未来フォルダ~オムライスから始まる大女優への道~

田沼とおり

前編

「あれ?なにこれ?」


 休憩室、という名の実質ロッカールームけん事務所で、私はパイプ椅子に腰かけながらスマホの画面に向かって話しかけた。


 前もって「ヘイ」とか「オッケー」とか言ってなかったし、まわりに聞いてくれる人もいなかったが、私は思ったことを口に出すタイプなのだ。


 友人からはよく「なんかお母さんみたい」と言われる。言っとくけどウチのお母さんはこんなもんじゃないよ。



 バイトの休憩時間。


 ひとりきりで話す相手もいなかったので、私は暇つぶしに写真の整理でもしようかとスマホをいじっていた。


 最近までは撮るだけ撮ってほったらかしだったのだが、私のことをお母さん呼ばわりした友人にスマホの赤くなった容量表示を見せると、まるでお母さんに教えるみたいにやさしく写真整理の仕方を教えてくれた。


 それからは要らない写真を削除しながら「たべもの」とか「ともだち」とか、分かりやすい名前を付けたフォルダに分けるようになった。パズルみたいで意外に楽しい。


 それで今も、パズルゲームのBGMを鼻でふんふんとかなでながら写真をフォルダに移していたのだが、そんな中に、見慣れない名前のフォルダを見つけたのだ。


 アルファベットで「mi」とだけ書かれている。


 なんだろう?間違って作っちゃったのかなぁと思いながら中身を確認してみると、結構な量の写真が入っていた。


 ところどころピントが合っていないというかボカシが入っているというか、とにかくハッキリしないものが多かったが、比較的ハッキリしているオムライスの写真はウチのお母さんが作る固焼きタイプのオムライスで間違いない。


 何か変だなと思いながらも、うーんもうちょっとふんわりに出来ないものだろうかと、そんな事を考えながらシゲシゲと写真を眺めていたら「おつかれーっす」と後輩のサイトー君があがって来た。


 時計を見たら私の休憩時間はすでに終わっていた。


 わぁごめんごめんと言いながらエプロンをひっつかんだ私は、あわてて仕事に戻って、それっきりそのフォルダのことは忘れてしまった。



 それを思い出したのは、その夜のごはんがオムライスだったからだ。


 思わず、いろいろすっ飛ばして「なんで?」とお母さんに聞いてしまった。


「今日はお父さん、外で食べてくるって言うからー」


 キッチンのお母さんはそう言って「途萌香ともちゃん、お父さんのせいでお母さんのオムライス食べられない!って言ってたじゃない?」と付け加えた。


 オムライスだとごはん食べ過ぎちゃうから。とかいう理由で、お母さんはお父さんにオムライスを出さないようにしていた。


 でもお父さんなかなか痩せないのよねえ。痩せたらカッコいいのに。背はちょっと低いけど。ほりも深いし。でも最近髪が――


 さらに続くお母さんによるお父さんにまつわる独り言を聞き流しながら、私はあわててスマホを取り出すと、例のフォルダを開いて写真を確かめた。


 多少ピンボケてはいたけれど、確かに写真のオムライスと目の前のオムライスは同じものだ。


「は?」


 思わず声が出た。


 それが聞こえたのか、お母さんは「だってフワフワにするの難しいんだよ」とかなんとか言っていたがそれどころじゃない。


なんで晩ごはんの写真が、の?



私はモヤモヤを抱えたまま、でもオムライスはしっかり食べ終えてから、急いで自分の部屋に戻ってベッドに寝転がった。


改めて例のフォルダの写真を、時間をかけて見てみる。


 やっぱりボンヤリして何だか分からないものも多かったが、私とおぼしき人物が写っているものは結構あった。


 舞台やカメラの前で何かを演じている姿や、顔はぼやけて良く分からないけれど、背の高い男性と手を繋いでいる写真もある。


 しかしこれまで私は、ちいさな頃のお遊戯ゆうぎ的なものを除けば、舞台に立った経験がない。


 男性とお付き合いしたことが無いとは言わないが、その彼らと写真の彼とでは何と言うか、イケメンオーラの格が違う。ような気がする。なんかいろいろ申し訳ないが。


 写真の彼、そしてその仲間と思しき人たちの顔はハッキリしなかったが、どうやら劇団のメンバーのようだ。写り込んでいるポスターから、その劇団の名前はハッキリと読み取れた。


 同年代の女子たちと同じ程度にはタレントやアイドルにあこがれを持っている私だが、芸能界にはそれほど詳しいわけではない。


 しかしそれでも知っている、ドラマや映画に出演しているような有名な俳優をたくさん輩出してきた有名な劇団だ。


 え?どうしよう。


 私の自律神経は何かの可能性を感じ取ったのか、心臓を激しく収縮させた。体中を血液が駆け巡る音がする。


 いやいや間違ってフォルダを作っちゃって、たまたまそこにオムライスの写真が紛れ込んだだけだよね?


