43、帰り道、分かれ道

 祭りに訪れていた客が去ると、境内にいるのは後片付けのために残った人々だけになり、それまでの雑踏のにぎやかさがウソのように辺りは一転して物寂しい雰囲気になっていた。

 祭りの客を見送っていたふたりのヒーメちゃんが並んで大鳥居をくぐったところへ、

「リュウセイ、ハルキ、見たか見たか? ヒーメちゃんの一番大きなぬいぐるみを買っていった酔狂すいきょう女子おなごがおったぞッ!!」

 空子を伴って現れたモエギがふたりのヒーメちゃんへとほがらかに声をかける。

 祭りの達成とそれを楽しんだ人々に満足したのか、白衣と萌黄色の袴で身を包んだモエギはいかにもゴキゲンといった感じだ。


「ついさっき見送ったから知ってる。というか、自分の分身を買うくらいに入れ込んでるファンの子をただの物好きみたいに言うな」

 赤い袴のヒーメちゃんがややくぐもった龍星の声で答える。

「ブッブー、わしの分身じゃありませーん。というか、今現在ヒーメちゃんはお主らが担当しておるのじゃから、ヒーメちゃんはお主らの分身、つまるところあの女子はお主らのファンも同然じゃろ。良かったのう、期せずして女の子にモテモテではないか」

「いやあ、この状態でいくらモテてもヒーメちゃん人気あってのもので、ぼくら自身の魅力というか実力によるものじゃないしね」

 青い袴のヒーメちゃんがややくぐもった陽樹の声で答える。


 龍星と陽樹はモエギとシズカによってつくられた着ぐるみを着て、祭りの再開時以降ヒーメちゃんとして巫女の奏でる音楽にあわせて演舞したり、祭りの客と並んでの写真を撮られたり、帰路についた人々を見守ったりと多様な雑務をこなしていたのだった。


「しかしまあ、ぶっつけ本番でも案外うまく行くもんだな」

「着ぐるみを着て踊れ、とヒメ様に言われたときにはどうしようかと思ったけどね」

「祭りを続行するって聞いてたから、てっきり屋台制覇とかに付き合わされると思ってたんだがな」

「リュウセイのいう屋台制覇には魅力的な響きを感じるが、いちおうは主催側になるのでな、楽しむよりは楽しませる側にならねばならぬ。わしだってできることなら羽を伸ばして祭りを楽しむ側になりたいのじゃが」


「まあ、これで僕らのやらかしたことへのつぐないに少しでもなるのなら」

「だからといって、ヒーメちゃんはなあ……」

「でも、ふたりの踊りとかそのあとの撮影とか、みんなにウケてたみたいだけど」

 空子がフォローするように言った。


「まあ見てくれていた人の反応が上々だったなら、冥利みょうりきるといったとこなんだが」

「演舞の最中は無我夢中だったからねえ」

「人々をとりこにできたのだから、そこは誇ってもよいとは思うが。お主らの天久愛流は人々を魅了できるという良い証左ではないか」


「着ぐるみだったから天久愛流本来の動きとは微妙に違ったものになってたけどな」

見栄みばえを良くするための刀も傘も持ってなかったしね。まあ持っていたとしても思いどおりに動けたかどうかはアヤシいけど」

「というか、その……妖怪退治するための剣術じゃなくなった剣舞としての天久愛流ってのはヒメ的にはOKなのか?」


「もとより奉納の舞いを兼ねたものじゃったし、もはや妖怪退治に使われてないという話なら世の中がそれなりに平和ということじゃろう。わしはもとより星右衛門も文句は言わんじゃろうて」

