世界を救う漫才vs全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れ

🎙️🥇

　フューチャー岡部には三分以内にやらなければならないことがあった。

　自分がこれから行う漫才に日本中の注目を集めること。

　そして、もうひとつ────。

　🎙️

　会場では割れんばかりの拍手が響き渡っていた。その万雷の拍手に送り出され、2人の漫才師が控え室に帰還する。彼らは、漫才日本一決定戦ファイナルステージ2組目の漫才師だった。彼らが戻ってきたということは、いよいよ次が最後のネタ。

　すなわち、フューチャー岡部たちのネタとなる。

　彼らの漫才を、フューチャー岡部は思い返す。掴みからオチまで笑いが途切れず、終盤で畳み掛けて、最大級のうねりとともに締める完璧な漫才。

　500人の観客と7人の審査員の笑いが爆発し、その余韻で、会場はまだ揺れていた。

　漫才日本一決定戦という謳い文句に違わず、どの組もレベルが高い。この大会で自分たちがファイナルステージまで来れたことは、奇跡といってもよいだろう。

　深呼吸を3回する。漫才前のルーティンだった。直前に見た大会ポスターが脳裏に浮かぶ。

『漫才師たちよ、人生変えてくれ！！』

　あまりに大仰なキャッチコピーで吹き出してしまう。人生を変える。当然そのつもりだった。いや、それだけじゃない。フューチャー岡部の拳に力が入る。変えるのは、人生だけじゃない。

「いよいよやな。いけるか？」

　相方の蝶野に声をかけられた。この日のために新調した青のスーツをビシッと決めている。緊張とは無縁なのだろう。ふてぶてしく腕組みをしていた。

「いけるに決まってるだろ。蝶野こそチャック開いてるぞ」

「嘘つけ。さっき確認したわ。お前こそ、ネタ始まるまでに、そのアホヅラどうにかしとけよ」

　フューチャー岡部は舌を出す。蝶野を騙せたことは一度もなかった。相変わらず口も悪い。蝶野は不敵に笑うと、続けた。

「まあ任しとけ。ちゃんと滑り倒したるから。ほな、そろそろ行くで」

　ステージに向かって、床がせりあがっていく。照明の光が眩しい。視界のすべてが輝いて見えた。心臓が高鳴る。観客席から伝わる熱気に全身を包まれた。血が沸き立つ。そうだ。ここからが本番だ。出囃子が鳴り響き、会場のボルテージは一気に高まっていく。

「続いては、いよいよファイナルステージ最後の組です。決勝ラウンド1位、エントリーナンバー2015────」

　🎙️

「どうもー。『theタイム・パラドックスズ』です。よろしくお願いします〜。

　俺が蝶野で、こいつが────。」

　フューチャー岡部には三分以内にやらなければならないことがあった。

　自分がこれから行う漫才に日本中の注目を集めること。

　そして、もうひとつ────。

「どうも、フューチャー岡部です。突然なんですけど、1個カミングアウトいいですか？

　実は私。未来から来たんですよ」

　そして、もうひとつ────。

　未来を変えて、滅亡の危機から人類を救うことであった。

　ある政府関係者は、のちに述懐している。

『優勝は逃した。だが、あの時すでに、彼らの漫才は世界を救っていた』と。

　後世に語り継がれる伝説の漫才の幕開けだった。

　🎙️

「お前が未来人？アホなこと言うてんちゃうぞ」

「いや、マジのマジ。正真正銘、"あったまテッカテカ、冴えてピッカピカ"の未来人様よ」

「ほな、なんか未来のこと教えてみてや。流行りとかあるやろ？」

　蝶野は呆れたように肩をすくめる。フューチャー岡部のことを完全に疑っている様子だ。

　だが、これは漫才中の演技。彼はフューチャー岡部のことを信じている。

　最初からそうだったわけではない。蝶野はむしろ疑い深いタイプであった。しかし、フューチャー岡部の熱意が、真剣さが、必死さが、そして、ともにコンビとして切磋琢磨していくうちに出来上がった絆が、蝶野の心を動かした。

　日本一の称号にも、優勝賞金にも目もくれず、この"確実に滑る"漫才に賛同してくれた。「めっちゃ、おもろいやん」。たったのその一言だけで。彼には感謝してもしきれない。

