42、夏祭りの終わり
「みなさま、お帰りの際は足下が暗くなっておりますのでお気をつけください。なお、大鳥居前で提灯を貸し出しておりますので、ご入り用の方は係の者に遠慮無くお申し出ください」
メガネをかけた巫女が
萌黄色をした大鳥居の近く、狛犬を模した猫の象のそばには白布をかぶせた長机が設置され、その上には手持ち棒が取り付けられた提灯が数多く用意されていた。
提灯を受け取る者と受け取らずに進む者が入り交じるようにして、人々はゆっくりとした大きな流れとなって、境内を
混雑を避けるために授与所のそばで待機していた琥珀と後輩たちは、人の数がだいぶ減ってきたのを見て「そろそろ行こうか」と移動を開始する。
「提灯を借りたほうがいいかなあ」
「せっかくだし、借りていきましょうか」
と、一行は提灯を貸し出している場所へと近づいて、
「すいません、提灯をもらえますか」
美月が係の巫女に話しかける。
「ずるいよ、美月ちゃん。わたしだってヒーメちゃんの提灯をもらいたいんだけど」
「あなたはおっきなぬいぐるみを抱えているではないですか」
「そうなんだけどぉ」
「それなら山を下りるまでうちがそのぬいぐるみ持つから、結衣は提灯もらうといいよ」
琥珀の提案に従い、ぬいぐるみを預けた結衣が美月に代わって前へと進み出る。
巫女が提灯のスイッチを入れると、「どうぞ」と結衣へ手渡した。
中に仕込まれているLEDがヒーメちゃんの絵が描かれた紙を通して柔らかい光で周囲を照らすのと同時に、少女たちの足下を強烈な光で照らし出す。
光が向く方向を主に下側としたつくりで、夜の石段を降りていくのには合理的な仕組みだった。
「光自体は強力なので、提灯をのぞきこまないようにしてくださいね。提灯はふもとで係の者が回収しているのでそちらへお渡しください」
巫女からいくつかの注意事項を聞くと、結衣は提灯を手に一同の先頭に立って得意げに歩き始めた。
そして大鳥居のそばに赤い袴と青い袴のヒーメちゃんが立っているのを見かけると、結衣はこれまで以上に子どもっぽい仕草でヒーメちゃんへと手を振る。
ふたりのヒーメちゃんが彼女にぺこりとお辞儀をして手を振り返すと、結衣はこれまでにないくらいご満悦といった感じで、
「見て見て、ヒーメちゃんがわたしに手を振ってくれた!」
「まったく子どもなんですから」
「ほら、そこから階段になってるから、結衣もセンパイも足下に気をつけて」
人々が手にした提灯の灯りが暗くなった石段を照らしながら山の下まで続いていく。
それはまるで拝殿で行われた演舞のフィナーレを飾った星の川が地上に降りてきたかのようで、この日この夜にしか見ることのできない
ふたりのヒーメちゃんは石段の上から、去って行く人々と星明かりのような提灯を見守るように立っていたが、それらが遠ざかり小さくなっていくのを見届けると、互いに目を合わせるようにしてうなずきあったあと、大鳥居に一礼して境内のほうへと戻っていった。
一方、街の中央広場。
「やっぱりお祭りはいいよねー」
祭りの会場へと近づこうとするフクマ憑きを待ち伏せて狩り続け、抜け殻状態となった少女をあちこちに点在する救護所へと運び込んでいたふたりだが、その数が10を少し超えたころから、フクマ憑きは会場付近に現れていない。
というわけで、スズノは広場の中心で行われている踊りの中へ紛れ、カガチは祭りの会場を広く回ることにした。
ただ普通に祭りへと参加するわけではなく、祭りに興じる人々から生じた気を神力へと変えて、それらを会場全体に浸透させることで、この祭りの会場や訪れた人々にフクマや悪しきものが近づけないようにするまじないを行うためである。
フクマが現れなくなったので、羽を伸ばして思いのままに祭りを楽しんでいたわけでは決してない――とも言い切れず、さきほどまで踊りに加わっていたスズノはいかにも満足といった上機嫌な表情を浮かべ、雑踏の中を歩き回っていたカガチのほうもいつの間に入手したのか缶ビールを片手にこちらもご機嫌な表情を浮かべていた。
祭りを筆頭に人が集まるにぎやかな行事が好きなスズノ、原料を問わずこよなく酒を好むカガチ、神使としての
「さてさて、そちらの首尾はどうだい?」
「とりあえず、みんなの帰り道は安全だと思うにゃ……でも本音をいえば、もっとフクマの数を減らしておきたかったにゃー」