「それならいいんだが……しかし前々から準備していたのならともかく、急に『舞え』とか無茶振りがすぎる」

「即興演舞もそうだけど『ヒーメちゃんの中に入れ』も相当だと思うけどね」

「上手くいったからよいではないか」

「いかなかったらどうするつもりだったんだ」

「ヒーメちゃんにドジキャラ属性がついてもかまわんじゃろ。ゆるキャラのマスコットであるのだし」

「いや、さすがにヒメ様にドジキャラ属性がつくのはマズいでしょ」

「わしとヒーメちゃんは違う」

「俺らはそれを知ってるけど、他の人はこの神社の神様をモデルにしたゆるキャラだと思ってるから同一視されるんじゃないかな」


 龍星の指摘に、

「それは困る、非常に困るぞ! リュウセイにハルキよ、その着ぐるみを着ているときのミスは絶対に許さんぞ、許さんからなっ!!」

「ヒメの代わりに着ぐるみに入っているとはいえ、この神社や天久愛流の看板に泥を塗るような真似はしないさ……って、とりえあず今のところ俺らミスしてないよな?」

「まあミスっぽいミスをしたおぼえもないし、この着ぐるみも今日限りだろうからヒメ様の名誉は守られてると思うけど」

「それならよいが……うー、わしとこのヒーメちゃんが同一視されるのは全力で避けたいのだが。やはり一日も早く神力を取り戻し、元の姿に戻らねば」


「神力を取り戻すっていうか、信仰を取り戻すならヒーメちゃんの人気を利用するのも悪くない手だと思うけど」

「ヒーメちゃん自体、俺らが思ってた以上に人気があったしな」  

「となると……ふたりにこのまま神社専属ヒーメちゃんとして活躍してもらうのがいいのかのう。動画配信やアイドル活動をして二重の意味での信者を増やすか」

「まだアイドルにこだわってるのか」


「なに、アイドルって?」

「ヒメ様としては、僕らを神社出身のアイドルにすることで信者を増やそうっていう計画らしいよ」

「そういうことね……だったら成り行き上だけど、ふたりのマネジメントとかしたほうがいい?」

「いや、そんなマジメに受け取る必要ないよ。アイドルとか了承してないし」

「リュウセイとハルキなら黙って立っていてもそこそこイイ線いくと思うのじゃがな。顔出しNGということなら、それこそヒーメちゃんに入って活動してもよいし」

「なにがなんでも俺らにヒーメちゃんの役目を押しつけようとしてないか」

「その心づもりがまったくないというとウソになるが、お主らにとってもメリットはあるのじゃぞ。着ぐるみの中とはいえ、今宵の祭りでもそうであったように女子たちに囲まれてウハウハな気分になれるぞ。さっき見かけた女子のように熱心なファンもできたことじゃしな。いやはや、そう考えると、わしも粋なはからいをしたものじゃ」


「それなんだがなあ……」

「そのことについてはねえ……」

 龍星と陽樹のふたりは着ぐるみのまま顔を見合わせた。


「なんじゃ……不満があるのか?」

「いや、あの……たしかに境内では女の子たちに囲まれたりしたけど……」

「したけど?」

「……そのほとんどがフクマに取り憑かれていた子イコール、不可抗力とはいえ俺らが服を脱がすことになっちゃった子たちなわけで……」

「そんな子たちに囲まれてもやましいというか、気まずいというか、もう本当に居心地悪くて……」


「女子に囲まれ、浮かれてはしゃぎまわるものと思っておったのに、わりと控えめな態度だったのはそういう理由か。実際のところ、下着姿の娘たちで囲まれていたわけでもなし、別段気にする必要はないじゃろ。というか、それこそ本当に下着姿の娘たちに囲まれたほうが男子的にはうれしい状況じゃろうと思うが」

「神社の境内で下着姿の女の子に取り囲まれるとか、うれしいってよりもただただ怖いんだけど」

「想像しただけでもホラーだし、実際そんな状況になったらなりふり構わず悲鳴あげて逃げ出すわ」

「うん、着ぐるみ状態でも世界新を出せる自信はあるね」

 との会話のあと、龍星と陽樹はモエギがなにかを期待する表情を浮かべているのに気付く。

 さらには、モエギの横に立つ空子が呆れかえった表情を浮かべてこちらを見ていた。


「下着姿の女子たちに囲まれるさまを想像したな? してしまいましたな? さあさあ、巫女どの。遠慮えんりょ忌憚きたんもないセリフをこやつらにぶつけてやるとよい」

 モエギが楽しげな表情と声で告げ、龍星と陽樹は空子による「いやらしいわね!」との境内に響き渡るほどの大音量の怒号があがるものと身構えたが、予想に反して、空子は声を荒らげることもなく、ただふたりのあいだに歩み寄って立つと「いやらしいわね」と低く小さな声で言った。