　この世界において、蝶野だけが、フューチャー岡部を信じてくれている。

　🎙️

「未来といえば"SHTBM"かな」

「なんそれ？新しいSNS？意識高いやつ？」

「"全てを《S》破壊しながら《H》突き進む《T》バッファローの《B》群れ《M》"に決まってるじゃないですか！まさか？ご存知ない？」

「知るわけないやろ！なんやそのトンチキ与太生物は」

　観客席から笑いが起こる。だが、それはまばらだ。"全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れ"という単語に耳馴染みがないのだろう。大部分の観客は困惑したままだった。首を傾げる審査員も見える。

　彼らの反応を見たフューチャー岡部の目が潤む。平和だった時代を思い出したのだ。"全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れ"の恐怖を知らず、希望に満ちた未来を純粋に信じることができた、あの時代を。

　🎙️

「なんや、そのバッファローは普通のバッファローと何が違うんよ？」

「もう、名前のとおりよ。全てを破壊しながら突き進む。突き進んでる間は無敵だよね。しかも、群れ。1週間ごとに数は倍になっていくから。あっという間に人類は滅亡ってわけ」

　フューチャー岡部は、かつて自分がいた未来を思い出す。その惨劇の記憶とともに。

　西暦20××年。3月3日。午後2時16分。S県都市近郊にて、"全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れ"(※この時点では3頭)が出現。

　それはS県県道を走行する大型貨物自動車の背後に、突如として発生した。後続車のドライブレコーダーに記録された映像からは、まさに一瞬のうちに発生したことが確認できる。超自然的な現象。以降、この映像は世界各国のメディアで繰り返し報じられることとなる。

　発生から零コンマ3秒が経過。"全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れ"、猛進を開始。

　猛進開始から8秒のうちに時速は300kmを超える。発生場所の県道は、交通量が多いことでも知られていた。この日の被害は甚大となる。この時点ですでに車29台が大破。運転者、同乗者、通行人を含む一般人43名が死亡。家屋2棟が倒壊。10分後に同様の被害はT県にも届く。

　以降も犠牲は増え続ける。同日中に、その破壊の行進は、海を隔てた先の米国、中国、ヨーロッパ諸国、アラブ諸国にまで達し、各国に巨大な傷痕を残すこととなる。

　発生から2日後の3月5日。午前3時43分。エジプト・サハラ砂漠にて、"全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れ"、確認。同時に、米国の軍事衛星光線兵器"SUN"着弾。各国総動員体制で、"全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れ"の軌道を割り出していた。

　爆弾も、機関銃も、戦車も無に帰する"全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れ"に対し、人類が繰り出した最大・最速の反撃。それが、米国の軍事衛星光線兵器"SUN"だった。

　"SUN"着弾により、サハラ砂漠に巨大なクレーターと砂嵐が発生する。各国首脳陣が固唾を飲んで作戦の成否を見守る。2秒後。砂嵐から姿を現したのは、"全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れ"であった。その体には傷ひとつなかった。

　その日、有史以来最大の絶望と混乱が、人類を覆った。しかし、その記録はわずか5日後に更新されることとなる。

　3月10日。午後2時16分。"全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れ"の数が2倍となった。

　🎙️

「そんな危険やねんたら、早よ国とかに訴えて未来救うてこいや。なに呑気に漫才やってんねん」

「まあ、それはそうなんだけど。ほら、試験勉強中に掃除するとそっちに熱中しちゃう的な」

「ここ！漫才日本一の決勝やぞ！そんな舐めた気持ちで来るな！」

　蝶野が吠える。観客席ではドカン！とひときわ大きな笑いが起きた。会場が沸き立つ。

　蝶野はツッコんだが、現代に飛んですぐに、フューチャー岡部は、国に対して警戒を促していた。しかし、まるで相手にされずに門前払いされてしまう。動画投稿サイトに上げた予言動画も全く伸びず、SNSの投稿も拡散はされない。未来からきたフューチャー岡部には頼れるツテもなく、万策は尽きていた。

　そんな時に出会ったのが、この大会であった。プロアマ問わず参加できる漫才日本一決定戦。テレビ離れが叫ばれる時代の中、この番組の視聴率は関東地区で17.2%、関西地区ではなんと28.0%という驚異的な数値を叩き出していた。

　また、決勝戦で行われたネタは、後日、動画投稿サイトにもアップロードされ、そのいずれもが100万回再生をゆうに突破していた。

　この影響力を利用しない手は、ない。

　🎙️

「ごめんごめん。軽くやってみたら来れちゃったから」

「才能ありすぎやろ！二度とその口を開くな。テヘペロもやめえ！」

　嘘だった。

　才能はどちらかといえばなかった。

　この漫才日本一決定戦において、圧倒的に有利な戦術は、"しゃべくり漫才"。そしてそれをより効果的に使いこなすことができるのは、関西人であった。関西弁という感情の乗せやすいお笑い最強言語に加えて、日常会話がボケ・ツッコミとも謳われる抜群のテンポ感。

