忘れ物の女王様
緋雪
道草も大好物だよ
私には三分以内にやらなければならないことがあった。
娘の「まゆ」、小学校二年生から、さっき電話があったのだ。呑気な声で。
「おかーさん、ランドセル忘れたー」
は?
「玄関に置いてあるから、届けて〜。あと三分で『朝の会』始まっちゃうから早くね〜」
ガチャン。
ランドセルを……? 忘れた……だと?
玄関を見ると、確かにランドセルがひっくり返っている。ひっくり返した亀の如く。
想像するに、ランドセルを背負ったまま靴を履こうとして、靴が上手く履けず、一旦ランドセルを後ろにスルッと脱ぐように置いて、靴を履き、そのまま身軽に、
「行ってきま〜す!」
と、家を出たのだ。
何も知らない母は、お気楽に、
「行ってらっしゃ〜い」
と、台所から返事をした。
そして学校についた娘は気付く。
「あ。ランドセル忘れちゃった」
学校に設置された、忘れ物などで家にかけるための公衆電話は、娘専用になってやしないかと思う。
そんなことをうだうだ考えている場合ではない。
小学校までは、まゆの足で、(まっすぐちゃんと寄り道せずに行って)七分。自転車で三分はギリギリだ。
私は自転車の前カゴにランドセルを放り込み、エプロン姿のまま、学校へと走る。
きっと、この姿は、ご近所さんの日常風景になっているに違いない。
毎日のように、水筒だの筆箱だの上靴だの忘れては、娘に電話で呼び出され、自転車で爆走している、アラフォーに片足突っ込んだ母。
なんと、今日は、前カゴにランドセルを入れているではないか!
中身が見えないカゴにしたい。本気でそう思いながら走る。
この辺り一帯は、まゆの寄り道先だらけだ。何しろ道草大好物で、真っ直ぐ帰ってきた試しがない。
一度、帰っているところを見つけ、そっと後をつけたことがある。
まゆは、工事現場を覗いて、道路下のおっちゃんと話をしていた。
「まゆちゃんなあ、おっちゃんやからええけど、他の知らん人についてったら、誘拐されるかもしれんからなあ」
「はーい」
などと、喋っている。
「何やってんの?」
私が現れると、おっちゃんの焦った顔。
「いやな、今、まゆちゃんに言いよったんですわ」
いや、それよりあなたが手にしている物は何?
道路の下のおっちゃんは、ハート型のコンクリートに、「まゆ」と刻んだものを持っていた。
「あ、これは、まゆちゃんにプレゼントですわ」
せっかく作ってくれたので頂きはしたが、おっちゃん、お願い。仕事して。
またある日は、タクシーで帰宅した。
「ええええ!! 歩いて七分の距離をタクシー?!」
しかも、無賃乗車。
「ちょ、ちょっと!! なんでタクシーで帰って来るの?!」
「学校出たとこで、そこのタクシーのおっちゃんと会って、『まゆちゃん、乗ってく?』って言うから、乗った」
どうやら近所のタクシー会社(道草先の一つ)のおっちゃんに乗せて帰ってきてもらったようだ。おっちゃんも会社に帰る途中だったのだろう。
しかし……
「あんた、いつか誘拐されるよ(汗)」
ああ、小学校が目の前なのに信号が赤!!
間に合うのか、本当に。
もう残す所もう三十秒あるかないか。
そして、まゆの小学校には、安全のため、警備員さんが立っている。
その人に「○○ですけど、忘れ物を届けて下さい」とお願いすると、届けてくれるというシステムなのだ。
学校に着く頃には、もう、あと二十秒くらいだというのに、警備員さんに渡して、娘のところに到着するまでに間に合うだろうか?
信号が青に変わり、私は、またダッシュ。門の前にいる警備員さん。
「あ、まゆちゃんですね?」
もう既に顔パスである。
「これ、お願いします!」
警備員さんにランドセルを渡し、彼が笑いをこらえる姿を見たところで、
キーンコーンカーンコーン
チャイムが鳴ってしまった。三分以内に学校には着けたが、忘れ物のランドセルは、まゆの手には渡らなかった。
がっかりする私に、警備員さんは笑って言う。
「大丈夫ですよ。まだ『朝の会』なので、教科書もノートも使いませんし。それが終わった頃を見計らって、コッソリ渡しますので」
いい人だー。
しかし、娘よ。
どんなにコッソリ渡してもらっても、ランドセルは隠せまい。
週に3回は何かを忘れて学校に持って行かされる、母の恥ずかしさも考えておくれ。ランドセルを忘れるとか、本当に信じられない。娘にそう言ったら、
「あ〜、ランドセルは二回目ね。一回目は、途中で気付いて取りに帰った。な〜んか今日、身体軽いな〜って思ったんだよね〜」
……本当に頭の痛い、「忘れ物の女王様」なのだった。
忘れ物の女王様 緋雪 @hiyuki0714
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
義母様伝説/緋雪
★58 エッセイ・ノンフィクション 連載中 12話
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます