超情報化社会の支配者

人生

プロフェッショナル~加藤氏、仕事の流儀~




 新発表当日、大企業の情報戦略部には三分以内にやらなければならないことがあった。


 情報の拡散である。


 新商品のお披露目記者会見で発表された情報を、企業公式SNSアカウントから即座に発信する。そして関連および傘下企業のアカウントにその情報を拡散させる――


 情報とは新鮮な魚のようなものだ――と、情報戦略部に勤続すること十年、"釣り師"の異名で知られる加藤氏は語る。


「みなさんは『ボットbot』をご存知でしょうか。拡散数の多い、つまり注目されている発信情報つぶやきを自動的にコピーし、さながら自分の発言つぶやきであるかのように再発信するプログラムの一種です。いわば、トレンドに便乗するハイエナのようなものです」


 そうしたボットの登場により、情報の鮮度はより注目されることになった。


「数年前はまだ良かったのです。トレンドを覗いてみると、その発信元となった個人のつぶやきやニュース記事などのツイートを筆頭に、それに関するリプライ、リツイート、お気持ちコメントなどが簡単に閲覧できました。そのトレンドの意味するところは何か、一目瞭然だったのです。

 しかし、ボットの登場により時代は一変しました。トレンド発生から数時間も経てば、『話題のツイート』の一覧には同じような文言が並び、謎の動画や性的な画像、政治的プロパガンダのようなものが併載されています。いくらその流れを追っても、そのトレンドの意味するところを理解することは難しい。ボットはトレンド源となったツイートをコピーしているだけのこともあれば、独自の改変を加えたり、他のトレンドを含むかたちで発信します。情報が混沌とするのです。

 つまり、トレンドに寿命が生まれた訳です。情報の鮮度とはまさにこのことであり、流行の話題を追おうとすれば、ボットに埋め尽くされるより早く確認する必要性が生じたのであります」


 これは、なるべく多く情報を拡散したい企業側からすれば、願ったり叶ったり、なんの労力もなくプロモーションが成立するかのように見える。


「しかし、ここに落とし穴があります」


 たとえば、『A社の新商品』情報がトレンドに載ったとする。


 同時期に『芸能人の訃報』がトレンド入りすると――


『A社の新商品によって芸能人さんが死亡!』


 ……などといった、トレンド混成ツイートを拡散するボットが現れるのである。


「ネガティプキャンペーンどころの騒ぎではありません。風評被害も甚だしい。しかしその責任を問おうにも、相手はボット、そして一つ一つに削除依頼を出しているあいだにも、情報は拡散されます。お客様にはこの新商品に関する悪い印象だけが根深く残ることでしょう。

 このボット被害は年々深刻化しており、新情報の発表からものの数分でボットによるカオスツイートが広がってしまいます。ボットがボットのツイートをイイネ!し、リツイートし……と、このボットバブルによってサーバー一つがダウンしたという話は界隈では都市伝説として語られるほどです。

 災害時における緊急連絡や被害情報の報告がボットによって誤情報・偽情報に書き換えられ、多くの被害者を生んだことは皆さんも知るところでしょう。そしてこの問題は我々企業にとっても他人事ではないことは先に述べた通りです。

 しかし、このボット問題を我々に解決することは難しい。ならば、利用してやろう――それが、我々『情報戦略部』の存在意義、活動方針なのであります」


 要約すると、ボット汚染された被害者面しながらしっかりマーケティングしてやろう、という訳である。


「新情報の発信に合わせ、傘下のサクラアカウントを用いて情報を拡散します。これに釣られたボットにさらに情報を拡散させつつ、このボットが余計な情報を巻き込まないよう監査し、時に間引く。ボット蟲毒の中から優れた混成ツイートを含んだものを取り出し、これをサクラアカウントに広げさせます。そうすることで情報は瞬く間に拡散、ネットという巨大な体系樹にその情報という根を定着させるのです――」




 加藤氏の朝は早い。


 あるSNSサービスを運営するX社、その中にある情報戦略マーケティング部――ここは外部企業からの依頼を受け、そのSNSアカウント運用、情報を拡散することを専門とした特殊部署である。X社におけるいちばんの稼ぎ頭といっても過言ではない、花形部署だ。


 加藤氏はその部長である。先日も新たな企業へのプレゼンに成功し、契約を取り付けたばかりだ。部長職でありながら、新人の仕事を奪う勢いで成果を上げている敏腕社員だ。


 本日はB社の新製品発表が行われる。この製品情報を拡散するため、加藤氏率いるチームは早くもぴりぴりとした臨戦態勢をとっていた。


「部長、おはようございます」


「おはよう。ボットにエサはやったかね」


 ボットとはネットの海を泳ぐ生き物のようなものだ。そこには生態系がある。特定の情報をコピーする上級ボット、その上級ボットのツイートを拡散する下級ボットといった具合だ。