 でもウチのオムライスの写真なんて撮るかな私。インスタにアップできない写真撮らないよね私。バイトとは言えオシャレカフェ店員だし私。あんなえないオムライスいや待ってお母さんのオムライスうまいよ!美味しいんだよ大好きだよ私。だが見た目が。そうあれだマヨネーズだ。あいつを混ぜれば固まらないってこないだ店長言ってた、今度お母さんにいやそれはいい、だめだ私の頭の回転が速すぎて私がついていけない。宝の持ち腐れ、豚に真珠。いや豚はひどいな猫のほうにしよう猫に念仏――


 私は血流ブーストでゾーンに入ってしまった私の論理的思考能力と少し距離を置く事にした。


 あそっか。


 この劇団の入団オーディション受けてみればいいじゃん。


 おかげで一瞬で結論にたどりついた。


 演技経験の無いシロウトの私がそうそう受かるもんでもなかろう。

 べつに失うモノも無いしさ。


 早速私は劇団のホームページでそこに入る方法を調べてみた。


 ふむふむ。


 入団と言うか、まずは試験に合格して、付属の研修所に入る必要があるみたいだ。


 18歳以上なら演技経験不問で受験できるらしい。募集人数は年に30人ぐらい。いい具合に狭き門だな。よく知らないけど。受験料も1万円ちょっとで私のバイト代から出せない額じゃない。


 私は「資料請求はこちらから」をタップした。



 数か月後。私はむちゃくちゃ腹筋をしていた。


 入所試験には予想していたよりもたくさんの人たちが集まっていて、予想どおり受験者は演技経験のある人がほとんどだった。


 私は劇団のえらい人達の前で「スマホに覚えのない写真があって、その中で私はこの劇団でお芝居をしていたので応募しました」と真顔で言って、演技とは口が裂けても言えないような、ソウダさんのモノマネみたいなものを披露ひろうして見せた。


 ソウダさんはカフェの常連さんで毎朝決まってエスプレッソのドッピオをオーダーしてくれるヒゲがシブいおじさんだ。「いつものドッピオでよろしいですか?」と言ってあげるとニッコリ笑ってとっても嬉しそうにする。いつも「そうだね」と言ってくれるのでソウダさんと呼ばれていて、バイトの間でマスコット的な人気がある。いや何の話だったか。


 ともかくだから合格通知をもらった時は正直喜びよりも「どうなってんだあの劇団は」と思った。


 しかし、という事はやはりこれはそういう事なのだろうと、私は改めてスマホを眺めた。


 この突然現れた「miフォルダ」は、本当に「未来フォルダ」なのかもしれない。


 だとしたら私は将来女優になるのだろうか。舞台やドラマ、映画やCMで大活躍してしまうのだろうか。そしてイケメンと恋に落ちるのだろうか!


 そんなわけで私は迷うことなく劇団の研修生となった。


 授業料のことまでは考えていなかったが、お父さんに相談すると「やりたい事があるなら途萌香ともかを応援するよ」と言って足りない分を出してくれた。


 ありがとうお父さん。将来ギャラで何倍にもして返すからね。内緒でカップラーメン食べてたことも黙っててあげる。


 劇団の研修生は講師から指導を受けながら鍛錬を積み、何度かのオーディションを経て、劇団への所属を目指すことになるらしい。


 30人ほどの研修生のうち最終的に正所属が叶うのは例年2、3人ほどなんだそうだ。


 実際にレッスンを受け始めると思った通り、私とまわりとの差は歴然としていた。


 が、それは想定内だったのであせりは無かった。想定外だったのは、想定以上に演劇には体力が必要だったことだ。


 講師たちは基礎的な筋トレや柔軟の方法、自然な姿勢や発声などを指導してくれたが、毎日手取り足取りしごいてくれる訳ではなかった。それを日々実践するのは研修生自身だ。


 私はまわりに付いていくので精一杯だったが、なにせ私の未来は女優で確定しているのだ。


 常識的な回数を超えるむちゃくちゃな腹筋運動におなかをピクピクと痙攣けいれんさせながら、しかしこの苦しみは将来確実に役立つのだと思えば、薄れゆく意識の中でも自主トレーニングに力が入る。


