飛べ!

楠秋生

飛び込み

 つよしには三分以内にやらなければならないことがあった。眼下に見える薄青く美しく透き通った川面。あそこに飛び込まなければならないのだ。

 サークルでキャンプに来ていた剛たちは、近くを流れる川で潜ったり水のかけあいをしたりして遊んでいた。そこへ地元の小学生らしき子どもたちが数人、わーっとやってきて岩場によじ登るとドボンドボンと飛び込んだ。


「お、いいな。俺らもやろうぜ」

「え。あれ、結構高いんじゃないか?」

「大丈夫だろ~。あんなちびっこたちがやってるんだぜ」

「行こう行こう!」


 尻込みする剛を巻き込んで男どもがわらわらと子どもたちに続く。女性陣は見物かと思いきや、「きゃ~。楽しそう!」とこれまた嬉々として登っていく。とはいえやっぱり怖いと思う子もいるようで、数人は少し低い岩場へ向かった。剛もそっちへついて行こうとした。


「おいおい、男はこっちだろ~」


 ぐいっと腕を引っ張られ、後ろからも押されて、高い岩場に連れていかれてしまった。下から見ても高かった岩は、上に登ってみると思っていたよりも更にずっと高く感じる。


「うわ。これ、絶対無理」

「あれ? お前、高所恐怖症だっけ?」

「そんなことはないけど」

「ならへっちゃらじゃね?」


 ただ高いところに立っているだけと、そこから飛び降りようとするのは別問題だ。腰が引けてしまう剛を尻目に、先頭の先輩たちはもうどんどん飛び込んでいっている。

 見てる分にはいい。ザッパーンとあがる水しぶきはきらきら輝いて涼しげに見えるし、気持ちよさそうだ。だけど実際自分が飛び込むとなると、勇気が出ない。


「ちょ、ちょっと待って。俺、後にする」

「そんなこと言って後ろにまわったら飛ばないだろ。一分待ってやるから、覚悟決めろよ」

「一分? いや無理無理。三分、いや五分待って!」

「そんなに待てるか」

「じゃあ、やっぱり三分!」


 自ら時間制限をつけてしまい、飛び込まなければならなくなってしまった剛は、目を閉じて深呼吸をした。一人がしっかり腕時計でタイマーをセットする。


「お前さあ、こういうのは思い切りが大事だって。時間かければかけるほどこわくなるぞ」


 そう言われて、よし、と気合を入れて目を開け、眼下を見下ろす。


「これ、5メートルはあるよな?」

「ないない」

「そんなにないだろ~」


 ふ~っともう一度息を吐いて気合を! でもやっぱり……。


「お前、三分って長すぎ!」

「先輩たち、二巡目来たから先行くぞ」

「時間ちゃんとはかってるからな。今、一分!」

「ひゃっほ~!」


 後ろにいた四人が歓声をあげながら飛び込んでいった。剛は隅っこに避けてそれを眺める。

 

「お~い! あと一分半だぞ~」


 下からかかる声に気を取りなおして一歩前へ。それからじりっと少し後ろへ。


「きゃっ」


 とんっと背中にぶつかるやわらかい感触とともに、可愛らしい声が剛の背後であがる。首を回して後ろを見ると、肩のすぐ後ろ肩甲骨の辺りにゆるふわパーマの頭が見えた。

 ひょろりと背の高い剛の肩より低いこの頭は、一つ上の佳乃よしのさんだ。


「ええ⁉」


 ちょっとおっちょこちょいで、いつもちょこまか動いている佳乃さんは、どちらかといえば大人しそうな雰囲気だ。こんな飛び込みをする度胸があることに剛は驚いた。


「えっと、その、間違えちゃって……」

「間違えて?」


 思わず聞き返してしまう。


 間違える、ものなんだろうか? 低い方に行こうとしたのに、前の人についていっちゃったってことなのかな。普通なら考えられないけど、この人かなりのおっちょこちょいだからな。


