16
登録者数一万人達成。
ついにひとつの区切りに到達した。
次に目指すは十万人。銀の盾である。
いつまでも浮ついているわけにはいかないが、この瞬間くらいは素直にはしゃいでもバチは当たらないだろう。
折角だからお祝いをしようと、僕らは焼肉にきていた。
「それじゃ、かんぱーい!」
アヤちゃんの音頭と共に、僕ら姉弟四人はグラスをぶつけ合った。
おめでとうから始まるも、十分もしたら一体主役は誰なのか。そうやって無軌道に話が逸れた先で、向かいの席に座るアヤちゃんが改まって言った。
「そうだ、リン。改めて言っておきたいことがあるんだけど」
「なにさ?」
こういうときのアヤちゃんの話しは、どうせくだらない。それがわかってるから、僕の目は牛ハラミへと向いていた。
「お姉ちゃんね、Vチューバーで食べて行こうと思うの。ユリと一緒にデビューして、百合営業をガンガンかけて一山当てるんだ」
「まだ諦めてないのその世迷い言?」
最早ため息ひとつ出てこない。
アヤちゃんの隣に座る、もうひとりの姉に目を向けた。
「ユリちゃん、アヤちゃんの言っていることの意味、わかってる?」
「可愛い絵を動かしながら、アヤとゲームをするんだよね? リンくん、いつも楽しそうにやってるから、アヤと一緒ならやってみたいなって」
ほわほわとした雰囲気で、ユリちゃんは胸元で手を当てた。
どうやらユリちゃんは、既に懐柔済み。言っていることは間違っていないが、Vのなんたるかはまるでわかっていない。
「ほら、今回はキャラクターも作ってきたんだよ」
「サークルの人たちにでも描かせたの?」
アヤちゃんから差し出されたタブレットには、キャラクターの三面図が映し出されていた。
最初に抱いた感想は、気の毒だった。どこかで見たようなパクリではなく、しっかり考えられて描かれたキャラクター。一週間でエタったクソ小説の使い回しのネタを、世迷い言のために存分な画力で描かれていた。
これは即席で描かれたものではない。しっかりとクソ小説に向き合って、アヤちゃんからヒアリングして、生み出されたひとつの作品である。
それが主人公のヒィコだけではなく、ヒロインのユリアの分まで用意されていた。
これはもう、ただのやりがい搾取。サークルの姫として、その地位を乱用されたものだ。こんな黒歴史を描き出してる暇があったら、ツイッターに上げる絵でも描いて、フォロワー数を稼いだほうがよっぽど有意義だ。
三面図とラフ絵という順にスライドしていき、ついにはフルカラー。ヒィコとユリアが並んだ、ラノベの表紙みたいなイラストまで出てきた。
「ん?」
それに既視感を覚えた。初見の絵であっても、あのイラストレーターの人の絵か、とわかる絵柄だ。
それに思い至った瞬間、
「ふざけんな、マリちゃんまで巻き込みやがったな!」
満腔の怒りが一気に溢れ出した。
ラフ絵まででは気づかなかったが、これはどうみてもマリちゃんが描いたものだった。
力なく隣を見る。
「マリちゃんもなんで、こんな世迷い言の手伝いなんて……」
「これも勉強かなって」
はにかみながらマリちゃんは言った。
もう頭を抱えたい気分だ。ここまでマリちゃんに描かせて、Vチューバーになるのは絶対ムリだ、と言い出しづらい。マリちゃんが描いた絵を無駄だと言い出せないのだ。
僕の祝いの場のはずなのに、なぜこんな悩ましい目に合わねばならないのか。
「いやー、遅れてごめんごめん」
そこに杉宮家の大黒柱がやってきた。仕事終わりに直接やってきたからか、高そうなスーツを着込んでいた。
おじさんは今日の祝いの会のパトロン。ユーチューバーが在籍している会社の社長だから、なにかと僕の活動を気にかけてくれているのだ。
勧められるがまま、ふたりの長女に挟まる形で腰を下ろしたおじさんは、
「おや、どうしたんだいリンくん。頭なんて抱えて?」
僕の異変を感じ取ったようだ。どうやら知らぬ内に、頭を抱えていたようだ。
「身内が恥を恥じていないことに恥じ入って、頭を悩ませてるんです」
「ははー、君たち姉弟は本当に仲がいいんだね」
なにをどう解釈したらそう受け取るのか。おじさんは微笑ましそうな表情を浮かべた。
ビールを注文したおじさんはしみじみに言った。
「おじさんね、ずっと血の繋がらない姉か妹が欲しかったんだ」
「いきなりなに言ってるんですか」
「アヤちゃんみたいな美人なお姉さんを持てたリンくんが、羨ましいってことだよ。そんな青春ラブコメを送りたかっただけの人生だった」
「飲む前からもう酔ってるんですか?」
娘の前でなに言ってるんだと目を細めた。
杉宮姉妹にとって、これはおじさんの平常運転なのか。白い目ひとつ見せずいる。そして美人と持て囃されたアヤちゃんは、感じ入るように何度も頷いた。
「アヤちゃん相手なんかと、ラブコメなんかなるわけないですよ。オタク脳なのは二次元だけにしてください」
「いや、アヤちゃんをお姉さんに持っておいて、それは無理だろ」
「おじさん、金瀬川奏って隠し子いませんよね?」
思考回路が完全にあれなので、ここで肯定されてもなんら不思議はない。
「まあまあ、おじさんの気持ちもわかるけど」
とりなすようにアヤちゃんは口を開いた。
「私たちは本当にただの姉弟だから。姉弟愛以外なんてないよ」
これ以上はない。それこそが尊いものであるかのように、アヤちゃんは微笑んだ。
いつもなら余計なことを口にして引っ掻き回すのに、アヤちゃんにしては珍しい安定感。落ち着いた頼れる姉そのものだ。
そうか、と納得したおじさんに、
「なによりリンは、マリ一筋だから」
