スーパーにはバッファローがいる
石田空
争奪戦
優紀には三分以内にやらなければならないことがあった。
本日水曜朝十時。
既にスーパーの前には臨戦態勢の主婦、大学生、老人たちがスーパーの自動ドアの鍵が開けられるのを今か今かと待ちわびている。
水曜朝。全国チェーン店のように大きくもない地元密着型スーパーにはとんでもないキャンペーンが存在している。
売上3000円以上お買い上げレシートにつき、卵一パック無料サービスというキャンペーンだ。
いくら株が史上最高価格となっていたとしても、実在経済に影響が及ばない限りは好景気にはなり得ない。不景気真っ最中の地方都市にとって卵一パック無料というのは喉から手が出るほど欲しいキャンペーンだった。
だからこそ、最速でレシートをゲットし、出入り口に存在するサービスカウンターで卵を交換して帰るルートを探り出さないといけなかった。
優紀はちらっと自動ドアの真ん前で陣取っている主婦を見た。
肩に背負う買い物バッグは大きい上にクールパック仕様だ。おまけに買い物カートにカゴをふたつも装備しているということは、今日をまとめ買いの日として定めているのだろう。この手の人物は野菜コーナーからじっくり吟味しながら買い物をするから、まず野菜コーナーは捨てなければいけない。カートは後ろがつかえるのだ。
続いて地元の老人を見る。一見よぼよぼとしているが、カゴをひとつしっかりと握りしめている。
この手の人は、昼間はお惣菜コーナーでお惣菜を食べるタイプだ。年寄りは台所に長時間立ってられないため、できる限りご飯を炊いてお惣菜と卵でおかずをどうにかするタイプだろう。幸いひとりならば、お惣菜コーナーはそこまでつっかえない。
かく言う優紀は、今日は週に一度の大学休みのときだった。普段は大学の授業とバイトに明け暮れて、出来合いのものしか食べられない中、唯一思いっきり好きなものを食べて寝て問題のない日。
卵を買い、半分は冷凍させてちまちまと使いながら、半分は料理をつくるのだ。
オムライスに卵三つも使う贅沢は、卵に余裕がなかったらできない。しかし昨今の物価高で卵を料理一回につき三つも使うのは値段がチラついて躊躇うのだ。
だからこそ、週に一度のこの日にかかっているのだ。
やがて。店員がやってきた。自動ドアに鍵が回され、開かれる。
「いらっしゃいませー。スーパーにようこそー!!」
客はバッファロー。まるで全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れと化して、一気に押し進んでいった。
優紀の作戦はこうだった。
とにかく主婦が詰まる野菜コーナーを避け、一気に野菜コーナー奥のお惣菜コーナーに突き進む。そこで三日分の弁当分のお惣菜を購入し(冷凍保存しておけば、三日間は余裕で持つ)、ぐるっと回って調味料コーナーに移動する。
週に一度の卵無料サービスの日に、その週足りなくなった調味料の購入を心掛けていた。そろそろ醤油がなくなるのだから、醤油を買う。そしてパンコーナーに突き進み、パンを買ってレジに向かう。
このぐるっと回るコーナーで、一気にレジで3000円分のレシートをゲットし、優雅に卵をもらって帰ると言う寸法よ。
そう考えて自動ドアを通ったとき。
店は雑然と詰まっていた。
待て。野菜コーナーは遠い。なんでこんなに入り口が詰まってるんだ。なに。特売品。スーパー出入り口の特売品コーナーが詰まっているだと。
こんなところで3000円分も買える訳がないだろうが。そう思ったとき、スーパー出入り口コーナーを信じられないものを見た。
これは、昨日人気料理人系芸人が「この調味料なんにでも使えてむっちゃオススメ」と言っていた、焼き肉のタレが大量に積んでいるじゃあないか。
皆がそれに手を伸ばしてこぞって加護に放り込んでいくために、出入り口が既に詰め詰めになってしまっていたのだ。
これがチェーン店であったら通路の幅も余裕があり、そこをすり抜けて余裕でお惣菜コーナーにまで駆け込めただろうが、残念ここは地元密着型個人スーパー。そんな広い通路はない。
