一居さんは三分後に恋をする。

あしわらん

一居さんは三分後に恋をする。

 私、一居いちい紗英さえには三分以内にやらなければならないことがあった。


 試験終了三分前。


 私は鬼の形相で消しゴムを構えると、机に置かれたA4サイズの答案用紙を猛烈にこすり始めた。ひとつ空いて隣に座る男がギョッとしてこちらを見て、それから意味ありげにふと笑った。私の置かれた状況を悟ったのだろう。


 そーだよ!

 マークシートの答えがズレてたんだよ!!

 全部解き終わったと思ったら、マーク欄がまだひとつ残ってたんだよ!!


 * * *


 気付いた瞬間血の気が引いた。


 どっかで問題飛ばしたんだ。 

 どこどこ!? どこなの!?


 現実的な時間配分は、

 ズレた場所の特定に1分。

 そっから消すのに20秒。

 書き直すのに1分40秒。


 このテストは書き込み禁止だから書き直すというより解き直しだ。


 どこが現実的な時間配分だっ。


 でもそれが出来なければ私は負ける……隣のこいつに! 今は腕を枕に敷いて、日向ぼっこする猫の如く気持ちよさそうに寝ているこいつに!!


 * * *


 TOEIC公開テストで、たまたま隣に座ったのが、学校で同じクラスの気に入らない男子だった。


 帰国子女だかなんだか知らないけど、転校してきてから最初の定期テストで、それまで英語で一番だった私を抜かしてトップに躍り出た。それも『こんなもん楽勝』とでも言いそうな涼しい顔で。


 私の苗字は一居なのに、それ以来あいつは私を二居さんって呼んでくる。その呼び方やめてって言ったら、『俺を抜いて一位に返り咲いたら一居に改めるよ』って言ってきた。


 改めるって、ナンデスカ?


 * * *


 TOEICで隣の席。ここで会ったが百年目。

 私は賭けを申し出た。


『私がこのテストのスコアであんたに勝ったら、ちゃんと一居さんって呼んでよね』

『いーよ』


 約束は取り付けた。あとは勝つだけ。


 国産の英語力舐めんなよ!?


 試験開始の合図を聞いて、私は猛烈に解き始めた。きっと気合が入り過ぎたのがいけなかったんだ。途中で問題をスっとばしていたなんて。消したのは後半の15問。それを残り時間1分半で解くなんて、ギリじゃない!? 無理じゃない!? 


 でもやるしかない。


 ネヴァーギブアーーーーーップ!!



 * * *



 無理だった……


「試験をやめてください」


 試験監督者のコールがゴングに聞こえる。ガンガンいってる。

 結局8問も空欄で出すことになった。絶対私の負けだ。


「ねえ」

 落胆して鉛筆を片付ける私に、隣の男が話しかけてくる。

「なに?」

 私は半べそを隠してしかめっ面を向けた。

 相手が頬杖をついて見下したように聞く。

「なんでさっき全部消してたの?」

「なんでって、あんたね」

 むかつく。

「気付いてたでしょ? マーク欄がズレてたの」

「それを直すために一気に消したの?」

「そーよ」

「そんなことしたら全部解き直しになるじゃん」

「仕方ないでしょ? なんとか15問解こうとしたわよ。2回目だから記憶を頼りに。これでも出来る限り取り戻したんだから傷に塩を塗らないで」

 ますます自分の間抜けさに泣けてくる。


「解く必要なんてなかったのに……」

「へ?」

 急に優しい声で言うから変な声が出た。

「全部解き直す必要なんてなかった。抜けもんの特定に1分。解くのに1分。解答マークしたら元のマークを消す。消したマークの真下を塗る。あとはその繰り返しで1分あれば15問くらい何とかなったろ」

「あっ、あああああああああああああああああああああ!!」


 そーじゃんそーじゃん!

 なんでそんなことに気付かなかったんだろうっ。

 バカバカ私のバカ!!


「馬鹿なの?」


 ぴしっと私の顔が凍り付いた。

 こいつ……!! きらいっ!!


「二居さんの勝利はこれでなくなった。俺の勝ちだ。でも、俺が勝ったらどうするって話してなかったな。フェアじゃない」

「何がいいの? 潔く負けを認めて、あんたの要求聞いてあげるわよ」

「さすが大和なでしこ。じゃなかった、薙刀女子」

「誰が薙刀女子よ。私は薙刀なんてやってな」「俺からの要求は、そうだなあ」

 人の話を聞け。

「俺のこと名前で呼んでよ」

 ・・・ 。

「はあ? もう呼んでるじゃん」 

「うそつけ、一度も呼んだことないだろ。覚えてないって、馬鹿なの?」

「あ、また馬鹿って言った! 言っとくけど、私は間抜けかもしれないけど馬鹿ではないからね?!」

「その違いとは?」

「それはっ、えー……っと?」

「じゃあさ、馬鹿じゃないなら俺の名前覚えてるよね。言ってみて?」

「成田?」

「下の名前は?」

「〜っ 〜〜〜っ 忘れた!」

「はあ……」

 ため息!?

「俺の名前は羽田青空ソラ。誰だ、成田って。空港ならどこでもいいと思ってんだろ」

「いやそんなことは……ないよ?」

「間違えるくらいなら、青空って呼んで」

 し、下の名前!?

「嫌?」

 ――何その顔、ずるいっ。

「べ、別に、それくらいどうってことないわよ。そ、そそ、そ……」

「青空。ちゃんと言えるようになるまで家で練習しとけよ? それじゃまた明日、学校で」


 むかつくあいつはワンショルダーバッグを肩にかけ、一人でさっさと帰って行った。


 耳まで真っ赤な私を残して。



     了





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