 龍星と陽樹のふたりにとっては怒号に負けず劣らずのダメージだった。


「おお、ただの『いやらしい』の一言にも意外とバリエーションがあるものじゃな」

「妙な感心するな」

「これはまんまとヒメ様に誘導されたカタチだね」

「人聞きの悪いことを申すでない。まあ誘導したかと言われれば否定はできぬが、お主らも別に馬鹿正直に話すこともないじゃろうが」

「なんか今日いろいろあったせいで……」

「判断力がにぶってるのかもね」


「まあ、ふたりの言うとおり、今日だけでいろいろな事があったけど、鶴さんと亀さんはこれからどうするの?」

 空子の問いに、

「んー。とりあえずこの着ぐるみ脱いで後片付けを手伝おうかな。それから夜道なことだし、俺らでクーコさんを家まで送ってくよ。ちょっと遠回りの帰りになるけど、ハルもそれでいいだろ?」

「僕のほうはOKだよ」

「ちょっと待って。ありがたい申し出なんだけど、私たちバイトは神社に泊まって明日帰宅ってことになってるの」

「そうか、そのほうが帰りも安全だしな」

「うん。で、実は聞きたかった『これから』ってのは、今日このあとのことじゃなくて明日からの街に逃げちゃったフクマをどうするかってのを聞きたかったのだけど」

「あー、そっちのほうは……」

「なにも考えてなかったね」


「考えてなかったの?」

 空子が呆れた口調で言うと、

「いろいろあったからな」

「いろいろあったしね」

 とだけ答えた龍星と陽樹は互いに顔を見合わせて、大鳥居の向こう、山の下へと広がる市街へと目をやった。


 街の中心に位置する祭りの会場はもちろんのこと、商店街や住宅地もまだまだ眠りの時間とは無縁であることを誇るように、街のあちこちで明かりが煌々ときらめいていた。

 提灯を持った人々が石段を下りていく情景が星の川に例えられるなら、街はさながら空いっぱいの星を水面に映した大きな湖といった様相だった。


「なんかこう見てみるときれいではあるけどね」

「百万ドルの夜景ってのはこういうのをいうんだろうな」

「今、この光景が見られるのもお主らの尽力あってこそ。人々の記憶には残っておらぬが、今宵のフクマ退治については堂々と誇ってよいぞ」

 とモエギがふたりを労うよう声を掛ける。

 

