20歳まで生きられない娘のはなし

斎藤 愛久

第1話 

 私が結婚したのは、34歳の時です。

 一年半付き合った旦那とは、「結婚したら子供欲しいね、3人くらい欲しいね」といつも話していたので、結婚したらすぐにでも子供を授かる気でいました。


 だけど、なかなか授からず……。


 結婚して1年経った頃から、焦りはじめました。ルナルナとかで基礎体温を管理し、チャンス日となれば疲れて寝ている旦那を叩き起こして頑張ったんですけどね。

 まだまだ、自然妊娠も可能な年齢ですよね。現に知り合いでも、30代半ば以降に第一子をもうけているひともいるんだから。「私はなんでできないのか……?」と随分悩みました。


 38歳の時、旦那と一緒に不妊治療専門のクリニックに足を運びました。そこで検査した結果、夫婦ともに体には問題はないということでした。が、不妊治療を受けるとなると、お金がかかります。それで100パーセントさずかる保障もないし……。


「孫の顔を早く見たいわー」なんて言ってた義母も、「今は子供作らないで、自分たちの人生を楽しむ夫婦も多いみたいじゃない。いないならいないでいいと思うわ」なんて言いはじめる始末で……。

 夫婦で散々話し合った結果、不妊治療は見送ることにしました。


 40歳になったらさすがに「もう妊娠はしないだろうな」と思い、とても寂しい気持ちになりました。

 私はどうしても、子育てがしたかったのです。それは夢……っていうか、私の人生の目標と言っても過言ではありませんでした。


 というのも幼い頃、私の母は、仕事と家事と育児に追われる中でいつも心の余裕がなく、理不尽なことでいつも私を怒鳴っていたんですね。

 一応言っておくと、よい母なんですよ。今でも大好きです。でも、母にいつ怒鳴られるかとびくびくするばかりの子供時代は、ちょっとつらかったなっていうか。


 だから自分に子供ができたら、自分が「こう育てられたかった」っていう子育てをしようって決めていたんです。理想の子育てをすることで、子供時代の自分を癒してあげられるんじゃないかって思っていたんですね。


 子供が産めないのは残念だったけど、次第に「自分で産めないなら、里親になるのもいいな」と思いはじめ、地域の里親制度の情報なんかを調べるようになりました。旦那に相談すると、「それもいいかもね」と前向きな返答でしたので、ふたりで相談会に行ってみようかって話をしていた、その矢先です。


 ある日の夜遅く、大学時代の仲間と飲んで帰った旦那が、唐突に聞いてきました。


「君が子供がほしいのは、なんていうか……老後の世話をしてほしいとか、そういう気持ちもある?」


「老後の世話なんて期待してないよ。私はただ、無垢な小さい子のお世話をしたいだけ。家族三人で、毎日楽しく幸せに過ごしたいだけよ」


 私がそう答えると、旦那はおずおずスマホを出してきました。


「そう、それならさ……。君の望んでいる子供とはちょっと……っていうか、だいぶ違うかもしれないけど。大学時代の友達のね、岡部って、岡部恵子っているんだけど。ほら、結婚式にも来てくれた。覚えてるだろ?あいつも今日の飲み会にいてさ。君が里親になりたがっていることを話すと、だったらこの子はどうかって勧めてくれてね。いや、あいつ、とある……その子のいる施設で働いてるんだけど……。それも俺、今日知ったんだけどさ……」


 旦那はスマホをいじりながら、何だか後ろめたそうな感じです。


「……なぁ、この子の親になるのはどうだろう?育ててくれるひとを探しているんだって」


 そう言って旦那は、私にスマホを突き付けました。私はスマホの画面に写る子に一目ぼれして……瞬時に言葉が出てきません。


「いやぁ……思ってたのと全然違うよな。わかるよ。怒るなよ?怒るなよ?……でも、なんかこの子、気性が激しくて里親も見つからないみたいでさ。里親が見つからないと……わかるだろ?だから、なんというか、この子でよくない?とか思って。ただのご相談なんだけど……」


「可愛い!!!!!!」


 私は旦那が最後まで話し終わらないうちに、思わず叫んでいました。


「何歳なの?」

「2歳半らしいよ」

「女の子ね」

「そう、女の子」

「きらきらした可愛い目してる!」

「っていうか、え?いいの?この子で。思ってたのと違うでしょ?」


 私の反応に戸惑いながら、旦那が言います。


「いいもなにも、この子、うちの子じゃん。一目でわかったよ。私たちの娘だよ。運命の出会い……恵子さんに感謝だね!あなたにも感謝よ!」


 私は興奮して旦那に抱きつきました。

 やっと母になれるんだ!