 おかげで半年も経つと、私はなんとか周囲との差を埋めることが出来たようだった。もちろん演技力の面ではなく、あくまでスタミナの面でだが。


 そんな、腹筋も割れて、主に肉体的に充実していた日々の中で出会ったのが彼だ。


 ひとめ見た瞬間にピンと来た。あの写真の彼だ。


 彼はひとつ上の先輩で、色白ですらりと背が高く、日本人離れしたほりの深いそのマスクもあいまって、研修生のなかでもひときわ目立つ存在だった。


 というか完全に私好みの顔だった。


 念のためと、改めて未来フォルダの写真をじっくり見返してみる。


 私とほほ笑み合う男性の顔は、以前よりもクッキリしているようで、確かにこれは彼だと確信できるものになっていた。



 こりゃあイケる!



 以前なら遠くからながめてきゃあきゃあイケメンとわめいているだけだったであろう私は、迷うことなく堂々と前フリ無しで真正面から彼にこくった。


 彼とそういう関係になるのは確定しているのだからひとつも心配することは無いのだよ君ぃと思いつつ、でもやっぱり結構ドキドキして、私のまぶたはピクピクと痙攣けいれんした。


 こうして私の未来フォルダへの信頼度は、またひとつ上がった。


 まぶたピクピク痙攣女けいれんおんなは無事、ギリシャ彫刻型イケメンの彼女におさまる事に成功したのだ。


 彼と付き合い始めて、私の世界は広がった。


 誰から見ても何処どこから見てもイケメンと言える彼の隣に立つと、なんだか誇らしくて以前にも増して自信が湧いてくる。「最近きれいになったね」なんて言って、男たちもたくさん寄って来るようになった。


 私は大気圏を突破して赤道上空3万6000キロの衛星軌道上まで浮かれあがった。


 それはそうだろう。素敵な彼。確定している女優としての未来。これで浮かれるなという方が無理だ。


「女優になるならもっと色々な経験を積まなくちゃだめだよ」


 そんな言葉をささやきながら近づいてくる、いわゆる業界人たちとも付き合うようになった。彼らは私の知らない大人の世界をたくさん見せてくれた。


 彼は心配そうにしていたけれど私は将来大女優になるんだから、若いうちにたくさんいろいろなものを見て、そして経験しておかなければならない。


 そう、たくさんだ。


 私はたくさんの経験を積んで、精神的にも、そして肉体的にも充実した毎日を送るようになった。


 赤道上空をたくさんの静止衛星たちと一緒にフワフワと舞いながら、私はより魅力的な女になっていったのだ。



 それなのに。


 突然彼に呼び出されて、別れを告げられてしまった。


「ごめん、僕はもう君のこと、尊敬できなくなってしまったみたいだ」


 そう言い残して去っていった彼を、私は、引き止めはしなかった。


 だって私は女優だから。


 彼との別れも芝居のかてにして、明るい未来に向けて羽ばたくんだ。


 そう言い聞かせて、私は大切な人から否定されてしまった私という存在を肯定した。


 数週間後に行われた、研修生の発表公演オーディションの結果、私は実質的に裏方うらかたに回された。


 身に覚えはあった。確かにこのところ稽古に身が入らないことが多かったし、自主トレーニングもおろそかになっていた。


 でも私の未来は確定しているはずだ。こんなところでつまずくはずがない。


 稽古場でオーディションの結果を知らされた直後、私はあわててスマホを取り出すと、久しぶりに未来フォルダを開いて、そして大きく目を見開いた。


「はぁ?なんで……」


 彼と一緒に写っていた写真は、大きくぼやけて、ほとんど誰だかわからなくなっていた。


 悲しかったがそれは仕方がない。彼とは終わったのだ。


 私が愕然がくぜんとしたのはその先だ。舞台の中心で輝いていた自分の姿までもが、消えかかっていた。


 心臓が激しく収縮と拡張を繰り返す。


 待って待ってこれ何?どういう事?私の未来は確定してたんだよね?

 ホントに待って。なんでよ?彼と別れたから?そうなの?