「同感だね。今回仕留められたのは逃げ出した連中の1割程度だろう? このぶんだと数を減らすのにだいぶ時間がかかりそうだ」
「ここで待ちかまえるよりも街中を捜し回ったほうが良かったかにゃ?」
「いや、祭りの会場で待ちかまえるというスズノの考えは悪くなかった。
「フクマ以外にも妖気を出してる妖怪がいるのは想定外だったにゃ」
「まったく、私らが祠でひと眠りしているうちにここまで姫様の威光を恐れぬ
「そういえば、そのシズカっち、こっちに来る様子ないけど大丈夫かにゃあ?」
合流するはずだったもうひとりの神使のことを思って、スズノは萌木山のほうへと目をやり、
「あれ? あれあれ?」
疑問の声を発する。
それにつられて、カガチも山へと目を向けると、
「おや、これはどういうことだね?」
と同じように首をひねる。
萌木山の山頂からふもとまで続く参道に、いくつもの提灯の灯りが揺れているのが見えたからだ。
それは遠目に見るとまるで川の流れに沿って舞う蛍の群れを思わせ、祭りとはひと味違う夏の風物詩という感じだった。
ただし、それは本来の祭りが無事に終わっていたらという条件つきのはずで、今夜起きた山中での騒動を知っているふたりには思いもよらぬ光景だった。
「あちらの祭りはなぜか無事に終わったようだね。ということはシズカがうまくやってのけたのだろうか? 山中に残してきたフクマの相手は、シズカには少々荷が重いと感じていたのだが、どうやら取り越し苦労だったようだね」
「いやいやいや、いくらシズカっちでもフクマをここまで誘導してくるならともかく、あの数相手にカガチの加勢なしで勝つとかありえないでしょ」
「しかし、ご覧のとおり騒ぎにすらなっていないようだが」
「ちょっと待ってね……意識を山のほうに集中させて探ってみるから――」
スズノはフクマを探知するために街中へと向けていた意識を山のほうへと向ける。
「あれ? おかしいにゃ、フクマの気配をまったく感じないにゃ」
「山の中にフクマは1匹もいないということかね? では、シズカの気は感じ取れるかい?」
「えーと、シズカっちは……いた。なんか前より神々しくなってるっぽいにゃ。あと姫ちゃまがシズカのそばにいるのを感じるけれど、神力がかなり強くなってるにゃ」
「ふむ、姫様が力を取り戻しているということなら、山中のフクマの気配がひとつ残らず消えているというのも納得できる話だね。となると祭りの効果もまんざらではなかったようだね」
スズノは山中へと意識を向けたままで、
「んん~? シズカっちと姫ちゃまのそばに、そんなに強くはないけれど神力を持っている人間が三人くらいいるにゃ」
疑問の声を新たにあげる。
「ふむ。そちらに心当たりはないね。どうなっているか確かめるのに山へ戻ってみようか」
と山に向けて踏み出したカガチをスズノは慌てて引き留める。
「待って待って待って、神力を取り戻してる姫ちゃまがシズカっちのそばにいて、そのうえフクマが山の中にいないってことは、ボクらのしたことがバレてるってことじゃん。山に戻ったりなんかしたら、ものすごいお仕置きをされるんじゃ……」
「まあ私らの悪巧みは露見しているだろうね」
カガチは歩みを止めて、あっけらかんと答える。
「イヤにゃ! お仕置きだけは絶対にイヤにゃっ!! 下手すれば、また山を出られなくなるかもしれないにゃっ!!」
「それは私も困るところだが、かといって事の一部始終を知らぬせいですれ違いが起きてしまっても困るのだが。まあとりあえずはいったん落ち着こうか」
とカガチは答えて、手にしていた缶ビールを開けると、中身を喉へ軽く流し込む。
「ふむ。縁側でぼんやりと夜空を眺めながら冷えたビールを楽しむのもいいが、こういう祭りで浮かれた雰囲気の中でちょいとぬるめのビールというのも存外悪くないもんだ」
「発泡スチロールの箱に満たした氷水につけただけのビールなんか、この熱気の中じゃ、ぬるくて苦いだけの水じゃないかにゃ?」
「そこは物のとらえ方だねえ。なにせ山を下りれなかったころは味わうどころか出会うことのなかった物なのだから、これはこれで格別の味だよ」
「ふーん」
と、やや気の乗らない返事をしたスズノに、