 その言葉を聞きながら、

「映画とかだとこういうタイミングで、街の明かりが次々と消えていくんだよね」

 と呟いた陽樹に、

「せっかくヒメがきれいに締めくくったのに不吉なこというな」

 と返した龍星が、

「……だけど、あの街の中にフクマが紛れ込んじゃってるのは切実な問題なんだよなあ」

 と続ける。


「あらためて見ると、この街もけっこう広いよね」

「広すぎだよ。この中からフクマに取り憑かれた女の子を見つけだせる自信ないぞ」

「フクマが騒ぎを起こせば見つけられるけれど、それは後手にまわるってことだしね」

「そういえば、フクマはあっちのお祭りには手を出さなかったみたいだな」

 山中で目にしたのと同様に眼下に見える街の中心にある広場での明々とした灯りのきらめきを見て、龍星が呟く。


「騒ぎが起きてないのはいいことだけれど、逆に考えると今の状態でフクマを捜すってのはかなり難しいよね」

「ヒメが言っていたとおり、街全体にうっすらと妖気っていうか良くない気が漂ってるのが分かるしな。それでいて俺らは近づかないと肝心のフクマに気づけないからなあ」

「そう考えると、わら山の中の針とか砂糖に紛れた塩の粒を捜すようなものだよね」


 ふたりの懸念に対し、

「そのことについてなんじゃが……」

 とモエギが発した言葉に、龍星と陽樹が彼女へと視線を移した瞬間、

「え? ちょっとなにあれ……」

 空子が突然、声をあげて街の一点を指さした。


 彼女が指し示す遠く先に、龍星と陽樹、そしてモエギの視線が向かう。

 空子が示した地点、祭りの催されている街の中央広場から噴き出すように現れた気がドーム状に勢いよく膨れ上がっていくのに気付いて、龍星と陽樹は着ぐるみ姿であるのにもかかわらず身構えた。


 常人の目には捉えることのできない不可視の気の流れだが、神司である龍星、陽樹、空子の三人にはそれがうっすらと周囲の背景を歪ませながら辺り一帯へと広がっていくように見えていた。


 その気はモエギが山中で見せた炎の柱や雷のオベリスクにも似た力の発現だったが、性質はまったく似て非なるものだった。

 モエギの繰り出す炎や雷が神々しいと思えるのに反して、あちらの力にはどこかおどろおどろしく鬼気迫るものがあり、フクマの放つ氷のような妖気とも、龍星や陽樹が身につけた神気とも違うただただ威圧的な力の発露ともいえた。


「案ずることはない、あの力はカガチのものじゃ。それにあれはここまでは届かぬ」

 モエギが龍星と陽樹より前へ出て、一同を落ち着かせるように言った。


「あれが……?」

「僕らが束になっても勝てないって、ヒメ様が言った理由がよく分かったよ」

「笑えるくらい歯が立たないとは聞いたが、実際のところ少しも笑えないな。あんなのが好き勝手に動いたら、俺らじゃ止めようがないぞ」

 蛇の化身である妖怪にして神使鬼打姫でもある清長キヨナガ篝火魑カガチについてモエギから説明を受けていた龍星と陽樹のふたりではあるが、想像をはるかに上回る相手の力強さに戦意と自信を喪失したようにモエギに告げた。


「安心せい、あの様子から察するにカガチがお主たちの敵に回ることはないじゃろうて」

「本当に安心して大丈夫なんだろうな」

「カガチが害意をもって気を放っていたら、いまごろ山の下は目も当てられない結果になっておる。どうやらカガチの目的は街に潜むよからぬ連中のあぶり出しにあるようじゃ、見てみるがよい」


 モエギの言葉どおり、カガチの放った気はその広がりを祭り会場を覆う程度で止まっていた。

 しかし、その存在感が街中へ浸透していくと、街全体に祭りの喧噪とは違うちょっとした騒然――犬や猫、鳥といった動物たちの鳴き声、木々や草花のざわめくような葉音が慌ただしく生じる中、カガチが発した気にあおられたかのように、街のあちらこちらで妖気が立ちのぼっていく。


 カガチの放った気に文字通り気圧けおされた龍星と陽樹であったが、続く形であらわとなった数々の妖気に対しては敢然と立ち向かう意気込みを見せた。

 ふたりにとってはそれらの妖異・怪異もフクマと同じくハタオリノモエギヒメの神司として、そして天久愛流の使い手として乗り越えるべき敵であるからだ。

 彼らとともにある炎天と氷天、二振りの神剣もふたりを力強く支えるように神気を発する。


 ヒーメちゃんの姿でありながらも決意と覚悟を持って自分の両脇に並び立った龍星と陽樹に、モエギは誇らしげな微笑みを浮かべると、

「どれ、せっかく神司のふたりがやる気を見せてくれたというのに、こちらも黙って見ているだけでは示しがつかんの」

 と、ふたりが身につけている着ぐるみのミトン状になっている手を取り、目を閉じて静かに息を吸い込み、間を置いてゆっくりとはき出す。

 その息吹いぶきに応じるように神社に宿っていた神聖な気配がより膨れ上がり、その存在感は山下のカガチのものに匹敵するほどになっていく。


 

