【KAC20241】社畜ヒーローは断れない

涼月

ある社畜の一日

 俺には三分以内にやらなければならないことがあった。それは息子の保育園のお迎えだ。

 

 後三分で閉園時間。急がねば。

 優しい葉月先生を待たせるのも申し訳無いが、何より息子に泣かれるのが辛い。

『僕はパパに見捨てられた』なんて悲しい心の傷になったら困るからな。


 出張が入った妻の代わりに、久しぶりに俺が迎えに行く事になった。

 時間通りに帰るためには、朝から根回しが必要だ。

 周りの人には『今日は六時五十七分までしか残業できません』とさり気なく宣伝してある。コーディネーターの宮部さんには抜かりなくおやつ賄賂を差し入れておいたし。


 鞄を掴み、あと一歩でフロアを出るという時になって、アラートがけたたましい音をたて始めた。


「緊急要請! 緊急要請! アフリカ大陸某所にて、全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れが爆走中。いにしえのラー族の村が巻き込まれても暴走が止まらず。至急派遣を求む」 


 ······


 聞かなかったことにして足を踏み出す。


拝田はいださん、ごめんなさい。要請、受けていただけないですか? みんな出動中で」


 あ~あ、無情にも宮部さんの声。

 くそっ。おやつ賄賂なんか差し入れても意味無かったな。


「拝田さん、世界の平和のために、お願いします!」 


 くそっ。今は世界平和より家庭平和の方が大事なのに。

 息子の泣き顔がちらついた。

 それなのに、あと一歩が逃げ切れない。

 俺の胸は、本音と建前に引き裂かれそうになっていた―――



 どうしてこうなってしまったんだろう。

 俺はごくごく平凡なサラリーマンで、共働きの妻と家事も子育ても協力し合って、良き夫、良き父親街道を邁進していたんだ。


 それが、マイホームを買った途端、雲行きが怪しくなった。


 ある日異動を告げられた。秘密の仕事なので他言無用。その代わり、給与は上がるからと。  

 実際には雀の涙程度の上昇に留まっているが。


 そうして連れて来られたのが、ここ『ヒーロー派遣部』だった。


 そりゃ、男なら一度や二度は憧れを持ったことがあるだろう。格好いいヒーローになって、世のため人のために戦う事を。

 そんな俺の姿を見て、きらきらと息子が瞳を輝かせるのを。


 だが、大人になれば、世の中はそんなに単純ではないと気付く。勧善懲悪なんてクソ喰らえ。

 公のために自分を犠牲にする?

 そんなの今時流行らない。いかに個を大切にするか、自分の『Quality of life』を高めるかが重要なんだ。今更ヒーローになりたいなんて、ダルくて思えねぇよ。

 ヒーローとなって痛みに耐えながら世の中を救っても、風向きが変わればあっという間にバッシングの嵐だしな。

 だったら、少しでも穏やかに今日一日が過ぎるよう願った方がいい。


 だが、会社は姑息だ。マイホームを買ってローン地獄に陥った頃になって、こういう異動をぶちかましてくるのだから。


 お前に選択権は無いだろうとな。


 くそっ。くそっ。

 ああ、俺に選択権は無い。

 だったら、やるべきことは一つ。

 三分以内に全てを終わらせてやる!


「宮部さん、転送の準備を。後、事が終わったら、俺を息子のところへも転送してください!」


「わかりました。引き受けてくださって、ありがとうございます」


 いつもは事務的な宮部さんが、ほんの少し笑みを見せた。


 ヒーロースーツに身を包む。こう見えて、ハイテク装置が詰め込まれている。

 瞬間移動に耐えられるし、透明化できるし、望遠撮影機能付きの眼球レンズ付き。

 右手からは電流が、左手からは水流が、口からは炎が出るし、どこからとは言わないが、悪臭攻撃だってできるのだ。


 こんな万能スーツ使いに俺が選ばれた理由が、ただスリーサイズがぴったりだったという、しょうもない理由だったということは、モチベがだだ下がるので思い出さないようにしている。


