走馬燈の回る時

新井狛

走馬燈の回る時

 私には三分以内にやらなければならないことがあった。私はわたしを維持するために、立ち止まる事を許されてはいなかった。


 あなたのそばで、いつもあなたと共にあった。あなたが眠るときも。あなたが笑うときも。あなたが泣くときも。いつも。いつも。いつも。わたしはあなたを刻む時間。止まればわたしはばらばらになってしまう。でも、わたしは今日、この特別な日に、三分間だけ足を止めることにしたのだ。


 真白の部屋で、淡い灰色の目が天井を見つめている。その視線は虚ろで、かつて激しく燃えていた炎は僅かな残滓さえも残っていなかった。

 ああ、あなた。誰よりも頑張り屋だったあなた。いつも私に追い立てられ続けていたあなた。足を止めることを許されず、病に侵されてなお闘い続け、ここまでひた走ってきたあなた。


 あなたの額にわたしは触れる。瞬間、世界が凍りついた。しとしとと降る雨は窓の外で、無数の銀の粒になって浮いている。いつも忙しなく廊下を行き交う足音も途絶えた。動かない時計の針、音を止めた機械。静寂がわたしたちを包み込む。


 止まってしまった世界の中で、私だけが静かに動いた。ああ、足の先から身体がほどけていくみたい。さあ、立ち止まって。あなたの輝かしい日々を、思い出して。


 幼いあなたの弾けるような笑顔。ああ、大好きだった白い猫。二人で鞠のように駆け回って、夜は一緒に眠って。ねぇ見て。お父様と、お母様がわらってる。

 愛する人との初めての出会い。一緒に過ごした暖かな夜。ココアを淹れて、星を見て。流れ星を探したけれど、結局ひとつも見つけられなくて。

 ああ、待って。悲しい思い出はしまっておいて。わたしがみんな、連れて行くから。

 美しい海辺の町も、飛行機の窓から見える街のきらめきも。道端の花も、あの子の笑顔も、全部全部。私に追いかけられ続けていたあなたの目に映っていたもの。どれもあなたは気にも留めていなかったけれど、振り返ってみると美しいものでしょう?


 止まった世界の中で、あなたのまなじりを一筋の涙が伝う。口元をわずかに綻ばせて。ああ、良かった。世界じかんの中に溶けていきながら、わたしあなたのじかんも笑う。


 そして三分が経って。世界はまた動き出した。雨粒がしとしとと地面を濡らし、柔らかな土の匂いを運んでいる。廊下をぱたぱたと走る音。真白の部屋に誰かが駆け込んでくる。時計の針が動く。機械は、長く長く響く音を鳴らし続けていた。

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走馬燈の回る時 新井狛 @arai-coma

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