 萌木山において、カガチの発した波動とそれに呼応するような力の存在に気付いたのは、山頂にいた龍星たちだけではなかった。

 後輩たちとともに神社から続く石段を下りていた琥珀も、フクマに取り憑かれてから感じ取れるようになったふたつの力、神力と妖力、その両方が入り交じったものが眼下に広がっている夜景の中で噴き上がるのを感じ取って歩みを止めた。

 

 立ち止まった琥珀は目を皿のようにして街並みを見渡し、力の波動の出処を見つけて息を呑む。

 神力と妖力、ふたつを一緒くたにした強い力からなによりも強く人知を超越した魔性を感じ取ったからだ。


 山中で一緒だった遊女姿の女性シズカから感じたのは、蜘蛛の糸に絡め取られるような妖しくも身をゆだねたくなるような蠱惑こわくというべき魔の力だったが、こちらのほうはまるで蛇の冷たい瞳に睨まれているかのような威圧を伴う魔の力だった。


 そして、その魔性の力に触発されたのか、あやかしの存在が次々と、街明かりの放つきらびやかさの中にその妖力をあらわにしていくのも琥珀は感覚として捉えていた。

 それは彼女にとって今まで見えていた世界とは一転して違うもの、妖美に満ちた別世界の光景でもあった。


「すごい……」

 と、琥珀の口から思わず言葉がもれた。

 そして、ぞくぞくとした感触が彼女に襲いくる。

 この身震いにはふたつの意味があった。


 ひとつは畏怖。妖異・怪異の力とはこれほどまでに大きな力なのかという戦慄。力を借りる、体を貸すという次元ではなく、下手へたに身をさらせば制御の効かない力にただただ呑み込まれるだけという脅威。

 自身を妖怪に取り憑かせるという考えの甘さと、いかに自分が思い上がっていたかがイヤというほど分かる。


 そしてもうひとつは興奮。感覚で捉えられるほどの力を持つのは、いったいどのようなものなのかという興味。自分よりも遙かな高みにいる強者を知ったときの驚異にも似たヒトとは違う存在への関心。強さへの純粋な好奇心が体を震わしていた。

 

 夜色の中に点在する妖星ようせいのごとききらめきに心を奪われていると、

「たしかに綺麗ですね」

「ほんとだ」

 と、後輩たちも足を止めて、夜景へと目をやっていた。


 はじめは彼女らも力の波動を感じ取れるのかと思ったが、後輩たちはただ単に街の夜景に感嘆の言葉を述べただけだと悟った。

 そして、後輩たちや先を行く人々の様子から、この石段を行く人の流れの中で神力や妖気といったものを感じ取れているのは自分だけであるとも琥珀は察した。


「こういう時間帯にこういう場所から市内を見ることとかあんまりないしね」

「そうだ、センパイ。そのぬいぐるみ持つの交代しますよ」

「来年もみんなで来れるといいね」

「そうですね」

 後輩たちの会話をうわそらで聞きながら、琥珀はこの力の揺らめきに気付いているのが、ここでは自分だけという現実に優越感よりも疎外感のほうを強く感じた。

 その疎外感をより後押しするのは、感じ取れている世界の違いだけではなく、街の中に潜んでいた存在――妖力の持ち主たちは誰一つ、どれひとつとして彼女に何の関心もよせていないことだった。


 妖気を持たないヒトの身である今ならいざしらず、フクマに取り憑かれた半妖状態の琥珀にも彼らは無反応でいたという事実は冷たく重くのしかかり、厳しい無力感にさいなまされ、みじめなまでの敗北感に打ちのめされる。