 そしてある特定の情報に食いつく上級ボットを囮ツイートでひきつけ、本命である新製品発表ツイートをコピー、拡散させる。そのため、事前にサクラアカウント――サクラボットを用い、エサをまいておく必要がある。この工作に企業がかかわっていると一般ユーザーに思われるのは世間体が悪いため、あくまで偶然上級ボットが新製品情報をコピーしたかのように見せる……それが加藤氏たちの仕事である。


 加藤氏は自分のデスクに座ると、年季の入ったヘッドギアを頭に被る。ゲーミングチェアに深々と腰かける。肘掛けの先、手のひらを置くところにはいくつかのボタンが備わっており、加藤氏はこの指先の魔術とヘッドギアの視線判定機能を用い、超高速ボット拡散術を得意としている。


『カトウ=サン、おはようございます。今朝の調子はどうでせう』


 ヘッドギアのスピーカーから聞こえるのは、加藤氏の仕事をサポートするナビゲーションAIの音声である。


「今朝もよろしいよ。それよりAI、今朝のトレンドは」


『このようになっております』


 加藤氏の視界いっぱいに広がる昨夜から今朝にかけての世界中のトレンドトピック――この中でB社の新製品発表と絡めて有益に機能しそうなものと、そうでないものとを振り分ける。そしていくつかの最上級ボットが食いつくそうなトレンドを見繕い、「まるで意思のある人間がしたかのようなツイート」の文言をイメージする。お客様はボットより、意思のある人間の勧める製品に興味を持つものなのだ。


「時間だ。全員、位置につけ」


 加藤氏はオフィスに声をかける。それぞれのデスクに座ったチームスタッフが各々パソコンのモニターやヘッドギアのバイザーに意識を集中させる。


 今、オフィスの共通モニターにB社の新製品発表会見が表示された。


「公式、ツイートしました」


「サクラアカウント複数起動、人間的な時間差でリツイートします」


「企業とズブズブなインフルエンサーの自動ツイート確認、リプライします」


「上級ボット食いつきました」


 すぐにチームスタッフから報告の声が上がる。昔なら社内ネットワークでメッセージのやりとりをしていたところだが、そんなところに指を動かすよりも口を使った方が早いという加藤氏の方針によるものである。


「C社の対抗ボット出現!」


「やはりか」


 C社はB社の競合他社にある企業であり、この新製品発表前からB社に対する悪意ある情報をさもボットによる偶然であるかのように装って発信してきた。

 これは加藤氏たち「公式」とは別の、外部企業による情報戦略である。


「ぽっと出の新人風情が……。公式が最大大手であると思い知らせてやれ」


 公式には野良企業にはない、非合法すれすれの秘密兵器がある。


「スリーパーを起動しろ」


 スリーパー――それは、いわゆる休眠アカウントと呼ばれる、一般ユーザーが開設したものであるが、長らく放置されていたため公式によって使用停止されたアカウントである。規約上は一年放置されたアカウントは登録情報が抹消されたものと扱われるが、実はこうして「生の人間」であることを演出するために利用されているのだ。


 スリーパーアカウントにボットプログラムを注入――この工程は人力であるが、以降は人格を失ったゾンビのようにネットの海をひとりでにさまよいだす。


 ボット化したスリーパーのツイートは、そのアカウントをフォローしていた人々にも伝播する。「フォローフォロワーの関係である人のツイートはイイネ&リツイートしなきゃ」と反射的に生の人間たちが拡散することで、この情報は「生」の気配と鮮度を保つ。


「C社関連ボットに、B社へのアンチないし悪印象を与えるトレンドとの混成を確認」


「古ボットで殺してやれ」


 古ボット――即ち、SNSの最盛期から存在し、ここまで生き長らえ進化してきたボットである。これらは古参のネットユーザーにも一定の人気がある。


「B社しか勝たん、C社オワコンマジワロタ。復唱しろ」


「B社しか勝たん、C社オワコンマジワロタ」


 スタッフ一同が真面目な顔で復唱しながらキーボードに打鍵するこの呪文は、その古ボットを食いつかせるためのパスワードのようなものである。


「…………」


 チームが働きかけ、変化していくタイムライン。加藤氏はその中に日本語の文法として間違った文言をいくつか捉える。


「シャイニーズマフィアか。国内市場をこれ以上荒らさせるわけにはいかない」


 野良企業の正体は外国勢力だと加藤氏は確信する。


 しかもこの野良企業、タチの悪いことに、C社の応援およびB社批判を繰り広げながら、海外の政治プロパガンダ的ツイートを混入させている。加藤氏らはそうした危険思想ツイートをなるべく省くよう仕事をするのだが、素人に毛の生えたような野良企業にはそうした大義が欠けているのである。芸能人の訃報も死亡事故も、アンチツイートのエッセンスにしているのだ。こういう輩は徹底的に潰しておかなければ、加藤氏らの部署にも悪影響が及ぶだろう――


「私が出る」


 加藤氏の打鍵が唸る。上級ボットのアカウントに介入し権限を得て、C社関連ボットが内包しているトレンドをピックアップ、これら下級ボットを支配下にある上級ボットの下につかせる。