　関西人が有するそれらの武器を、未来人のフューチャー岡部は、どちらも持ち合わせていなかった。

　才能のないフューチャー岡部は、努力するしかない。かつては四分だった大会のネタ制限時間も三分と短くなり、よりハイテンポのボケ数が求められるようになった。研究を重ねた。コント漫才。ボケ数。アイデア。展開。掴み。伏線回収。すべてに全力を注ぎ込んだ。

　フューチャー岡部が目指したのは、『決勝ラウンドで圧倒的1位を取ること。そしてその先のファイナルステージで変な漫才をして滑ること』。それこそが日本中の記憶に残る漫才だと確信していた。

　🎙️

「でも、"全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れ"を止める手段が、実は見つかって」

「なんや？」

「あいつら、"全てを《S》怯えながら《O》慌てふためく《A》ネズミ《R》"を追いかけてるだけだったんだよ。だからネズミを確保すれば、バッファローも止まるってわけ」

「しょうもな！牛がネズミ追いかけるて、干支かいな。俺が真面目に聴いた時間返して欲しいわ」

　ほんとにしょうもない。神の悪戯かもしれないが、センスがなさすぎる。

　"全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れ"は動きを止めてさえしまえば、ただのバッファローとなる。戦車を用いるまでもなく、市民によって駆逐された。

　ようやく"全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れ"の脅威が終わった。だが、その時にはもう、人類の大多数は喪われていた。47億2279万3819人の尊い犠牲。その中には、フューチャー岡部の両親も含まれていた。

　🎙️

「まあでも、今日私が未来のことはすべてお話したので、皆さんはもう安心ですね。これだけ覚えて帰ってください。

　"全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れ"が現れたら、まず前方のネズミを捕まえる」

「そんなアホな未来くるわけないやろ！もうええわ」

「「ありがとうございました〜〜！！」」

　そうだ。そんなアホな未来がくるわけがない。

　日本中に"全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れ"の脅威を伝えることができたのだから。

　蝶野と一緒にこの場で漫才することができたのだから。

　こんなにたくさんの人が笑ってくれているのだから。

　フューチャー岡部が、未来を救うための手段として漫才を選んだのは、大会の影響力だけが理由ではない。

　漫才が好きだった。未来のことを誰からも信じてもらえず、途方に暮れ、絶望していたときに、何気なく目に入った漫才日本一決定戦。

　この時代に来て以来、いや、"全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れ"が出現して以来、初めて声を出して笑うことができた。涙を流すほど笑った。本当に救われた。自分もこんな風に誰かを笑わせたいと思った。

　初めてステージに立った。ピンでのフリップネタ。緊張でネタが飛んでしまった。1人だけが笑ってくれた。嬉しかった。次の出番では台本通りに行うことができた。数人が笑ってくれた。蝶野と出会った。念願の漫才を初めて披露できた。お互い噛みどおしだった。1ボケだけ大笑いが起きた。快感で脳が痺れた。ネタの研究に熱が入った。ファミレスで夜通し打ち合わせをすることも増えた。掴みで笑いを取れるようになった。迷走してキャラ漫才にも挑戦してみた。これは不評だったのですぐに辞めた。舞台上で蝶野と喧嘩になったこともあった。仲裁に入った先輩芸人は大笑いしていた。ボケとツッコミを入れ替えてみた。観客の反応は悪くなかった。初めて、最初から最後まで笑いが途切れなかった。徐々に大きいステージで漫才をすることが増えた。笑ってくれる人もどんどん増えた。

　彼らの笑顔を見るだけで、幸せな気持ちになった。もっとたくさんの人に笑ってもらいたい。そのためにも、未来を変えなければ。どちらも、自分の漫才で実現してみせる。その決意は日増しに強くなっていった。

　審査委員長のコメントは次のとおりだった。

『ウケてはなかったけど。心底、この漫才がやりたかったんやろなってのは伝わってきましたね』

　🎙️

　漫才を終えたフューチャー岡部は、深々と頭を下げる。その額から、大粒の汗がこぼれた。それは床に落ち、ポタリと音を立てる。その小さな音は、サンパチマイクにも拾われず、誰にも聴かれることはなかった。

　だが、それはたしかに、フューチャー岡部の孤独な戦いの終わりを告げていた。

　あとは、結果発表を待つのみだった。