 渇望していた力と熱望していた存在がこうも身近にありながら、相手はこちらのことなどまったく眼中にないというのは予想していなかった。

 暗澹あんたんたる気持ちのまま、とぼとぼと歩みを再開したとき、思いもよらぬ力の波動を背後に感じて、琥珀は慌てて振り返った。


 それは山頂の神社からの神力で、中央広場から発せられていた力に負けず劣らずといった不可視の威光をもって、あまねく下界に睨みをきかせる。

 その効果が出たのか、街に点在していた妖異の存在がいくつか萎縮したように微弱なものへと変わっていった。


(え? ああ……神様ってのはあれほどすごいものを抑え込むことができるんだ……)

 山中で体験した野試合のような人同士が拳や武器を交えるような戦いとは完全にレベルが違う。もとより神秘と怪異の前にヒトとはほぼ無力なのだろう。

 理屈で分かってしまうと、神聖なるものと妖異たるものとのいさかいに割って入る余地はない、と諦めを感じたのも束の間、これまでの悩みやネガティブな思いを一掃するひとすじの光明とでもいうべき考えがパッと閃き、琥珀はきりりと顔を上げると、しっかりと前を見つめて足取りもきびきびとした動作を見せて歩み出した。


 しょぼくれた様子を見せていた琥珀が本来の元気を取り戻したのを見て、三人の後輩は安堵の表情を浮かべ、琥珀を囲むようにして石段を下りていくのだった。 



 中央広場での祭りも終わりの時刻を迎えようとしており、鬼打おにうち提灯の灯りが明々と揺れる中、帰路につく人が出始めていた。

 屋台の店主たちは片付けのかたわら、手元に残る商品を売り切るために最後の呼び込みをしている。

 余韻よいんがおさまらずまだまだ楽しみ足りないといった感じの子どもたち、今からもう来年の夏祭りを楽しみにしている様子の少女たちといった人々の表情を見ながら、カガチとスズノは満足げな表情を浮かべていた。


「ふー、こっちの祭りはどうにか無事に終わりそうだにゃ。姫ちゃまのカミナリを食らわずにすむにゃ」

「あの神力を見るかぎり、姫様の機嫌なら大丈夫だろうよ」

 と、なだめるように言って、カガチは萌木山の山頂へと目をやる。


 カガチの放った気に反応したのか、少し遅れて山頂にある神社から強い神力が発せられたのにともない、街中で威勢良く妖気を噴き上げたいくつかのものたちがすくみ上がったかのようにその気勢を弱めたのをふたりの神使は感じ取っていた。


「ふふ、やはり姫様の神力は清酒のように力強く澄み切っていて綺麗だねえ」

「お酒に例えているところ悪いけど、火と水の気が混じってほのかに雑味になってるにゃ」

「火と水……ああ、炎天と氷天を託された使い手も姫様のそばにいるのだろうね。ふむ、炎と氷……熱燗に冷やといやが上にも飲みたくなってくるねえ」


「そこまで飲みたいって欲求が強いなら、お店のほうでもカガチが好きそうなお酒をいくつか用意しておくとするかにゃ」

「おや、お前さんの店ではないのにそんな融通ゆうづうが利くのかい?」

「服をつくった縁を利用して、ここをしばらく隠れ家というか、しばらくとして居座ろうと思ってるのにゃ」

「なるほど」


「ただそうなると連絡役がいないと不便だし、この子に任せてみるかにゃ」

 との言葉に、スズノに抱きかかえられていた猫が、こわばって拒否するような表情を浮かべてあるじの顔を見る。


「さっき怖がらせてしまったせいか嫌われたな。まあ連絡役は必要ないだろう。気が向いたらこちらからその店を訪ねるとするよ」

 と告げた後、

「さて、しばしのお別れだ。こちらはまずはそうだね、ここから近いところにいるヤツをひとつ派手に締め上げて……そのあとはとにかく日本酒を聞こし召すとしようか」

 と、人混みや人の流れとは違う方向へと去って行くカガチを見送りながら、

「やれやれ、相手はお気の毒だにゃあ。さてと、ボクも温めていたプランを実行するための仕込みをすませないと」 

 猫を抱えたスズノも別方向を向くと、帰路につく人々の波を避けるようにして祭りの会場を後にした。

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