アヤちゃんは余計なことを口にした。
真っ赤に熱を帯びていく頬。焼肉の熱によるモノではない。
自分が言ってしまったことにようやく気づいたアヤちゃんは、あ、と口を開いた。そして取り繕ったようなあざとい笑みを浮かべながら、合わせた手を右頬に添えた。
「ごめんね、リン」
「ふざけんなー!」
僕は机を叩き、絶叫しながらその場で立ち上がった。
ここが個室でよかった。なんて気すら回っていない。
手をついたまま、集まる視線から逃げるように俯いた。ユリちゃんとおじさんもそうだが、それ以上に隣と目を合わせられない。
「え、あの……その」
蚊の鳴くような声が隣から上がる。
恥の中心に立たされたアヤちゃんの犠牲者は僕だけではない。その相手でもあるマリちゃんもまた、渦中に巻き込まれたのだ。
かける声は思い浮かばぬも、いつまでも現実から目を背けるわけにもいかない。
横目を向けるとマリちゃんと目があった。
もじもじとしながらも真っ赤な顔。きつく結ばれた唇は、意を決したように開かれた。
「よろしく、お願いします」
ペコリとその頭が下ろされた。
恥じらいから僕の目から逃げたわけではない。
その言葉の意味を悟る。
「えっと……こちらこそ、よろしくお願いします」
後頭部に手を当てながら、こちらもまた頭を下げた。
すると個室内は、パチパチと祝福の拍手が響き渡った。
「おめでとう。こうなるといいなってずっと思ってたから、本当によかったー」
満面に笑みを浮かべたユリちゃん。そこには妹を取られたという影なんて一切ない。心からの喜びが宿っていた。
「リンくんになら、安心してマリを任せられる。マリを頼んだよ」
娘に彼氏ができる瞬間を前にして、おじさんは頬を綻ばせている。
「うんうん。お姉ちゃんはこうなるとわかってたから、背中を押す――」
「そのペラペラな口を今すぐ閉じろ」
キューピットを気取ろうとする無責任な姉を叱責した。結果オーライならなんでも許されると思うなよ。
おじさんのビールが届くと、改めて乾杯をした。
登録者数一万人記念で始まった会だったが、名目は変わった。
すっかり祝福ムードに包まれ、僕らふたりは面映ゆさを覚えながらも、幸せを共有していた。具体的にはテーブルの下で手を重ねたりとか、握り合ったりとかだ。
そろそろ高校二年生になろうとしている。そして登録者数一万人達成。来年度はきっと素晴らしい年になると、確信めいた万能感すら覚えていた。
そうやって持て囃されること一時間。
ようやく僕らふたりの話題から逸れ、めいめいに話を始めたときのことだ。
「そうだ、リンくん」
「ん? なんですか」
思い出したかのように口にするおじさんに目を向けた。
「ついにね、会社でVチューバーの部門を立ち上げることが決まったんだ」
「おー。やっと説得できたんですね」
Vチューバーはゼロから会社が生み出さなければならない。当たれば大きいが外せば当然損害も出る。既に人気を獲得し、足場を固めているユーチューバーを所属させるのとはわけが違う。
前からVチューバーを会社でやりたいとは言っていたが、社長とはいえ好き勝手にはいかない。なにせ元をたどればモデル事務所だ。説得しなければならない相手は多いだろう。
それが上手くいった。だから立ち上げることが決まったはずなのに、おじさんは苦い顔をした。
「でもここにきて、美夜宮ミヤの件があってな」
「あー、はいはい。やらかしましたね、美夜宮ミヤ。もしかしてそれで魂選びが及び腰に?」
「及び腰とまではいかないが、どうしても慎重にならざるをえなくてね」
「変なの引いたら育てても、一発やらかしたらそれで終了ですからね」
「それに第一弾は、百合営業で売っていきたいからさ。できれば気心知ったもの同士がいい。そして男の影がなければ完璧だ。リンくんの周りに、そういう子はいないかい?」
「いや、流石にそんな逸材は――」
怖気なようなものが走り、言葉を失った。
リアルに男の影がいない、気心知ったもの同士の百合営業。
まさに逸材とも呼べる存在が、ニヤっと口端を上げていた。
「水臭いよ、おじさん。ううん、お父さん」
ポン、とその手がおじさんの肩に置かれた。
「そういう話なら、私たち娘がいるじゃない」
まるで家族のピンチをみんなで乗り越えよう。そんな厚かましい微笑みを浮かべながら、アヤちゃんは親指で自分を差していた。
驚嘆したように目を見開いたおじさんは、ふたりの娘の顔をゆっくりと往復した。
「やって、くれるのか?」
「丁度、ユリとVチューバーになって、百合営業をしようって話をしてたところだからね。なにせ私たちは、同じ星のもとで生まれた双子。心はこうして繋がってる。大丈夫、絶対上手くいくよ」
「そうか……だったらここから、お父さんに任せてくれ。必ずふたりをVチューバーにして、百合営業をするふたりを売り出して見せる」
熱意を込めるように、おじさんは握りこぶしを作った。
娘たちを百合営業で売り出そうとしている未来の義父に、僕は頭を抱えてしまう。個人でやるなら始まる前から挫折すると思ったのに、企業がバックについてしまったのだ。
Vチューバーを舐めてるアヤちゃんと、なんか面白そうだからと懐柔されたユリちゃん。このコンビで始めたところで、絶対上手くいくわけがない。
もう好きにやってくれと匙を投げた三年後。
アヤちゃんはゲーム配信者としての地位を確立させた僕の、倍の登録者数を抱えるVチューバーになっていた。
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