屠れサメロス

惟風

始まりの日

 サメロスは激怒した。必ず、かの邪智暴虐の転売ヤーを除かなければならぬと決意した。

 サメロスは、妹想いのサメである。人間を食い千切り、その首で兄妹でビーチバレーをするなどして仲良く暮らしていた。けれども妹を泣かせる者に対しては、サメ一倍に敏感であった。


 サメロスはその日、離島の漁村を襲撃し、村人の踊り食いに舌鼓を打っていた。すると、可愛い妹の泣き声が聞こえてきた。慌てて海岸へと躍り出るサメロス。

 そこには、目に入れても痛くないほど可愛い妹ザメと、一頭の海獣が海面から顔を出して向かい合っているではないか。


「シャーチシャチシャチ!」


 妹に向かって高笑いをしているのは、サメロスが毛嫌いしている海のギャング、サカマタであった。

 まだ身体の小さなサメロスの妹の目の前で、ぬいぐるみを咥えてチラつかせている。

 それは、妹が去年から熱を上げているアニメ「海星クラゲのカーニィ」のぬいぐるみであった。ブヨブヨとして血のように赤い腕が星形に伸びている姿は愛嬌があり、妹だけでなくサメロスの友人や親世代にも人気のキャラクターだ。だが、あまりの人気のせいでグッズが争奪戦になり中々手に入らないということでも有名だった。

「コイツが欲しいんなら、金を払うシャチー! 十万マリンで売ってやるシャチよ!」

「そんな……! 定価の百倍じゃない!」

 妹の悲痛な叫び声が海原に響き渡る。

「手数料シャチねー! 都会のグッズがお前みたいな田舎者の手にも入るように、俺様が買い付けてきてやったシャチィ! シャーチッチィ!」

「外道が、今度のシノギは転売か」

 サメロスはたまらず口を挟んだ。巨体をうねらせ海に飛び込むと、妹とサカマタの間に割って入る。

「何とでも言うシャチ!」

 サメロスはサカマタを睨みつけた。だがサカマタは意に介さぬ調子でぬいぐるみを弄ぶ。ポンポンとお手玉のように放り投げ、突き回す様子を見せつける。

「ほおら、このカーニィちゃんが欲しくないシャチかあ?」

「ひどい……!」

「下がっていろ」

 サメロスは、憎き転売ヤーから視線を外さず妹に指示を出した。妹が距離を置いたことを鮫肌で感じ取ると、ざぶりと海中に潜る。海底まで一直線に下るとくるりと反転、今度は上昇し、勢いのまま空高く跳び上がった。偶然にも高度一万mを東に向かって飛んでいた旅客機の横につけると、サカマタ目がけて尾鰭で叩き落とす。

 海面が割れんばかりの勢いで墜落してきた飛行機を、サカマタはすんでのところで躱した。間髪を入れずサメロスの全身ドリルが襲いかかる、これも辛うじて避けた。突然の連続攻撃にさすがの極悪獣サカマタも驚きを隠せない。

 大量の水飛沫が、一帯に雨のように降り注ぐ。旅客機の残骸は黒い煙を上げながら沈んでいった。離島は高波に巻かれた。わずかに残っていた島の生存者達は悲鳴をあげる間も与えられずに呑まれた。


「何てことするシャチ!」

「殺して奪い取るまでよ」

 サメロスはサカマタ以上の外道であった。

 サメロスに法はわからぬ。道徳も知らぬ。ただ妹の笑顔さえあればそれで良い。


「無法が過ぎるシャチ!」

 サカマタは頭をサメロスに向けた。噴気孔から音波攻撃を仕掛ける。

「ぐっ……!」

 サメロスの全身に衝撃が走る。痛みで身体が硬直する。

 十分に避けられる攻撃であった。だが、サメロスの後ろには愛する妹がいた。サカマタのような悪逆非道な奴に傷つけさせるわけにはいかなかった。

「お兄ちゃん……!」

「だい……じょうぶ、だ……お前は、逃げろ……」

 サメロスは振り向かない。自分の背中は、敵にではなく守る者に対して見せるものであるという矜持があった。

「トドメを刺してやるシャチぃ!」

 サカマタが鋭い歯を覗かせながら突撃してくる。サメロスを食い殺す気だ。

「お兄ちゃん逃げて……!」

 だがサメロスは、逃げるどころか大口を開けてサカマタに真正面から齧りついた。妹の前で無様な姿を見せたくないという意地が、常軌を逸した力を引き出した。

「シャチィィィ!」

 顔の半分を齧り取られたサカマタの絶叫が血飛沫と共に噴き上がった。

「悪質転売ヤーには何をしても許されるって俺の中では決まってんだよ」


 暴論だ!

 サメロスは筋が通らない論を暴力で押し通す、暴論・シャークだった!


「申し訳……あり……ません、ダイ……オウ……様……がぁっ!」

「何っ!?」

 サカマタは語尾の“シャチ”を言い終わる前に絶命した。サメロスの攻撃によるダメージで遅かれ早かれ尽きる灯火ではあったが、吹き消したのは別の者であった。

 空から襲来した一本の黒い槍がサカマタの脳天に突き立ち、極悪者を絶命せしめたのだ。

「何者だ!」

 サメロスは弾かれたように叫んだ。

「イーカイカイカイカ! 役立たずの哺乳類だったイカね!」

 頭上から、甲高い笑い声が降ってきた。

 いつからそこにいたのか、空中を漂う一匹の巨大なイカがサメロス達を見下ろしていた。

「雑魚なりに端金はしたがねくらいの稼ぎはあげられるかと思っていたが、ここまで無能だとは思わなかったイカ! 失望したイカ!」


 この者こそ、悪質転売ヤーを統べる転売の王、“転売てんばイ”ことダイオウであった。

 ダイオウはイカ墨を鋭く吐いた。それはサメロスを大きく逸れ、水面を黒く穿った。

「ああっ! カーニィちゃんが!」

 妹の声に振り返ると、プカプカと浮いているカーニィが、イカ墨によって真っ黒く染め上げられてしまっていた。妹はぬいぐるみを抱き締めてサメザメと涙を流した。

「貴様ぁ……!」

 サメロスはダイオウを睨みつけた。今すぐ鉄拳制裁をお見舞いしたいところであったが、サカマタとの戦闘で消耗しすぎていた。

「お客様候補として今日のところは殺さずにいてやるイカ。 だが、我の邪魔をするというのなら次こそ容赦しないイカ!」

 そう言うとダイオウはイカ墨を霧状に吹き出した。

「くっ……!」

 サメロスの黒い視界が晴れる頃には、ダイオウの姿は影も形もなかった。


「転売ヤー達め……駆逐してやる! この世から……一匹残らず!」

 サメロスは青空に向って誓ったのだった。


 これが、サメロスと悪質転売ヤー達との間に勃発した長き戦いの、最初の日の出来事であった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

屠れサメロス 惟風 @ifuw

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