 そうか。


 彼と別れたから、写真から彼が消えて、この未来フォルダは、実現しなかった未来をふくんだ、不完全なものに、なって、しまったんだ。


 この未来フォルダの未来は、確定したものじゃなかったんだ。


 きっとしめされた未来。それに沿っていかなければ、そのさらに先の未来は不確実になってしまうものだったんだ。


 どうしよう。


 私は頭を抱えてその場にうずくまった。

 もうだめだ。私は女優になんかなれない。また何者なにものでもないフリーターに戻るしかないんだ。


 自業自得じごうじとく


 そんな言葉が頭に浮かぶ。


 そうだよね、彼の事も芝居のこともほったらかして女優気取り。そんな女、彼にも未来にも愛想あいそをつかされて当然だ。


 涙も出なかった。


 稽古に励む同期たちを横目にふらふらと遊び歩いていた自分を思い返すと、そんな自分を憐れむ気も起きなかった。



 でも…… と思った。


 彼が好きだと言ってくれた、あの必死に頑張っていた私は?


 私の意識は、唐突に私から突き離された。


 さっきまで私がいたはずの場所に、もう一人の私が現われた。あの頃の私だ。彼女はむちゃくちゃ腹筋をしている。ただただ一心に、むちゃくちゃに腹筋をしている。


 あぁダメだ。私は思った。こんなにむちゃくちゃに腹筋ばっかりしてる女、彼女は、彼女は、救われなきゃならない。


 涙が流れた。


 私は、彼女に為に、彼女の夢を叶えなきゃ。


 私はその場にしゃがみこむと、彼女がしていたように、むちゃくちゃに腹筋を始めた。たるんだお腹はすぐに悲鳴を上げた。


 自分勝手なのはわかってる、今さらなんだと思うだろう。でも私じゃない、私は彼女のことを裏切れない。



 それからの私は、裏方として黙々と体を動かしながら、同期たちの芝居を見つめ、そしてただ日々の稽古に没頭ぼっとうした。


 稽古中に、心が動くとはこういう事かと、自身の中心が打ち震えるような経験をする。


 少しずつ、何か手がかりのようなものが掴めてきたような気がした。


 数か月後の研修生公演オーディションでは役を貰うことが出来た。



途萌香ともかさん」


 数日後、稽古場でふんふんと腹筋をしていると声をかけられた。彼だった。


「僕は君のこと、見誤みあやまっていたのかもしれない。なんて言ったら良いか分からないけど…… その、応援してるから」


 それだけ言うと、彼はきびすを返して足早あしばやに稽古場を出て行った。



 今ならわかる。


 なぜ彼があの時、私の告白を受け入れてくれたのか。

 あんなに恵まれた姿かたちの彼だって、不安だったんだ。


 だからあの頃の、何も疑わず、迷う事も無く、まっすぐ前だけを見ていた私にかれたんだ。



 少し前に、彼が彼の同期の子と付き合い始めたといううわさを耳にしていた。


 彼にお似合いのスラリとしたきれいな女の子だ。卒業公演では主役を演じるという彼女の芝居は私も大好き。


 彼は彼で重要な役を任されたと言うから、稽古に熱が入る頃だろう。


「さて」


 あれから未来フォルダの彼の顔は完全に消えて、その男性は誰だか分からなくなってしまった。でもたぶん、彼ほどのイケメンではない。


 ほんのりと「逃がした魚は大きい」ということわざがよぎったが、あわてて頭をぶんぶんと左右に振って物理的に振り払った。


 私はなんだか必要以上に割れてゴツくなり、主に精神面を支えてくれるようになった腹にふんっと力を入れ直すと、腹筋運動を再開する。


「もうっ、オーラがっ、ねっ、オーラがちがうのよおっ」


 思ったことが口から出てしまう癖は抜けない。遺伝だからな。ぐいぐいとおなかに負荷をかけ続ける。


 そう、私は私で頑張らなきゃならない。


 未来フォルダのなかの彼は消えてしまったが、一緒に消えてしまうと思われた私の姿は舞台上から消える事は無かった。


 むしろ最近は以前よりも写真全体がクッキリしてきて、なんと言ったらいいか、ところどころ細かいところまでが鮮明になってきたような気がする。


 理由はよく分からないけど。まぁそういう事なんだろう。


 私は腹筋を終えると、今度は腹ばいになって、背筋のトレーニングに移った。


「わたしも浴びるぞ、スポットライトぉー!」


 ぐいと、上半身を天に向けて反る。


 その拍子に、稽古場の窓から射したのひかりが眼をくらませて、私は思わず目を細めた。

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