17
「や、アヤちゃん」
「いらっしゃーい、リン」
平日の昼間。僕はアヤちゃんの家に訪れていた。
出迎えてくれた元気な姿を見るのは、かれこれ一ヶ月ぶり。同じ屋根の下にいながら、すれ違いの生活を送っているからではない。アヤちゃんは今、家を出てひとり暮しをしているのだ。
Vチューバーで食べていくという世迷い言を吐き出してから、かれこれ三年半以上が経った。どうせ始める前から挫折すると呆れていたが、企業のバックがついたばかりに、トントン拍子でVチューバーになってしまった。そこからあっという間に人気を博し、今や登録者数二百万人超え。誰もが認める人気Vチューバーになってしまったのだ。
あんな世迷い言が実現するとは。人生、なにが起こるかわからない。でもこればかりは、行動に移した結果でもある。
ダイニングキッチンを通り過ぎ、アヤちゃんの私室に通された。
「これまた立派なお部屋なことだ」
ヒィコとユリアのグッズで埋め尽くされた室内。ポスター、タペストリー、アクリルスタンドに、フィギュアなどなど。前に訪れたときにはなかった、ユリアの抱き枕まである。
アヤちゃんは嬉しそうに言った。
「自分たちのグッズに囲まれた部屋って、気分上がるんだ。頑張ってきた結果が目に見えるようでさ」
「これだけのグッズが作られるほど、人気ってわけだからね」
「初めてVチューバーになるって決めたとき、リンは寝言は寝て言えとか言ったけど、どう? 私が頑張ってきたこの結果は」
得意げな顔をしながら、アヤちゃんは胸を張った。
「はいはい。あのクソ小説を、よくここまで昇華させました。偉い偉い」
「くぅー、リンったら生意気ー!」
アヤちゃんは力強く肩を揉んでくる。
「痛い痛い。ごめんごめん」
「私を怒らしたら怖いんだからね。なんたって私には、二百万人のバックがついてるんだから。リンのチャンネルを焼き払え、って言ったら一発なんだからね」
「視聴者をけしかけるのはマジで止めてくれ」
「だったらリンはもっと、私を敬いなさい」
「敬う敬う。どうか天下の大人気Vチューバー様。僕にエナドリをめぐんでくれ」
「よし」
気を良くしたアヤちゃんは、冷蔵庫へ向かっていった。
勘違いから生まれた溝が埋まって以来、アヤちゃんは自分のことを、お姉ちゃんと呼ぶ機会が減っていった。最後にそれを口にしたのは一年前。かつてのように、もうこだわる必要がなくなったのだ。
部屋の真ん中に置かれた丸テーブル前に腰を下ろすと、アヤちゃんが戻ってきた。
「はい」
「ありがと」
エナジードリンクを受け取ると、そのラベルにはヒィコが描かれていた。まだ店の商品棚に並んでいないコラボ商品である。
「まだ三箱あるから、一箱持って帰る?」
「持って帰りたいのは山々だけど、徒歩だからね。帰りに五、六本だけ頂くよ」
そう口にしてから、キンキンに冷えたエナドリを一気に飲み干した。
六月の終わりに差し掛かっているが、夏の暑さが既に押し寄せていた。炎天下を歩いてきたこの身体に、エナドリが隅々まで行き渡る。まさに生き返る心地だ。
「そういやアヤちゃん、ちゃんとご飯食べてる?」
自分の身体が満たされたから、人の身体を慮る余裕が出てきた。
「チラッとキッチンみたけど、ピッカピカじゃん」
まるで普段から使われていないかのようだ。
「ちゃんと食べてるよ。お昼もちゃんとウーバーしたし」
「ウーバーはちゃんと食べている内に入るの?」
「入る入る。なにせ今日はお寿司だから」
「この暑さでウーバーされる寿司は食べたくないなー」
「それにお隣さんが、色々と作り置きしてくれるし。栄養はバッチリだよ」
アヤちゃんは親指を立てた。どうやら自炊はバッチリしていない様子だ。
そこに来訪者を告げるチャイムが鳴った。
「あ、噂をすればー」
ドタドタと足音を鳴らしながら、アヤちゃんは玄関まで駆けていく。返ってくる足音はとても静かで、アヤちゃんの代わりに久しぶりに見る顔がやってきた。
「久しぶりー、リンくん」
「うん、久しぶりユリちゃん」
ひらひらと手を振ってきたユリちゃんに、同じく手を振って返す。
アヤちゃんの相棒のように、百合営業をするためVチューバーを始めたユリちゃん。普段とは正反対なキャラ付けもあって、最初は大丈夫かと心配していたが、いわゆる役にのめり込むタイプだった。今や人気Vチューバーの仲間入りを果たしている。
ユリちゃんは腰を据えると、白い取ってのついた箱を掲げた。
「今日はリンくんが来るから、ケーキ買ってきちゃった」
「こんな暑い中、そんな気を使わなくていいのに」
「だって会えるの久しぶりなんだもん」
「あー、最後に会ったの、僕が百万人達成したときだっけ? 前のように遊びに行くには、お互い忙しくなったね」
「リンくんはすっかり、人気者だもんね」
「ユリちゃんには敵わないよ」
なにせユリちゃんの登録者数は、僕より四十万も上だ。
「みんなお茶でいい?」