「ビールはいいものだよ、そういえばシズカに教えてもらって知ったのだが、異国では強烈な夏の日差しを浴びながら小瓶のビールにライムとかいう西洋柑橘をひとかけら落としていただく飲み方があるそうじゃないか。まさに今の時期にうってつけで、想像しただけでも、たまらなくなってくるねえ」
「夏の日差しが出ているあいだは冷房の効いた部屋でのんびりしてたいにゃ……って、落ち着きすぎにゃ」
そんなツッコミをいれたスズノの足下に1匹の焦げ茶色をした猫がすり寄ってくる。
「おんや、キミだけが来たのかにゃ」
とスズノは猫を抱き上げた。
「その子は?」
「シズカっちがフクマを連れて街まで下りてきたときに、ボクたちのところまで来られるようにお供としてつけた子にゃ」
「なるほど。その子に聞けば、山で起こった出来事の詳細が分かるのではないかね?」
「ちょっと待ってね、聞いてみるにゃ」
と会話(といっても他人にはネコの鳴き声にしか聞こえないのだが)を始めたスズノは猫としばらく鳴き交わしたあと、「あー、やっぱり」と嘆息する。
「どうしたのだね?」
「シズカっち、フクマに影響を受けて魔物化しちゃったみたい」
「まあ私ら神使の中じゃ、シズカは魔性につけ入れられやすい
「それでどうなったか、続きを聞いてみるね」
ふたたびスズノが猫と鳴き交わし、
「魔物になっちゃったシズカっちをふたりの男の子が追っかけてきて、争いになったって」
「ふたりの男子か、ほかに特徴は?」
「それぞれ青い刀と赤い刀を使ってたって」
「青い刀と赤い刀か……とっさに思い浮かぶのは炎天と氷天だが、それを振るうような男子にはまったく心当たりがないね」
「炎天と氷天が童子の姿をとったとか?」
「ありえる話だとしても、今の姫様の神力ではその可能性はないと思うがね。そういえばさっき姫様とシズカの他にも神力をまとったのが三人くらいいると言っていたが、その連中かね?」
「数が合わないけどそうかもしれないにゃ。まあ続きを聞いてみるにゃ――ふんふん、シズカっちとふたりの男子だと、シズカっちのほうに
「猫ちゃんの話から推測するにその女の子とやらは姫様で、炎や雷はおそらく七天罰の力に違いないね。それにくわえて大人の姿になったということは、姫様がだいぶ神力を取り戻したこととも符合するね」
「で、で、どうするにゃ、どうしようにゃ。今のままだと神社に戻っても戻らなくても姫ちゃまからのお仕置き確定にゃ」
パニックに陥りかけるスズノを制するように、
「今現在シズカが無事なのだから、そこまできついお仕置きはないと思うがね。もし姫様の怒りの矛先を
「言うのは簡単だけど、当初の計画とは全然違う方向に向かっているにゃ。本来だったら山の中だけで終わる話だったのに」
「まあ予定が狂ったのはたしかだがね、どのみちやることは変わらないさ。見つけ次第、フクマを狩ってその数を減らしていくしかないだろう」
「それもすみやかにやらないと意味ないにゃ。女の子に取り憑いて山から逃げたフクマの数をだいたい百として、さっき倒したのが10体程度。早いところ見つけないとせっかく減らした数も元通りどころかもっと数が増えちゃうにゃ」
「気長に捜すとはいかないわけか。ならそうだな、まずは私らが祠でひと息ついている間にのさばってきた礼儀をわきまえない身の程知らずどもにも少しお灸をすえておこうか。そうやって妖気の出処をひとつひとつ潰していけば、いつかは本命のフクマ様にも出会えることだろうよ。隠れているのなら
カガチの瞳が燃え上がる篝火のように赤い妖光を放つ。
燃えさかる炎を思わせる光と反比例するように、カガチの全身からはあらゆるものを飲み込むような
神力と妖力を混ぜ込んで練り上げた気力は目に見えずとも、それを感じ取れるものたちは息をひそめるような沈黙や動揺によるざわめきを示し、あるものは畏怖でちぢこまるように、あるものは鬼打姫の帰還を祝うように、あるものは受けて立つかのように、と街のあちらこちらで多種多様な反応があった。
カガチの発した気のうねりを間近に受けて、スズノに抱きかかえられた猫が怯えた様子を見せる。
「ちょっとちょっと! この子が怖がってるにゃ! それにカガチが本気モード全開にしたら、ますますフクマたちが妖気を引っ込めちゃうじゃん!」
「おっと、これは失敬。まあでも、今ので姫様も私らが案外マジメにやっていると思ってくれることだろうよ」
