バッファローに轢かれながら食えるカレーメシがあるか?

暁太郎

あと一分足りない

 僕には三分以内にやらなければいけない事があった。

 いや、本当の所、それを認めたくはない。だが、仮にこの状況と僕の心境を知る人間がいたとして「そんな事を言ってないでやるべきだ」と言うに違いない。

 

 必死に逃げているボクの後方には、研究所のワープ装置の誤作動によって転移してきた、全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れが迫ってきている。

 いつもは膨大な計算を嗜んでいる自分の頭脳が、彼我の距離と速さから自動的に僕がバッファローどもに跳ね飛ばされるまでの時間を勝手に弾き出してくれる。

 三分以内に自分は肉の大河に押し流され、無惨な姿となるだろう。


 僕は葛藤していた。手元にあるこのカレーメシを、今すぐ食うべきかどうか。

 これが最後の晩餐になる。ならば残された僅かな時間で味わい、潔く散るべきかもしれない。


 だが、駄目なのだ。

 四分だ。あと四分必要だった。


 それが、一番望ましいカレーメシの蓋を開くタイミングなんだ。


 その瞬間に食べるカレーメシの食感と温かさは筆舌に尽くしがたい。

 普通、カレーメシはお湯を注いでから五分待って食べるが、僕は七分が最適であると知っている。

 他人はたかが二分程度でと嘲るかもしれない。だが、きっちりと算出した「旨味」がピークに達する時間を今か今かと待ち、味わう瞬間が僕はたまらなく好きだった。


 だから僕は、立ち止まってカレーメシを食べずに時間操作装置がある研究棟に向かって走っている。

 理屈は簡単だ。カレーメシが出来上がるまでの四分、バッファローが追いつくまでに足りない一分を装置によって加速させて省略しようという考えだった。


 そしてバッファローに轢かれるまで残された時間でカレーメシを味わう。


 僕に残された最後の手段だ。こんな事になるのなら、少しは身体を鍛えておけばよかったと後悔しながら、心臓が破裂しそうなぐらい自分に鞭打って人生最後のかけっこに集中している。

 

 いよいよ研究棟が近づき、僕はガラス製の自動ドアをラガーマンのタックルよろしく突き破って中に入った。

 装置がある部屋は一階の最奥だ。バッファロー達が地面を踏み鳴らす、無数の岩石が地面を叩きつけるような音が大きくなっていく。


「ゲホッ、ゴホッ! ゴはあっ!!」


 息を切らすべきではないのに、極度の疲労からなのか咳き込んだ。

 このまま最高のカレーメシを味わえないまま死ぬのか?

 絶対に嫌だ――!


 僕は神を信じていないが、それでも祈らずにいられなかった。頼む、たどり着いてくれ。

 ぐるぐる回る思考で頭がオーバーヒートし、手足の感覚が無くなっていく中、僕はついに研究室までたどり着いた。

 縦に長い部屋を駆け抜け、縋り付くように装置の操作パネルに飛びつき、設定を開始する。


 この装置は研究室内部の時間を任意に進められる。

 たかが一分が欲しいと思った時なんて、大学受験のテスト終了直前ぐらいだ。


 部屋全体が大地震が起きたように揺れ動く。バッファローが建物に入ってきた。


「ゴホッ、ガハッ!」


 極度の緊張と情けなさで涙が滲んでくる。僕は死の淵で、たかがインスタント食品の為に命を削っている。父さん、母さん、こんな息子でごめんよ。


 無我夢中で設定する日時を打ち込み、そしてついに起動レバーを引こうとした、まさにその時だった。


 バッファローたちがドアを弾き飛ばし、まるで濁流の如く研究室に押し寄せた。

 僕は反射的にレバーを引く。仮にカレーメシが出来たとしても、一口食べられるかすらもはや怪しかった。


 金属を鋭い爪で引っ掻いたような甲高い音が部屋に響いた。と、同時に、僕は足を脱力させてその場にへたり込む。

 さっきの音は装置が作動する際の起動音だ。成功した、という事になるが、どうも様子がおかしい。

頭が痛い、喉が焼けるようだ。これは疲れによる症状じゃない。


 考えても仕方ない。もうバッファローは眼前なのだから。

 僕はカレーメシの蓋を開け、指を突っ込み、ふやけてドロドロの米を口に運ぶ。

 それを咀嚼し、そして――


「味しねぇ」


 そして僕の身体はバッファローに覆い尽くされた。








 目が覚めた時には僕は病院のベッドの上だった。

 身体は包帯まみれで一時は命の危険があったようだが、奇跡的に助かったらしい。


 だが、解せない。あの状況で生き残れるような奇跡があるものなのか?


「コロナウィルスだよ」


 僕の主治医が疑問にそう答えた。


「君はあの時、コロナウィルスに感染していた。で、判断力が朦朧とした君は装置の時間設定を誤って一分じゃなくて一日後に設定していたんだ。その結果、潜伏期間が進む、するとどうなる?」

「カレーメシの味がしなくなる……!」

「は? 何言ってるの?」


 主治医と僕の認識のズレに僕が首を傾げていると、彼は頭をポリポリ掻きながら補足した。


「コロナウィルスはヒトから犬猫の感染例が報告されている。バッファローはどうかはわからなかったが、どうやら感染するみたいだね。で、君はウィルスが充満している部屋にバッファローが押し寄せている過密状態の中、時間を進めた……」

「つまり、僕に突撃する直前にバッファローたちは発症して突撃の勢いが弱まったって事ですか?」


 それでも、ぶつかる直前の減衰だ。全速力と大した差があったかどうかは怪しい。

 だが、その僅かで自分は生き残った、のかもしれない。


 結果的にカレーメシへの執着が生き残る切っ掛けとなった。

 人生、何が因果となるかわからない。


「ところで、君の上司から預かっているものがある」


 そう言うと、主治医はベッドの上に大量の紙をどさっと置いた。


「装置を勝手に使った始末書やら賠償責任やら……だそうだ。まぁ、生き残る為とはいえルール違反は違反だものな」


 僕は目眩がしてベッドから転げ落ちた。

 何もせず大人しくカレーメシを食って轢かれた方が良かったかもしれない。


 だが、少なくとも僕に残された時間は三分よりも長くなったのは確かだった。

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バッファローに轢かれながら食えるカレーメシがあるか? 暁太郎 @gyotaro

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