アヤちゃんはペットボトルのお茶を三本と、紙皿をテーブルに置いた。
ケーキを取り分けるのを皮切りに、互いの近況報告が始まった。といっても、お互いの活動内容は普段から聞いているし、チェックもしている。それを再確認するかのような世間話であった。
「さて、暗くなる前にそろそろ一仕事しますか」
伸びをしながら立ち上がる。
今日は姉たちと久しぶりに会うために来たのではない。アヤちゃんが部屋の模様替えをしたいというので、男手として呼ばれたのだ。
「デスクやベッドの大物も移動させるんでしょ?」
「なるべくデスクの上は動かさず、そのまま移動させたいんだよねー」
「なら、本体からケーブル類を抜いて、三人で動かすか」
Lデスクは四隅の角を背面にして設置されている。回り込んで作業スペースに入ると、モニターがついたままだった。配信の設定画面が映し出されていたので、すぐにアヤちゃんを見やった。
「あれ、アヤちゃん。これ、落としていいの?」
「あ、大丈夫大丈夫。リンが来るまで、テスト配信してただけだから」
「あー、新しいマイク届いたって言ってたあれか」
アヤちゃんに向けていた目を画面に戻す。
「……あれ」
配信画面の右上が、ライブ配信を終了という文字で真っ赤っ赤。その下はひとつひとつ拾えないほどの、コメントの濁流だった。なんとなく、罵詈雑言の怨嗟の声なのはわかった。
「嘘だろおい!?」
声にするよりも早く、この手はマウスを握っていた。
ストリーム完了のウィンドウを見届けると、僕はその場でくずおれた。
「り、リン!?」
「リンくん!?」
あれだけの叫び声を上げたのだ。異変を感じ取ったアヤちゃんたちは、僕のもとに駆けつけた。
僕の肩を揺すりながら、アヤちゃんは訊ねてきた。
「大丈夫、どうしたのリン?」
「……配信、ついてた」
「え……?」
「僕らがさっきまでしてた会話、全部配信に流れてた」
そう口にすると、アヤちゃんはすかさずパソコンをチェックした。
二十秒くらいしたら、
「あっちゃー……やっちゃったー」
さすがに不味いと思ったのか、アヤちゃんは苦々しい声を漏らした。
「コメント、どんな感じ?」
「一言で表すなら、阿鼻叫喚」
「だよねー」
「あ、リンへの殺害予告まである」
「終わった……」
ツイッターを見たくない。きっと酷い有様だ。
なにせアヤちゃんは、百合営業で人気を博したVチューバー。それを信じてきたガチ恋勢は、絶対に男の存在を許さない。男が部屋に上がっただけでも、憤死する発狂案件だ。彼らはアヤちゃんだけでなく、僕のことも許しはしないだろう。
ネットの誹謗中傷、名誉毀損、殺害予告は、リアルと比べてハードルが低いどころか、ないものとすら捉えるものが多すぎる。このくらいで捕まるとは思っていないので、あらゆる悪意が僕らを襲うだろう。
「どうしよう、か?」
ユリちゃんも人気Vチューバーだ。事態の重さは重々承知。狼狽えながら、自分でも期待していない返事を口にする。
重苦しい雰囲気が部屋を包み込む。
誰もがこの局面に悩みながら、動き出せずにいると、
「よし」
パン、と。アヤちゃんが手を叩いた。
「素直に釈明配信しよう」
これ以外ないと、力強い口ぶりだった。
「釈明配信って……なにをどう、素直に釈明するのさ」
「私たち三人の、姉弟の関係を素直に話すの」
「話すって……」
それはさすがにと思った。僕ら家族の関係は親しいものには話してきたが、誰にでもと語るようなものではない。
「僕とアヤちゃんは姉弟だって話すだけじゃダメなの?」
「それだけだとユリが、リンとの関係を疑う人が出るから。そうなるとお互いの活動に、色々と影響が出るでしょ?」
「それは……」
たしかに僕とアヤちゃんが姉弟とだけ伝えたところで、ユリちゃんには僕という親しい男の存在が残ったままだ。どれだけ友達の弟でしかないと告げたところで、ガチ恋勢たちは恋仲になる可能性の存在は、一欠片も許せない。
結局、アヤちゃんの方法が一番円満に終わる。
それはわかっているけど、
「僕は大丈夫だけど、ふたりは今後の活動に支障が出たりしないかな?」
「そうだね。私たちはヒィコとユリアというキャラクターで今日まで売ってきたから……リアルのことを赤裸々に話しすぎると、キャラクターがブレるかもしれない」
上から覗き込んできたアヤちゃんの顔が、ニッと笑った。
「でもさ、今回のことは私の失敗で起きたことだから。みんながしているような心配はないよ、ってちゃんと教えてあげたい。巻き込んじゃったユリには悪いけど、それが私をここまで押し上げてくれたファンへの誠意だと思うから」
「うん……そうだね。そうかもしれない」
「なにより私の失敗で、リンの足を引っ張ることだけは絶対にダメ。たとえこれでVチューバーを引退することになっても、それだけは譲れない」
ずっとくずおれていた僕に、アヤちゃんは手を差し伸べてきた。
