第4話:ぼくたちの天命
司は退院してからも、定期的に通院することになった。積もりに積もったストレスのケアと、拒食症の治療のためだ。しかし、医師の目から見れば予後は良好で、診察するたびに健康な体に近づいていく様子が見られた。くっきり浮き出ていたあばら骨も、もう見えなくなっており、食事量も少しずつ増えているようだった。とはいえ、まだ充分な筋肉がついていないため、体育の授業は軽いストレッチのみ。激しい運動はまだできないが、2年生に進級する頃には体育の授業にも参加できる見込みだった。
少量とはいえ、栄養と愛情がたっぷり込められた食事を毎日きちんと食べられるようになり、勉学や部活にもしっかり集中して取り組めるようになった。司は元から絵が達者だったが、退院してから製作された作品はさらにクオリティをあげているようで、次の個展を楽しみにしているファンも多いという。司もSNSなどに投稿されるファンのメッセージから元気をもらい、創作に全力を注いでいるようだった。
光雅曰く、入院するまでは落ち込んだような、不安げな表情を見せることが多かったようだが、今はいつも笑顔で、機嫌よくうれしそうにしているということだった。望月家に引き取られて、毎日幸せに過ごしているようで、ふたりの幸せそうな笑顔を見ていると、医師も自然と幸せな気持ちになった。
付き添いに来る母との仲も良好で、仕事の合間に付き添いに来る父にも、噓偽りのない笑顔を浮かべていた。何より光雅との仲がよく、隙あらばふたり、手をつないでいた。当たり前のようにつながれるその手を見て、通院がいらなくなる日もそう遠くはないと、医師は感じていた。この家庭なら、大丈夫だ。医師は安心して、両親に司の健康を託した。
+++
ある日の望月家。リビングで光雅と司が寄り添いながらテレビを見ていると、父が「ちょっといいか」と話しかけてきた。ふたりが顔をあげると、父は司に、通帳とキャッシュカードを差し出した。
「司の口座ができたから、これを司に渡しておくよ」
「銀行の、口座……?」
司はそれを受け取って、通帳を開けた。通帳にはいくらかのお金が振り込まれていた。
「今後、司が作品を売る時は、この口座を使うといい。今入っているのは、司のお小遣いだ。
預金が1,000万を超えたら口座を分けた方がいいから、その時はまた言ってくれ」
「お金……」
司はそれを見て、少し不安そうな顔をした。
「どうした?」
光雅が顔を覗き込むと、司はぽつぽつと呟いた。
「……おっきなお金を持つのが、怖い……」
「怖い?」
「うん。……前の親みたいに、浪費家になるのが、怖くて……」
「……ふむ」
その気持ちを受けて、父は頷いた。
「怖いという気持ちがあれば、まず浪費することはないだろうが、それでも怖いなら、光雅と一緒にお金の勉強をするのもいいだろう。
光雅もプロを目指すなら、金銭の管理は必ず必要になる。父さんたちもある程度は教えられるから、ふたりでお金の勉強をして、浪費家にならないようなお金の使い方を学ぶといい。
司のこの口座は、暗証番号を後で渡すから、使う前に暗証番号の変更をしておいてくれ」
「お金の、勉強……」
「いいな、楽しそうだ!司、心配することは何もないよ。司は頭もいいから、金銭管理もちゃんとできると思うし、怖かったら一緒に勉強すればいいしな!」
光雅はそう言って、にかっと笑った。つられて、司も微笑んだ。光雅が一緒なら、安心だ。父も母も必要なことは教えてくれる、悪いようにはならないだろう。
「うん、わかった!ありがとう、お父さん!!」
+++
10月中旬。秋の色も深まり、気持ちのいい気候になったある日の休日。司が自室で作品を描いていると、部屋の扉がノックされた。
「はーい」
パレットと筆を覆いて扉を開けると、何か箱を持った光雅が優しい笑みを浮かべていた。蓋付きの箱には美しいリボンが巻かれており、プレゼントボックスだとわかる。司はきょとんと首をかしげた。
「光雅くん?どうしたの?」
「悪いな、製作中に。これを、司に渡したくて」
「ぼくに……?」
光雅は持っているプレゼントボックスを、司に差し出してくる。おずおずとそれを受け取ると、「開けてみな」と光雅が促した。綺麗に巻かれたリボンをとるのは少しもったいない気もしたが、そっと丁寧にリボンを解く。蓋を開けると、中には赤いベレー帽が入っていた。
「帽子……?」
「そ。ベレー帽って、なんか画家っぽいだろ?
オーダーメイドで作ってもらったから遅くなったけど、うちの家族になった記念に」
箱を棚の上に置いて、ベレー帽を取り出す。触り心地が抜群で、こだわり抜いたものであることがわかった。
「……いいの?こんなに素敵なもの……」
「ああ。よければ、使ってくれるとうれしい」
司はしばらく、ベレー帽を見つめていた。そして両手でそっと包み込むと、困ったように言った。
「……いいのかな、こんなに幸せで……光雅くんからも、お父さんとお母さんからも、たくさん、いろんなものをもらって……」
「いいんだよ、家族なんだから。遠慮するな。ほら、かぶってみな」
「う、うん……」
司はそっと、ベレー帽をかぶった。部屋の姿見を覗き込んで、ベレー帽をかぶった自分の姿を、現実味のなさそうな顔で見つめていた。
「やっぱり、お前には赤が似合うな。よく似合ってるよ」
部屋の入り口から、光雅の優しい声がする。目の前の自分が紛れもない現実の姿だと実感すると、司は照れたように、うれしそうに笑った。
「……ありがとう。ベレー帽、ちょっと憧れだったんだ」
「そっか、そりゃよかった」
光雅もつられて、笑顔を向けた。そして言った。
「なあ、司。人事を尽くして天命を待つ、って言葉あるだろ」
「ん?うん」
ベレー帽をかぶった司の姿を見ながら、光雅は思いの丈を告げた。
「オレさ、あの春の個展の時、司こそがオレの天命なんだって思ったんだ。
司のような人と、ずっと出会いたかった。司のような人を探してたんだ」
そう言って、赤いモモンガカーディガンを羽織った司の肩に、そっと触れた。
「司。お前に会えて、オレは幸せだよ」
心からの笑顔で、そう言った。司はあの時のように、頬が紅潮するのを感じた。少し照れたようにベレー帽を深くかぶって、それでも幸せそうに、司も笑った。
「光雅くん……うん、ぼくも!!光雅くんと一緒にいられて、すごく幸せだよ!!」
そうして、お互い手を握り合った。この手の温かさが、ずっと続きますように。ふたりはずっと、その手を握り合っていた。
雅量天成 静絽鏡 @Arknawayor
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