「すーみーまーせーん-。とーおーりーまーすー」
狭い。苦しい。おばちゃんむっちゃ群がってる。特売品コーナーを抜け切る頃には、もう息切れをしていた。
いけない。3000円。いくら来週もセールがあるからって、定価だと卵はタダではもらえない。
なんとかお惣菜コーナーに到着し、弁当に使えるものと今日の昼ご飯をふんだんに買い入れる。家に帰ったら小分けにして冷凍保存しておこう。
そこでさっさと調味料コーナーに回ろうとしていたら。
「本日ー。本日肉が特売でーす」
店員がマイクを使って宣言しはじめた。途端にバッファローの群れと化した主婦が肉コーナーに群がる。
特売品コーナーはミーハー客が多かったが、肉コーナーに来る客はガチ勢だ。なんと言っても肉は高い。しかし肉は美味い。毎日安い鶏肉だけでなく、たまには牛肉だって食べたい。肉の特売セールに人が群がるのは当然だった……ところで。
優紀の向かいたい調味料コーナーは肉コーナーの真向かいだった。
あ、これバッファローの群れに突撃しないと買えない奴。
肉コーナーの宣伝する店員がいる一方、サービスカウンターからもマイクの声が轟く。
「本日3000円ご購入のお客様先着100名様に、卵無料配布キャンペーンしておりますー。皆様ふるってお買い物してくださーい」
地元密着型スーパー万歳。商売熱心。でもやめて。
肉コーナーから動けない。出られない。
優紀は必死に肉コーナーを潜り抜けるが、調味料コーナーを俯瞰して見られないため、醤油の元に辿り着けない。
人多い。人多い。年頃高校生抱えている主婦が次々と肉の塊を買って去っていく。腹減らした高校生の化け物じみた食欲は舐めてはいけない。肉が毎日溶けていくから、特売とは切っても切れない仲になる。
畜生、余裕をもってやってきたはずなのに、卵が回転と同時に次々と消えていっている。卵を積んでいるカートが、だんだん空白が目立つようになってきた。
優紀が醤油をカゴに突っ込めたのは、主婦が一瞬だけ空いた瞬間だった。肉が溶けるように売れていくため、肉コーナー担当が「失礼しまーす」と入ってきたため、主婦の流入が一瞬だけ止まったのだ。
チャンス。あとはパンを一週間分買えば終わる。これもまた一部は冷凍させて一週間持たせるのだ。そこでパンを買いあさって、ふと優紀は気付いた。
……値段があと100円足りない。ざっくりと計算して、あと商品ひとつ分だけ買わないといけないと気が付いたのだ。
卵の値段はシビアだ。当然3000円レシートでなければ買わせてくれない。
だとしたら、なにかひとつ。
優紀はざっとレジまでの道なりを見た。
レジにかかっているお菓子。あれはレシート対策で置いてある比較的良心的な値段のお菓子が多いが、本当に毒にも薬にもならないものが多くて、あれを買うのかと一瞬迷う。
卵は欲しいが、いらんものを買うのかという迷いが生じる。そこで。チョコレートを見つけた。
最近ちょっとだけ値段の上がった板チョコ。しかし板チョコ。カロリーと糖分の塊のため、勉強のお供にはちょうどいい。ひとかけら齧りながら勉強すると頭がよくなった気がする。気がするだけ。
優紀は背に腹は変えられず、それを一枚買ってレジに並んだ。
店員はベテランなのだろう。すごい勢いでレジを通してくれる。その中、レジからハッピーバースデイが並んだ。
「おめでとうございます! 本日誕生日割引で5%オフです!」
良心的地元密着型スーパー。本当に良心的。でも今は5%オフいらなかった。
優紀は必死に考えた。3000円の5%は150円だ。泣く泣く板チョコを二枚追加してカゴに入れた。
卵をひとつもらう。
それは卵と特売品に見せられた数多のバッファローとの戦いを制してからもらうものだった。
その日はなんとか勝利できたが、いつもこうとは限らない。
特売はその日の天気と地元行事とその他もろもろ大人の都合に左右されるものなのだから。
<了>
スーパーにはバッファローがいる 石田空 @soraisida
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