐ済みそうだと安達が安堵するも、老人は首をかしげていた。


「おんやぁ、ここじゃなかったかのぅ」


 思った階層と違ったらしい。またぼそぼそと操作端末につぶやいて箱が動き出す。


 チーン。


 そして止まった階層を見てまた一言


「ここでもないのぅ」


 そして操作。


 チーン。


「また違うのぅ」


 その繰り返しである。


 それがさらに三回。下降のたびに止まるものだから、安達が目指すフロアにいつまでたってもたどり着かない。時間が徐々に迫ってきている。


「ご、御老人!」


 たまりかねた安達はついに声をかけた。安達としては老人の素性が分からない限りあまり関わりたくなかったのだが、背に腹は代えられない。


「行きたいのはどこですか? 私が操作しますよ」


「ほっほっほ、そうかいありがとう。じゃあ頼もうかのぅ」


 老人から行き先を聞き出すと、安達も何度か行ったことのあるフロアだった。手早く該当階層を端末に告げ、箱を動かす。


「お前さん、いい奴じゃのぅ。お前さんのような若い子がおれば社も安泰だのぅ」


 と御老人が言うものの、安達は時間が気になりそれどころではない。


 時計を見ると、残り40秒である。


 チーンとたどり着く。


「おお、ここじゃここじゃ。ありがとう助かったよ。ところで君。儂と一緒にこんかな? 今立ち上げ途中の新しい編集部があるんじゃが、若い力を必要としておる。君のような親切な若者がぜひ欲しい。今すぐ来てくれるならば、ほかの者に推薦しよう」


 と手を差し伸べるではないか。今、編集部と言った? と安達は考える。それはつまり自分を編集者にしてくれるという事なのだろうか。


 安達は元々、編集者志望だった。


 だが今、編集の仕事はできていない。憧れのKADOKAWAに入社できたものの、希望の部署にはつけず、WEBサイトの管理・編集・広報・運用の見習いという立場である。


 だから老人の提案は願ってもないことだった。


 編集になれる。

 自分の手で本が作れる。

 憧れた多くのヒット作のような本を送り出す仕事ができる。


 差し出されたこの手を取れば、それが叶う。


 手を、取りさえすれば――。




 ――だが、安達にはやらなければならない事があった。


「ずいま゛せ゛ん、今、急いでいるので……」


 一句一句、血を吐くように言った。それを見て、老人は「そうかい」とにっこり微笑んだ。


 扉が閉まる。箱が動き出す。

 後はスムーズだった。一直線に先輩がいるフロアに向かう。


 時間は!? と時計を見ると残り20秒である。

 先輩ならば、5秒で修正できる。間に合う! 


 止まったエレベーターから飛び出し、先輩である『トリ』のデスクに向かう。


「先輩! トリ先輩! 誤字です、カクヨム生誕祭2024~8th_anniversary~の眼玉の一つ、KAC2024の最初のお題のページに誤字があるんです!!」


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 お題

 1回目「が『○○には三分以内にやらなければならないことがあった』」

 応募期間:2月29日 12:00~3月4日 11:59 >> 応募作品を読む

 ランカー賞集計期間:2月29日 12:00~3月13日 23:59

 タグ:KAC20241

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 https://kakuyomu.jp/special/entry/8th_anniversary#event03

 https://kakuyomu.jp/users/senno9/news/16818093072961659572


「『書き出しが』が二回書いちゃってます!!! ――って居ないぃぃいいい!!!???」


 だが、ああだがなんという事だろう。

 伝えるべきトリ先輩はデスクに居ない。机と椅子は空っぽだ。


「あああ、ああああっ、時間が、時間がぁぁあぁあああああ!!!」


 慌てふためく安達の前で無情にも時は進む。


 定刻通りに、カクヨム生誕祭2024~8th_anniversary~の公式ページは、カクヨム上で公開され、トリ先輩のミスは現在100万人とも言われるカクヨムユーザーの目にさらされる事になった。


「わはー、トイレですっきりー」


 呆然自失の体で崩れ落ちた安達の前に歩いてくる丸く愛らしい茶色い生き物がいる。彼の先輩であるカクヨムの『トリ』である。


「あれ、安達くん、どしたの?」


 フクロウともミミズクとも言われる『トリ』は安達の前で首をかしげる。その姿は実にのんきなものだ。


「せ、せんぱいぃぃいい……、ミスがミスがぁ」


 安達は『トリ』に伝えた。誤字の発見。そしてそれを伝える為に三分でここに来た事。その途中で願ってもないスカウトを断ってしまった事も。


「ああ、ほんとだね。これはやっちゃったねぇ、あー、もう表示されてるんだ。まぁしょうがないかー」


 それを聞いた『トリ』先輩の反応は呑気なものだった。


「後で修正しておくよー。其れよりも安達くん。すっごい落ち込んでる所悪いんだけどさー」


 この期に及んで何をいうのか?


 安達は、このためにチャンスを逃したこともあって、先輩である『トリ』に恨めし気な目を向けた。落ち込んでいるのはだれのせいだと思っているのだ、と。


「今度からこういうのは、社内メールでお願いねー。ほら、ここって広いからさー」



 まったくその通りである。

 安達は、フロアの床に深く沈んだ。


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