 そうすると、敵も黙ってはいない。このSNSの最近の仕様によって、「バッド評価」の数とアカウントブロックの数が一定数を超えたアカウントは公式判断によって一定期間の凍結、審査のち登録情報抹消の刑が課せられる。

 これを狙い、敵は支配下にある下級ボットのプログラムを書き換え、一斉に加藤氏操る上級ボットへのヘイトアタックを仕掛けてきた。


 わずか数分でこの対応。敵もなかなかの手練れと見える。


 しかし、加藤氏が"釣り師"と言われる所以はここにある。


「追跡チーム、敵は補足できたか?」


「下級ボットにアクセスしているIPアドレスを特定……くそっ、海外のサーバーを多数経由しているようです」


「根深いな。ならばこちらも手数を増やすまで」


 さらなる上級ボットを投入する。これら全てに対応するため、敵は管理下にある下級ボットのプログラムに手を加える必要がある。その時間を増やすことで、こちらの追跡時間を稼ぐのだ。


「C社ボットの司令塔を確認!」


「よし、殺せ」


 ――その裏で、さらに加藤氏のチームは野良企業側の上級ボットを特定し、これをブロックすることで公的に潰すことに成功する。水面下のブロックは最大大手である公式が見事勝利した。


 ふう、と加藤氏はここにきてようやく一息つく。


 B社の圧倒的勝利で終わったタイムラインを眺めていて、


「……新世界構想局ヨムシカ……?」


 最近、多くのボットの中に含まれる謎のフレーズだった。C社関連ボットのツイートにもそのフレーズが含まれていた。これはいったい何を意味するのか、それこそボットの海に埋没し、その真相は未だ知れない。


 何らかの話題のタイトルなのか、はたまた政治・宗教思想プロパガンダの一種なのか。


 加藤氏はプロである。B社の製品発表に悪影響があるフレーズであれば、それを含めたツイートをさせる訳にはいかない。こうした混成情報の取捨選択は、現在になっても人間の目と判断に依るところが大きい。なんの意味も持たない謎の言葉が独り歩きするのがネットあるあるというやつだが――


 以前、視聴者の声と称してツイートを画面上に表示する番組が問題になったことがある。テロリストがその番組を通し、潜伏中の仲間に暗号メッセージを送っていたことが発覚したのだ。

 それからというもの、加藤氏の勤めるこのX社でもトレンド監視を専門とする公安部が設立されたほどだ。


「危険なワードだ。いちおう、報告しておくべきか……」


 加藤氏は公安部へとメッセージを送る。その文脈に「新世界」などを含むものはたいていが思想犯のそれだ。早めに潰しておいて損はないだろう。加藤氏は「新世界」など望んでいない。今のこの世界で満足しているのだから。


 この超情報化社会において、加藤氏の担う役割は大きい。

 加藤氏の指先一つで、ある人物を大富豪に仕立てあげることも、はたまた大罪人として牢に放り込むことも出来るのだ。

 加藤氏が目を付けたのなら、その情報の詳細はすぐさま明らかになり、有害であれば消え、仮に無害であってもトレンドに浮上しないよう工作される。


 一部署の部長職に過ぎない加藤氏だが、彼は自分の仕事、立場に満足していた。さながら世界を裏で牛耳る支配者になったような気分だったからだ。


 この新世界構想局とやらがなんなのか、加藤氏をもってしても未だ知れないことが気がかりであったが、やがて露と消えるだろう。


 加藤氏はそう思っていた。




 ――その日の帰り道である。


 一介のサラリーマンのような風体を装いながら、世界の支配者・加藤氏は地下鉄を後にした。


 その時である。


「ヨムシカ! ヨムシカ!」


 駅前の広場に、多くの若者が集まり、何やら声を荒げている。


 それは、加藤氏が記憶の隅に追いやっていた謎のトレンドを含んでいた。


「トウコウされたらヨムシカない! ケーエーシ! タンペンヨムシカ、ヨムシカない!」


 何語だろう? 加藤氏は思わず足を止めていた。若者たちはリズムに合わせて奇妙な雄叫びをあげている。まるでネットの情報の片隅に埋もれた、ショウワ時代の学生運動のようなそれである。


 加藤氏はネットの世界に重きを置く、超情報化社会に生きる社会人である。こうした原始的な、物理的なトレンドには正直疎い。物理的なトレンドというのは当然のようにSNS上に載るものだから、実質加藤氏に知りえない物理トレンドなど存在しないのだが――


「ヨムシカ……いったい何なのだ」


 加藤氏の足は自然とそちらへ向かっていた。


 加藤氏はまだ知らなかった。そこが、一度足を踏み入れれば戻ることのできない、底なし沼であるということに。




「おはようございます。……あれ、部長は?」


「そういえば、珍しいな。重役出勤というやつじゃないか」




 その後、加藤氏の姿を見たものはいなかった。



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