 その喜びで、胸がいっぱいになりました。


「いわば永遠の3歳児ですよ。頭の中はずっと子供のままです。そして必ず看取る日がきます。そういう子を、きちんとお世話する覚悟はありますか?」


 その施設で課長だという恵子さんは、早速訪ねた私たち夫婦に、いの一番に確認しました。「もちろんです」と私は答えました。

 一生言葉がしゃべれないことも、どんなに長くても20歳までしか生きられないこともわかった上で、我が子として迎えることに決めたのです。


 対面したその女の子は、やはり可愛くて。

 気性が荒いという話だったけど、とてもそうは見えなくて。

 トコトコトコと私たち夫婦の方に近づいてきて、私の足に遠慮がちに顔を寄せてきました。


「あら、このお姉さん好きなの?」


 恵子さんが、びっくりした目で女の子を見ます。


「他のひとがくると、いつももっと警戒するんですよ。噛みついたりもするんです」


「とてもそんな風には見えないけど。いい子だわ」


 私は女の子の頭を撫でました。女の子は、気持ちよさそうに目を細めています。


「やっぱり運命なのかな。この子はうちの子ってわかってるってことか」


 旦那も嬉しそうに目を細めています。


 女の子は、あんちゃんという名前でした。杏の里親になるにあたって、私たち夫婦は講習を受けました。

 簡単に引き渡してもらえるのかと思ったら案外厳しく、しつけ方だったり与える食べ物のことだったり、色々と指導がありました。食べ物は決まったものしか食べさせてはダメだということで、ちょっとお高い市販の食事を指定されてしまいました。

 病院にも行かないといけないようで、それもはじめはきちんと施設に報告しなければならないようでした。


 また里親になる条件として、「できるだけそばについてお世話をしてあげられる環境」というものがあったので、私は杏がうちに来るまでには仕事を辞めると約束しました。2歳半の子が来るんですから、初めからそのつもりでした。


 そうして初の対面から一週間後、審査を通過したという連絡をもらうことができました。私たち夫婦はその一週間の間に、杏の洋服やおもちゃを買いそろえて、迎える準備万端でした。


 夫婦でお迎えに行くと、お利口に待っていた杏は、私に抱かれて大人しく車に乗り込みました。助手席に乗った私は杏を膝の上にのせると、恵子さんに「落ち着いたら里帰りしますね」と一礼しました。


 車が発進すると、杏はぶるぶる震えています。初めての車が怖いようでした。私が「大丈夫だよ、怖くないよ」と言いながら抱きしめると杏の温かさが伝わって、「ああ、私はこの子の母なんだ」と、じわじわ実感がわいてきました。


 こうして私と旦那と杏の幸せな日々が始まりました。

 杏は好奇心旺盛で、ソファもスリッパもテーブルも靴も布団も、何でもがぶがぶ噛みつきます。


「はじめからこういう子だって聞いてただろ?講習受けただろ?いやぁ、ちゃんとしつけないと、ほんと、うちは大変なことになるぞ!」


 言いながら、旦那も嬉しそうです。


 夜は、杏は私と旦那の間で寝ます。

 初めは施設に指導された通り、しつけとして別の部屋で寝かせていたのです。だけどあまりにひどくなくので、可哀想に思って寝室に連れてきたら……その日から杏は、当たり前のように私たちの間で寝るようになったのです。


 お昼ご飯の後、杏とふたりで散歩するのが習慣になりました。近所のひとたちが「あら、可愛いわね」と話しかけてきます。そんな時は決まって杏は、私の後ろに隠れます。施設のひとたちしか知らないので、他の人間が怖いようでした。


「私の娘なんですよ。杏ちゃんっていうんです」


 私がそう紹介すると、近所のひとたちは私に憐れむような目を向けます。ずっと子供が出来なかったことを、知っているひとたちですからね。気にしないですけど……。


 私は杏を、自分の思った通りに育てました。

 杏が何をやっても怒鳴りません。悪さをしたら、一応は「ダメでしょ」と叱るけれど。心に余裕を持って、時間が許す限り一緒に遊んでやります。

 私自身が「何をやってもどんくさいダメな子ね!」と言われて育ったので、杏には「杏はいい子。私の宝物よ。世界一可愛い子。愛してるよ」と言って育てています。

 だけど私の教育方針に、旦那はちょっと不満みたいです。


「ダメなことをした時は、もっと大きな怖い声で叱らないと。マジで言うこと聞かない子になるよ。ほら、俺の靴下だって全部がぶがぶ噛んじゃって、穴だらけじゃないか。君がしっかり叱らないから調子に乗ってるよ!」


「靴下なんか、いくらでも買えばいいじゃん」


「でもきちんとしつけないと。またよそのひとを噛んだりしたら大変だからね」


 それは確かに――。


 杏は可愛いから、よそのひとは思わず撫でようと手を出してくるのです。それで私はいつもハラハラするのです。

 やはり杏は、気性が荒かったのです。

 私の母が噛まれました。

「杏ちゃん、可愛いわねー!」と頭を撫でようとしたら、ガブッとやられて血まみれになり……。病院で3針縫う羽目になったのです。


 そんな事件もありつつも、やはり私は杏のお陰で幸せです。

 夜、私と杏と旦那と三人で川の字で寝ていると、急に杏が20歳までは生きられないという事実が重く私にのしかかってきました。


 こんなに可愛いのに!


 こんな可愛い子を、いつの日か私と旦那は看取らなくてはならないのです。私は堪らずに杏を抱きしめて、その耳元で言いました。


「死んじゃダメよ、杏!あなたは絶対、ママより長生きしてね!」


 杏は眠そうに目を半分開いて、「ワン」と言いました。


 了

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

20歳まで生きられない娘のはなし 斎藤 愛久 @aiku_saito

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