揺るぎない計画

小石原淳

揺るぎない計画

 角田つのだには三分以内にやらなければならないことがあった。遅くとも三分後にはここを発ち、駅に向かう必要がある。そしてプラットフォームに滑り込んできた電車に乗り、自宅に戻れさえすれば、アリバイが確保できるのだ。

 このときのために、久しぶりに腕時計を装着した。携帯端末よりも素早く時刻を確認できると踏んでのことだ。腕時計は正確に時を刻んでおり、狂いや電池切れの心配はない。

(指紋は別に残っていてもかまわない。よほど不自然な場所じゃない限り、以前この部屋を訪れたときに着いたのだとすれば済む。問題は髪の毛だ。こいつと来たら、相変わらずきれい好きだったようだからな)

 先ほど、撲殺したばかりの男を見下ろす。山内やまうちは潔癖症とまでは行かないまでも、きれい好きで通っており、暇さえあれば自宅の掃除をしている。そんな性質の男の部屋に、髪の毛が落ちていたら目立つに決まっている。

(掃除した日時を山内が記録しているとは思えないが、もし仮に警察がこの部屋を調べて、私の毛髪が見付かったとしたら、昨日よりも前に訪問した際に落ちたんでしょうと主張しても、認められまい)

 角田はこの日に備え、なるべく髪を伸ばしてきた。さらに毛先を軽く脱色して茶色がかったようにもしている。すべては、落ちた自分の毛を見付け易くするため。無論、髪の毛をすっぽり覆えるサイズの帽子を被っては来たが、毛髪が落ちるのを完全に防げるとの確信は持てなかった。実際、犯行の際には帽子が脱げて、床に落ちてしまった。

(危惧したほどは、落ちなかったみたいだ)

 帽子をきつく被り直したあと、手早く三本拾い上げた時点でそう思い始め、その後二分近くを要して探したが、四本目が見付かることはなかった。角田は、自分の特徴的な髪をすべて回収し終えたと確信が持てた。

(見付け易かったのは、ある意味、山内がきれいに掃除をしていたおかげでもある。しかし、そのせいで毛髪ごときに細心の注意を払わねばならなかった訳だ。卵が先かニワトリが先か論争みたいなものか。ま、どうだっていい。ぼちぼち立ち去らねば)

 腕時計を見た。あと二十秒ある。ざっと最終確認をして、玄関に向かった。計画通りに事は運んだ。まだ途中ではあるが、とりあえず一安心すると口元に勝手に笑みが浮かぶ。

 速やかに外に出て、ドアを閉めると、そのまま振り返ることなく往来へ向かう。タイムスケジュールには余裕を持たせてある。下手に走っては、周囲の目を集めかねない。駅や道端の防犯カメラに映っても大丈夫なよう、軽く変装をしているが、それでも人目に付かないに越したことないだろう。ゆったりと歩いても間に合うはず。ただ、分かってはいても、気持ち、早足になるのは仕方がなかった。

 線路沿いの道路まで辿り着いたところで、念のため、時間のチェック。問題ない。歩きながら、携帯端末を取り出し、鉄道各社の遅延情報を見る。これもまた問題は発生していなかった。

(この路線は、事故率が極めて低いが、万が一、何らかの原因で遅れが出た場合は、Bプラン。もう一つの鉄道の駅に向かえば大丈夫。両方の路線で、同時に遅延が発生するなんて、まずあり得ない)

 計画を思い返し、ほくそ笑んだ。

 と、そのとき。

「!」

 足元から地鳴りと小さな揺れが伝わってきた。程なくして、それは大きな大きな振動へと変化する。


「ちくしょう……」

 角田は思わず口走っていた。

 三十秒くらいだったか、立っていられないほどの揺れに襲われた。もちろん、単に遅れが三十秒程度なら、計画に支障を来すことはない。だが、ことは地震だ。すべての鉄道が一斉に停まるのは確実。だめ元で携帯端末による確認を試みたが、もうつながらなくなっていた。

「タクシーを拾う……無理か」

 ぽつぽつとではあるが、倒壊した家がある。道路が塞がれているのも確実だろう。そもそも、角田から見える範囲でも、道のあちらこちらにひび割れが出来ていた。

(何てこった)

 消防車や救急車の音を遠くに聞きつつ、角田は歯がみした。

(計画が台無しだ。まさか、こんなに大きな地震が、このタイミングで起きるなんて。ああ、このまま山内の遺体が見付かったら、現場近くにいた私は真っ先に疑われる。だいたい、大きな地震が起きると分かっていたら、もっと殺し方を工夫したのに! 地震による事故死に見せ掛けるくらい、簡単だろうに)

 そこまで考えた角田は、ふと冷静に立ち返った。

 今からでも何とかならないか?と。

(犯行現場に戻るのは危険な行為だ。しかし、あの近所だけじゃなく、誰も彼もが混乱し、右往左往しているだろう。私の存在など、気に留めまい。幸いと言っていいのか、山内の死因は撲殺。地震による揺れで、何かが頭に落下し、死に至ったと見なされるように細工できるんじゃないか? あいつの家が倒壊してなければ、部屋に入ることさえできれば、どうにかなる。少なくとも、様子を見に行くだけの価値はあるぞ、絶対)

 そうして今来たコースを引き返した角田は、山内の一軒家が何事もなかったように建っているのを視認した。

(よし、いいぞ)

 角田はまた帽子を被り直し、俯きがちな姿勢を取って、山内の家に入っていった。


 直後に、最初の揺れに匹敵する地震が起き、倒壊した家屋の下敷きになって、命を落とすとも知らずに。


 終

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揺るぎない計画 小石原淳 @koIshiara-Jun

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