【KAC20241】朝のルーティン

八月 猫

朝のルーティン

 私には三分以内にやらなければならないことがあった。

 時刻は七時三十二分。

 いつも通りのルーティンを守るなら、部屋を出るまでの猶予はたった三分しか残っていなかった。

 このマンションから余裕をもって出勤時間に間に合わせようとすると、電車の時間的にもこれがちょうど良い時間。

 まあ、今慌てているんだから意味ないのかもだけど。


 テーブルの上には二人分の食器が並び、その向こうでは彼がばたばたと動き回っている私を、仕方ない奴だなあとでも言いたげな顔で見ていた。


 とりあえず自分の分の食器を流しに放り込み、出しっぱなしだったまな板と包丁も綺麗に洗って片づける。

 鏡を見ておかしなところが無いかチェック。

 化粧もばっちり。髪の乱れも無い。


 上着を羽織って、ゴミの入った袋を持って玄関に向かう。

 今日はいらない服を捨てようとまとめたので、いつもよりは大きい袋が下駄箱にぶつかって転びそうになった。


「じゃあ行ってきます!」


 元気に彼に声をかけて玄関を出る。

 ゴミ袋を下に置いて部屋に鍵をかけていると、何か廊下の奥に人が集まっている。

 すると、ちょうど隣の部屋の涌井わくいさんの奥さんが向こうから歩いてきた。


「おはようございます。何かあったんですか?」


「あ、おはようございます。よくは分からないんですけど……307号室の舘村たてむらさんが亡くなっているみたいなんですよ……」


「え!?」


「308の北乃きたのさんが見つけたらしいんですけど……」


「そうなんですね……。舘村さんて、まだ若かったですよね?」


「ええ、それに笑顔の素敵なイケメン、とか言ってたら主人に怒られますね」


 そう言うと涌井さんはペロっと舌を出して笑った。


 あなたも若い女の子なんだから戸締りはしっかりね、と言い残して涌井さんは部屋に戻っていった。


 大丈夫。

 使った包丁は綺麗に洗ったし、汚れていらなくなった服も、履いていた手袋もこれから捨てる。


 そして何より、まだ


 私はマンションを出ると、振り返って501号室を見上げる。

 臭いだすまで一週間くらいかな。


 それまでに彼を保存する方法を考えないとな。


 恋をすると周囲が一気に赤く色付いて、眩しいくらいにキラキラと輝いて見えるなと、並んだ食器の向こう側、のテーブルの上で微笑んでいた彼の顔を思い浮かべながら、そう思った。




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