冒険のはじまり

仲津麻子

冒険のはじまり

  彼には三分以内にやらなければならないことがあった。

 

「三分以内に回廊先の部屋へ入り、台座にオーブ宝玉を置け」

 オーブを手にした時、あたりに響きわたった不思議な声だった。

 

 ダンジョンの最下層。ラスボスのキマイラを倒して手に入れたオーブは黄金色に輝いていた。

 

 彼はそれを左手に掲げ持ったまま、奥の回廊へ通じる扉の前に立っていた。

 

 ラスボスとの闘いで、疲労はビークに達していた。

 だがここで気を抜いたら、ダンジョン踏破の栄光も、この先にあるはずの宝物もすべて失ってしまうだろう。


 扉の先に何があろうと、引き返すことはできなかった。


 三分が何を意味するのかもわからなかった。だがもうあまり時間が無い。すでに十秒あまり過ぎてしまっていた。


 彼は大きく息を吸うと両開きの扉を開いた。


 バタンと背後でドアの閉まる音がした。彼はそれにかまわず全力で走った。


 だが数十秒ほど進んだ時、まわりに異変が起こった。

 両側の壁から緑のゲル状の何かが、どろりとたれ落ちてきたのだ。


 それはブヨブヨうごめきながら石の床にひろがり、彼の後を追うかのように迫って来た。


 ゆっくりした動きだった。うねうねと波立つように移動して音もなく近づいてくる不気味さに彼は身震いした。


 アレが何かはわからないが、良いものでないことは確かだろう。近づく前に回廊を抜けなければ。彼は手に持ったオーブを落とさないよう握りしめた。


 再び走り出した彼の行く手に、数体の魔物が待ち受けていた。

 それはサルに似た二足歩行の魔物で、笑ったように口角の上がった口の間から尖ったギザギザの歯が見えていた。


「ゴブリンか」

 彼はつぶやいた。


 ダンジョンをクリアできる彼の実力なら、ゴブリンなど敵ではない。馴れたしぐさで剣を抜いた彼は、数秒もかからないうちにゴブリンを倒した。


 そしてまた走り出そうとして、ふと床に目を落とすと、いつのまにかあの緑のゲルが追いついていて、床に倒れているゴブリンの死骸に取りついていた。


「アレに追いつかれたら、こうなるわけか」

 彼はひとりごちて、吸収されて行くゴブリンから目をそらした。


 意外に手間取ってしまい、あとどれくらいの時間が残っているのか見当がつかなかった。


 その後も三回、ゴブリンの群れが現れたが、彼は足を止めることもなく、なぎ払った。


 ようやく回廊の先に扉が見えた。

 入口と同じような両開きのドアで、複雑な幾何学模様が彫られていた。


 その中心に手を当ててドアを押し開こうとした時、長年魔物と対峙してきたカンのようなものだろうか、なぜか彼は振り返った。


 目の前には緑色の壁があった。


 おそらく、ゴブリンを吸収して増殖したのだろう。床を這っていたはずのアレが、今は天井まで詰まったゼリーのように、ぷるぷると震えながら、今にも彼を取り込もうと、どろりとした粘液を伸ばしているところだった。


「ヤバッ!」


 そうか、三分。この状況になるまで三分ということか。


 彼はあわてて扉を押し開き、その先の部屋に飛び込んだ。



 背後でバタンと扉が閉まった。


 どうやら間に合ったようだった。

 緑のゲルは部屋の中までは入ってくる気配はなかった。彼はほうっと息を吐いて、肩の力を抜いた。



 その部屋は、飾り気のない狭い部屋だった。

 床全体に魔方陣のような模様が描かれていて、その中央にオーブを置く台座であろう黒い円柱があった。


 彼はゆっくりと近づき、握っていたオーブをそこに置いた。


 カチッと音がして、突然床が揺れた。

 ギギギギと擦れるような耳障りの悪い音がして、ゆっくりと円柱が下がって行く。


 彼は茫然として、魔方陣の中へ吸い込まれ消えて行くオーブを見つめていた。

 円柱が消えて遮るものがなくなったため、床に描かれた魔方陣は完璧な形で存在していた。


 やがて魔方陣に描かれたオクタグラム八芒星が輝きはじめた。その光はしだに強くなり、部屋全体を包んだ。


 まぶしさに目をつぶった彼が、再び目をひらいた時、あたりは一変していた。


 巨大な柱が立ち並ぶ通路の先、祭壇とおぼしきところに、金銀の装飾に覆われたひつが置かれていた。


 先ほど見た黒い円柱が八本、櫃の周りを囲むようにして建っており、一つの円柱にだけ、金色に輝くあのオーブが据えられていた。


こういうことか。


 彼は思った。


 櫃の中には小さな金色の鍵がひとつだけ入っていた。

 細い金鎖がつけられていて、ペンダントのように首にかけられるようになっていた。


 彼が首にそれをかけると、突然祭壇の奥に重厚な扉が現れた。


「八つのオーブがつどった時、新たな扉が開かれる」


 声が響き渡った。


「そういうことか」


 彼はつぶやいた。

 怒りがこみ上げてきた。


 苦労して得たダンジョン踏破の栄光と、手に入ったお宝で悠々自適の生活を夢見ていた。それがあと一歩で手に入るはずだった。


「なんだよ。お宝はどこにあるんだよ!」


 彼は叫んだ。


 彼の冒険はまだはじまったばかりだった。


《終》

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冒険のはじまり 仲津麻子 @kukiha

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