「そういうのを希望的観測というにゃ。むしろ今のに反応して姫ちゃまが山から下りてきちゃう可能性のほうが高いにゃ。なんで自分から居場所をバラしちゃうのにゃ。ばったり会っちゃったらお仕置きされるの確実なのにゃ」
「シズカを間に挟んで取りなしてもらえば大丈夫だろう、そのへんは」
「それも希望的観測にゃ。シズカっちがこっちの味方についてくれるとは限らないにゃ」
「真面目にフクマや雑魚を狩っておけば、姫様だってそこまで鬼にはならんさ」
カガチの楽観的な態度に不満げな表情を浮かべるスズノに対し、
「さてと、ここからはしばらく別行動とするか」
「え? 一緒にフクマを捜すんじゃないの?」
「フクマを捜すのはもちろんだが、憧れの下界に来られたのだから、2、3軒ハシゴしてからでもバチは当たらんだろう……と言いたいトコロだがねぇ、さっきの私の気に反応していながら、己の妖気も敵意も隠そうとしない威勢のいいのが何匹かいるようだし、まずはそっちの相手をしようと思ってね」
「そういうことなら、ボクは足手まといになるから別行動でもいいかな。まあでも今後の合流先は決めておこうよ……ということで、ちょっと良さげなお店があるんだにゃあ」
スズノはどこから取り出したのか、ピンク色の紙を手に持ち、見せびらかすようにひらひらとさせてみた。
「む、それは?」
「フクマに取り憑かれてた女の子が持ってたチラシにゃ」
カガチはスズノの手の中にあるチラシに目を通し、
「どれどれ、メイド蕎麦……蕎麦は分かるが、メイドとは?」
「カガチに分かるように言い換えるなら、西洋版のお女中さんかにゃあ」
「ふむ。西洋女中……そういえば、この紙に描いてあるような格好をしていた娘がいたな。ではあの娘が着ていたのがメイドとやらの衣装と考えればいいのだね?」
「そのとおり。しかもあの子が着ていたのはボクの考案した意匠で、シズカがこしらえた衣装だったりするんだにゃあ」
自慢げにいうスズノに、
「なるほど。で、この店に
カガチは自分の興味を優先した返事を返す。
スズノはその返事をほぼ予期していたようで、
「お蕎麦屋さんだけど、お酒飲める店って雰囲気ではなさそうだにゃあ」
「それはよくない、よくないぞ。冷やでも
「そんな作法があるかはともかく、蕎麦掻きがあるかどうかも分からないにゃ」
「そうか。まあ物は試しと一度くらいはのれんをくぐってもいいかもしれんがね、まあそれはそれとして、なんだか飲みたくなってきたねえ」
「え? お酒ならついさっきまで飲んでたじゃん」
「さっき飲んでいたのはビール、つまりは麦の酒で、今あおりたいのは米の酒だよ、あれは蕎麦に合う」
「……米のお酒だって神社で飲んでたじゃん」
スズノの指摘に、
「飲んでたねえ。そうそう、蕎麦がアテなら蕎麦焼酎というのも悪くはないな。あとワインとかいうブドウの酒も蕎麦にあうと話にきいたねえ」
カガチはまったく悪びれることなく答える。
カガチは続けて、
「あ、そうだ。『神社で飲んでた』と言われて思いだしたのだけど、あのふたりは
「巻き込んでおいてなんだけど、あの人が良さそうなお兄さんたちには悪いことしたにゃ……あっ、もしかして姫ちゃまと一緒にいた男子ふたりって……」
「その可能性もなきにしもあらずといったところだねえ。なにせ、あの手強い要石を動かせるだけの力量はあったのだからね」
「まあでも、ふたりそろってようやく一人前といった感じだったけどにゃ。そんな半人前にあの姫ちゃまが炎天・氷天を貸すとは思えないにゃ」
「まあね。だが、あのふたりにはどこか光るものがあったのもたしかだね。もし再会でもしたらお詫びも兼ねて一杯おごるとしようか」
「あのふたり、どう見ても未成年だったにゃ」
「それは残念……まあふたりが飲めなくとも私が飲めれば別にかまわんのだけどね」
「それは他人をもてなす態度じゃないにゃ」
「もてなすといえば、それこそお酒はなくともこのメイド蕎麦とやらのお店でもてなすのも手ではないかね」
「それもひとつの案として考えとくにゃ。まあもういちど会えたらの話だけどにゃ」
「あのふたりとは意外にすぐ再会できそうな気もするがね、私は」
そんなふうに彼女たちに噂されているあのふたりこと、龍星と陽樹の両名は、いま現在カガチもスズノも予想だにしていない状況にあった。
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