 残り二分三十秒。


 転送成功。

 俺はいきなりサバンナのど真ん中に放り出された。と同時に物凄い砂埃と地響きが近づいてくる。望遠レンズが捉えた猛り狂ったようなバッファローの形相に、そのまま逃げ帰りたくなった。


 だが、そんな臆病な心とは裏腹に俺は魅了され、『美しい』と呟いていた。


 地を蹴り宙をかけるバッファローの肢体。躍動する筋肉。しなやかで滑らかな肌感。近づく全ての敵を拒絶する硬質な角。

 野性の力強さはなんて神々しいんだ! 圧倒されてしまう。

 

 くっ、これを鎮めるなんて無理だ。

 だが、息子を待たせたく無い!

 背後に控える多くの部族の村を壊滅から守るためにも、やらねばならぬ。


 よし。まずは、電撃からいくか。


 俺は右手を地面に当てて、最大出力を放出。

 先頭のバファロー達ががビリビリと震えて泡を吹いて倒れた。


 だが、暴走の群れは止まらない。同胞を踏み越え迫ってくる。


 残り二分。


 よし、次は水攻めだ。

 左手から水鉄砲を噴出。先頭バッファローが水を避けようと体をくねらせた、と思ったら痙攣し始めた。

 先程の放電との合せ技で効果が大きい。

 これでいけるか?

 

 だが、やはり暴走の群れは止まらない。


 ならばと俺は背を向けて、毒ガス攻撃をおみまいした。


 苦悶の表情で倒れるバッファロー達。その時になって俺は、彼らの視線が皆同じ方向を見つめていることに気がついた。


 ん? 何かいるのかな?


 残り一分三十秒。

 

 群れの足音が小さくなるのと入れ違いにヘリコプターの羽音が大きくなる。見上げれば、子どものバッファローが紐で縛られ吊るされていた。


 密猟者だろうか?

 なんて事だ!


 彼らの暴走は、子どもを救うためだったと分かって、その親心の深さに胸が熱くなった。

 バッファロー、いい奴らじゃねぇか!


 ついつい俺自身の息子への愛も重ねてしまう。バッファローの気持ちに同調して猛烈な怒りに襲われた。


 俺は飛翔してヘリコプターに近づき、紐を引き千切り子どもを救出した。

 まだ、息はある。助かるかはわからないが、兎に角バッファローの群れに戻してやらねば。

 

 残り一分。


 彼らの目に、感謝の光······なんか灯るわけもなく睨まれたが、それ以上俺を追って来ることも無かった。毒ガス効果で戦意が抑えられていたのも運が良かったのだろう。


 やがて彼らは子どもの背を舐め、回復を見守るように取り囲んだ。


 バッファローの親子愛。見届けたぞ!

 密猟者の件は報告しなければ。


 ほうっと一息。

 そこでハッと我にかえる。


 まずい、もう時間が無い!


 残り三十秒。


 俺は急いで宮部さんに合図を送る。

 社内へ転送してもらい、ヒーロースーツを脱ぎ捨てた。


 残り十五秒。


「宮部さん、保育園へ」

「はい。あ、ごめんなさい」


 申し訳無さそうな彼女の声。


 俺の体はどこへも飛んで行けなかった。

 そう、ヒーロースーツがなければ、俺は所詮しがない社畜リーマンでしかないのだ。



「うおーっ」


 その後全力疾走。保育園へ自力で辿り着くも、きっかり三分の遅刻だった。


 息子よ。すまない。

 俺はバッファローにも劣るやつだ!

 仕事と親子の絆を天秤にかけて仕事を選んでしまったパパのことをどうか許してくれ!


 祈りながら駆け込んだ。


 ······


 そこには、頬を染め嬉しそうに見上げる瞳。


「葉月先生、あのね」


 葉月先生を独占できて嬉しそうな息子は、汗だくで辿り着いた俺の方を見ることはなかった。



          おしまい

 


 

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【KAC20241】社畜ヒーローは断れない 涼月 @piyotama

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