「なにせ私は、リンのお姉ちゃんだから」
そこからの動きは早かった。
所属している事務所が同じであり、なにより社長に直接連絡できる立場が大きかった。
『人気Vチューバー、人気ゲーム配信者とのお家デートを誤配信』
かつて見たような見出しで炎上してしまったものは仕方ない。近々コラボ商品が発売することもあるから、企業としても迅速にヒィコたちの信頼を取り戻す必要があった。
稀有な星のもとで生まれたアヤちゃんたち、そして僕の関係を発表するゴーサインが出た。
その日の夜には三人揃って、釈明配信をしたのだ。
正直、こんな荒唐無稽な話、信じてもらえるか不安だった。でも、
:よかった・・・ほんとによかったヒィたん
:百合の間に挟まった男はいなかったんだね
:生前どんな徳を積んだら、ヒィたんとユリアたんの弟になれるんだよ・・・
反応は上々だった。疑うコメントなんてひとつもない。
荒唐無稽に見える話だからこそ、こんな嘘を堂々とつかないと思ったのだろう。
始まりは地獄のような呪詛で埋め尽くされていたコメント欄も、今やすっかり落ち着きを取り戻した。百合の間に挟まった男がいなかった祝いの赤スパが蔓延っている。
主役はもちろんアヤちゃんたちだが、
:¥10,000
殺害予告してごめんな、弟よ
:¥10,000
殺害予告をDMで送った兄です。許してくださいなんでもします
:¥10,000
聞こえますか弟よ。殺害予告をした愚かな兄を許してください
「揃いも揃って殺害予告送りすぎだ! 後、おまえたちのような兄を持った覚えはない!」
殺害予告を送ってきた兄を名乗る多数の不審者が、僕へ向けて赤スパを送ってきた。
それだけではない。
:¥10,000
いくら姉弟として育っても、ヒィたんと血が繋がらないでおいて好きにならないとか嘘でしょ
どこまで本気で言っているのかわからない、こんな赤スパまで飛んできた。
「二次元脳乙。そういう妄想はリアルに持ち込まず、薄い本だけで満たしてくれ」
こう言われるのは想定済み。赤スパだから読み上げたが、あしらうように口にした。
「そうそう。姉弟でそういう風になるなんてないない」
カメラ前で両手を振りながら、アヤちゃんは便乗するように否定した。
「だってリンはユリアたんの妹にして、私の妹と付き合ってるんだから」
そしてペラッペラな口からは、サラッと爆弾がこぼれ落ちた。
:へ?
:は?
:マジ?
:嘘・・・
:やだやだやだやだやだやだ
コメント欄はキョトンとしたものから段々と、不穏なものへと流れていった。まるでコメント層がガラッと変わってしまったように。
今回の釈明配信はヒィコのチャンネルで放送しているが、もちろん見ているのはチャンネル登録者だけではない。昼間から炎上しているから野次馬根性で来ているものもいるだろう。そしてなにより、僕のツイッターから誘導されたファンたちも、当然この放送を見ているわけだ。
:ずっと私たちのこと騙してたんだね!
:嘘だよね? 嘘だって言ってリンくん!
:¥10,000
ゴム代置いときますね
:リンくんファン辞めます
:¥50,000
弟よ、避妊はしっかりするんだぞ
あれだけ救われたものたちで満ちていたコメント欄が、途端に荒れた。
僕への失望と絶望の罵詈雑言。そして他人事になった途端の嘲笑で溢れかえっている。
主にヒィコとユリアの信頼回復ために行った火消し配信で、さらなる燃料が投下されたのだ。
その燃料は、僕だけが炎上する爆弾だった。
「なにより私の失敗で、リンの足を引っ張ることだけは絶対にダメ。たとえこれでVチューバーを引退することになっても、それだけは譲れない」
数時間前、こんなことを口にした張本人は、
「えっと……ごめんね、リン」
舌をペロリと出して、コツンと頭を叩いていた。
「ふざけんなー!」
結局、生み出した覚えのない大量のガチ恋勢によって、僕だけが大炎上したのであった。
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以上で完結になります。
当作品は、本日完結の『百合の間に挟まるな! ~百合カップルを救い交流を深めた結果、「俺のために争わないでくれ!」と叫ぶ自体に陥った~』の補完的なサイドストーリーになっております。
この炎上騒動で、Vの中の人であるアヤちゃんに男がいたと信じて、脳が破壊され命を落とした主人公がタイムリープして人生をやり直す作品です。
本編自体は20万文字ほどと読みやすくなっていると思いますので、よろしければご一読ください。
よろしければブクマ、評価を頂ければ嬉しくあります。
他にもレビュー、感想などなどお待ちしております!
「お姉ちゃんね、Vチューバーで食べていこうと思うの」 二上圭@じたこよ発売中 @kei_0120
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