 佳乃さんの後ろからは、先輩やら小学生やらがどんどん登ってきているから、戻るのは難しい。みんなが飽きて登ってこなくなるのを待つか、飛び込むかしかない。


「行けますか?」


 他に選択肢はないのに聞いてしまう。佳乃さんは半泣きでなんとか微笑らしきものを浮かべた。そんなやりとりをしている横では、次々と飛び込みが続いている。


「剛~。一分きったぞ~」


 岸にあがってまた岩場へ向かってきている同級生から声がかかった。その姿をみたとき、剛の頭にいいアイデアがひらめいた。


 あいつに登ってくる人をいったん止めてもらえばいいんだ。人がいなくなったら、佳乃さんに手を貸してあげて降りる手伝いをしてあげる。そうしたら俺も飛び込まなくてすむ。


 そう考えて大声を出そうと息を吸い込んだ瞬間。


 剛は空中にいた。目の前にはぎゅっと目を閉じた佳乃さん。スローモーションで落ちていく間に、佳乃さんの肩越しに見えたのは、小学生男子の悪戯な笑顔と空に伸ばした腕。


 やられた! そう思った次の瞬間にはもう水の中だった。剛は無意識に佳乃さんに手を伸ばした。つかんだ腕をぐいっと引っ張ると、思いのほかすごい勢いで剛の方に突っ込んできた。

 そしてそのまま佳乃さんの顔が近づいてきて……キス!! 漫画でお約束のあの事故!? って、こんな事故、ホントにあるんだ!?


 ぷは~っ! 


 二人そろって水面から顔を出す。


 佳乃さんは嫌じゃなかったかな、そしてこわくなかったかなと顔をのぞきこんでみると、佳乃さんは両手で顔を覆って……え、泣いてる? と思ったら、濡れた髪を両手でかきあげ、きゃらきゃらと笑い出した。


「一瞬だったね。目、つむっちゃったぁ。思ったよりこわくなかったし、今度はちゃんと目、開けてみよう」

「え、もう一回やるの?」

「面白かったもん」


 佳乃さんは何事もなかったかのように、すい~っと泳いでまた岩場の方へ戻っていった。


 え? さっきのは幻? 妄想?


 剛は呆然としてぷかぷか浮いていた。


「まてよ。あのおっちょこちょいの佳乃さんのことだから、もしかして気づいてないのかも?」


 ぶつぶつつぶやいていると、「剛〜! さっさとどけよー」と上から声がかかる。剛は慌ててざぶんと潜り、岸の方へと泳いだ。


 それにしても……気弱そうなのに、飛び込みはへっちゃらだったんだ。剛が思っていたより強い人なのかも。……あれに気づかないのもどうかと思うけど。


 透き通った水の中、あの瞬間を思い出した剛は一人赤面した。


 事故だから謝る? いや気づいてないなら黙ってる? 


 ぐるぐる考えながら足の届く所まで来て顔を上げた。顔を巡らせて佳乃さんを探すと、何事もなかったかのようにもう岩場を登り始めている。


 やっぱり妄想だったのか?


 首を捻る剛に「ほれ、行くぞー!」と声がかかった。


 もう一回だなんてとんでもない! 強制執行とはいえ、とりあえずミッション完了したんだ。何とか断る口実は……。

 

「あ!」


 今度こそ剛はいいアイデアを思いついた。ざばざばと歩いて川から上がり荷物のところへ行くと、スマホのカメラを起動させた。


「飛んでるところ、撮ってやるよ!」


 みんなは思い出を残せて、剛は飛ばなくてすむ。一石二鳥だ。


 剛は次々と飛び込むみんなの姿を撮っていった。煌めく飛沫と笑顔を閉じ込めて。歓声まで聞こえそうな楽しそうな写真。その枚数が、一人の分だけ多くなってしまっているのは、剛自身も気づいていなかった。

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飛べ! 楠秋生 @yunikon

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