後編

「あなたのサポートをするように言われてきたんですが…」


 声をかけられた神経質そうな女の顔は、わずかにそちらを向いたように見えた。


 だがその視線はモニターに張り付けられたままで、両手の指はキーボードの上で激しく踊り続けている。


 薄暗く広いオフィスに女以外の姿は見えない。


 男が仕方なくその場に立ちすくんでいると、30秒ほどしてタイプ音が止んだ。女のメガネが若い男の姿を映す。


「ごめんなさい、ちょっと手が離せないタイミングだったから。よろしくね、事情は聞いてる?」


 男は「収集したデータの解析だと伺ってます」とだけ答えると、緊張しているのか少しだけ視線を逸らした。


 天井が高く開放感のあるオフィスは、照明が最低限に落とされていて、ちょっとしたバーのような雰囲気をかもしている。


「そう。上から情報を共有して構わないと言われてるから、かいつまんで説明するね」


 軽くキーボードを叩く。


 呼び出した情報と男が首から下げたIDとを見比べながら、女は改めて男の顔に視線を戻して言った。


「うちのチームが開発中のアプリケーションがあるんだけど」


 言いながら、隣のスペースから引き出した椅子を男の方へ押しやる。


 男はその背もたれを両手でつかんで、しかし立ったまま先をうながすように女を見た。女は話を続ける。


「レコメンド機能の進化版みたいなものをイメージしてもらえば分かりやすいかな」


 レコメンド機能はウェブの閲覧や検索履歴などからユーザーの好みを割り出して商品などをオススメする機能だが、チームが開発していたのはより高度なものだった。


 スマートフォンのカメラやマイクから常時情報を収集してAIに学習させ、より正確にユーザーの望んでいるものを導き出すと言う。


「そして言動を分析してAIが導き出すのは、ユーザー自身が認識している欲求に留まらない。いま開発してるのは、ユーザーがで望んでいるものまでも解析して、画像として生成する機能なの」


 女の言葉に男は大きく目を見開き、その意味を理解してから小さくうなずいた。


 本人が自覚していない欲求まで読み取るとは驚きだ。


 そして確かに実用化の段階に入れば、それを画像として提示することが求められるだろう。


 男に背もたれをつかまれたままの椅子がギッと音を立てた。


「なるほど興味深いですね。どんな欲求も画像として生成可能なんですか?」


「残念だけど、現状ではまだまだ不安定と言わざるを得ないわね。まずユーザーの無意識下の欲求……。きれいな言い方をすれば自分でも気づいていない夢かな。そこから得られる情報はどうしても細かな点がリアリティに欠けるものにならざるを得なかった。

 ただAIはそれを許容する傾向にあったから、元となる欲求によっては子どもの描く絵みたいになってしまう事もあったけど、それを一般的な画像生成技術でフォローすれば、欲求の原型を破壊せずに、実用可能レベルの画像を得ることが出来た」


 女は続ける。


「じゃあ意識下の欲求はと言うと、そこから得られるデータは、無意識下で得られるものよりも基本的に詳細で質が高いものだった。

 だったら当然、生成される画像もより自然な物になると、そう想定できるわよね?」


 突然の問いかけに男はあわててうなずいたが。女のそれは、その否定を予感させるものだ。


「実際、モノに対する欲求であれば、ほぼ問題なく自然な画像が生成可能だった。現実に存在するものならね」


 そこで女は一度言葉を区切った。左右の眉をわずかに寄せる。


「問題は、コトに対する欲求。例えばヨーロッパ旅行に行きたい、大金持ちになりたいといった欲求の場合ね。

 こちらは何故なぜか、自然な画像が生成される場合と、その反対に無意識下よりもかえって不完全な画像が生成される場合に分かれてしまったの。」


 女は小さくため息をつく。


「チーム内で行われたテストでは、どうしてもその原因を突き止める事が出来なかった。それで私たちは対象を一般に拡大して、大規模なクローズドテストを実施したの。全世界で100台。無作為に選んだスマートフォンにこのアプリケーションを仕込んだ。プライバシー面の問題をクリアできなかったから、ユーザーからの許可を得ないままね」


 男は口をひらいたが、女がさえぎるように「もちろん違法」と言うとそれを飲み込んで黙った。


「でもおかげでよりナチュラルなデータが得られたと思う。ただ最近、ちょっとした問題が見つかってね」


 女は鼻をつまむようにしてメガネの下から指を差し入れると、目頭めがしらを揉みながら言う。あまり寝ていないのだろう。


「生成画像が格納されたmindマインドフォルダのマスクが外れてしまう可能性が確認されたの。要はフォルダがユーザー側から視認できる状態になってしまうってことね。もっともかなり特殊な条件を満たさないと発現しない現象だから、その確率は無視できる程度のものだったけど。

 でも念のため、先日のOSアップデートのタイミングでアプリはいったん削除した。今はもう100台のスマートフォンにその痕跡は一切残っていない。もちろん生成された画像も含めてね」


 男は女の話を黙って聴いていたが、説明が一段落したことを確認して口を開いた。


「つまりそのテストで得たデータから、生成画像の質を安定させる方法を探ると、そういう事ですか」 


 女はうなづく。


「そ、有意識下で生成され、かつ安定を保ったままの画像を抜き出して、その生成過程から条件を定義できれば、それで上が欲しがってるモノは実現可能だと思う」


 男は理解し、反射的に頭の中で作業手順を組み始めた。


 しかし説明を終えたはずの女は、男から視線を外しモニターに目をやると、データファイルのアイコンをマウスポインタでくるくると撫でながら、つけ加えるように言った。


「ただ個人的にもう少し、このデータを深堀りしてみたいと思ってる。

 有意識下に移行した欲求から画像がうまく生成できなくなる理由には、その欲求に対するユーザーの意識が関わってるんじゃないかって気がするの」


 マウスをあやつる手を止めて、女は高い天井を見上げる。


「そこにはつまり、人が夢を現実ととらえてなお、希望を持ち続けるためのヒントみたいなものが、あるんじゃないかって思うわけ」


 男は聞いて、口をひらいた。


 が、ややあってふっと息を吐くと、その表情を柔らかくする。


「なんです?

 深層学習ディープラーニングの権威らしからぬお言葉に聞こえましたが」


 女は一瞬だけ視線を流し、しかしすぐに薄暗い天井に戻して言った。


「だからこそよ。私はヒトをより深く理解したいの。それに個人的な欲求を満たせないなら、こんなリスクの高い仕事、とっくに降りてる」


 そう言い放って女は、そこで初めて表情らしきものを作って男に向きなおった。


「ま、そんなわけで解析よろしくね。

 OSのアップデートに紛れて回収した未解析データ、たっぷり14か月分はあるから」


 男はちいさく「聞いてないよ」とつぶやいたようだったが、それでも楽しそうに宝探しに取り掛かかった。


 女は軽く伸びをすると、眼鏡を外してデスクの上に置き、立ち上がって窓に近づいた。


 背後から聞こえてくるリズミカルなキータッチの音を聞きながら、女は遠くの空を見つめ、無意識に夜明けの萌芽ほうがを探す。


 そしてどこか救いを求めるような声音こわねで、ぽつりとつぶやいた。


「そんなユーザーがいたら、良いんだけどな」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

未来フォルダ~オムライスから始まる大女優への道~ 田沼とおり @TanumaTo-ri

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