バッファロー三絶

暇゛人

バッファロー三絶

 中国は宋代、士大夫が担い手となった文人画についてご存知だろうか。

 あるいはご存知なくとも、文人画の大家たるしょくの名はいかがだろう。

『中華料理のトンポーローは彼の雅号であるとうに由来する』というエピソードには聞き覚えのある方も多いのではないか。

 さて、蘇軾をはじめとする当時最高の教養人たる士大夫、すなわち文人により行われた文人画の大きな特徴のひとつは、単に絵画だけでなく「詩」も構成要素となる点だろう。

 すなわち文人画とは『詩』、その詩の『書』、そして『画』から成り、これらすべての卓越したものは「詩書画三絶」とよばれた。

 そしてアメリカバイソン――――通称バッファローもまた、『全てを破壊する』『突き進む』『群れる』の全てに優れる個体を「バッファロー三絶」と呼ぶ。


 言うまでもなく、中国の文化がバッファローの生息する北アメリカ大陸にそのまま伝わったわけではない。

 文人画における三絶は「three perfections」と訳されるが、これとは無関係にアメリカで生まれた概念である「The buffalo’s three perfections」を邦訳する際、訳者うめむらづきろうによって「バッファロー三絶」と訳されてしまったのが定着した形である。

 その「The buffalo’s three perfections」について最も詳細に記された名著『The Buffalo: Greatest Wild History in The States』から、バッファロー三絶について引用しよう。


「…………くわえて、先住民の間では、バッファローについて三つの徳目が知られている。すなわち、『全てを破壊する』『突き進む』『群れる』である。

 ひとつ。凡百なるバッファローはの柱を折るが、生木をへし折ることはない。生木をへし折るものも、ヒグマを一突きに殺すことはない。ヒグマを殺すもののうち、巌を砕き全てを破壊するものはさらにまれである。

 ふたつ。凡百なるバッファローは狼ほどの速さで走るが、ピューマに勝つことはない。ピューマに勝つもののうち、敵を踏み砕きながら突き進むものはさらにまれである。

 みっつ。凡百なるバッファローは番うときオス同士で角を突き合わせ相争い、群れにオスが二頭いることはない。オスをも従えて群れるものはまれである。

 これら全てを満たすものをバッファロー三絶といい、大いなる神秘に最も近いとされる。」


 現在もパウワウで踊りと共に語られる伝承によれば、バッファロー三絶はこれまでに12体現れたという。

 そのほとんどは神話的な存在だが、唯一に存在が残るバッファロー三絶として「」の名が挙げられる。


 マウヮトルーの名が正式に入植者たちの記録に登場したのは1764年である。

 イギリス軍と原住民の戦争が断続的に続く中、1763年8月から10月にかけ、入植者たちの集落・砦のうち計11ヶ所がバッファローの群れの襲撃を受け破壊され、147名が死亡。総損害額は34万ポンドに及んだ。

 この事件の生存者であるサミュエル・グリーンの証言を見てみよう。


「――それは真昼だった。私は見張りとして先住民のやってくる方角に注意を向けながら飼い葉を運んでいた。突如として地平の向こうに黒山が現れ、たちまちにそれらの起こす地響きが私をふらつかせた。先住民でないことは明白だった。それは私にエジプト人の身に降りかかったの災いを思い出させた。その先頭には巨体のバッファローがいて、遥か彼方からでも私に恐怖を呼び起こさせた。私はとっさに目の前につながれていた馬に飛び乗り、地響きから逃げるために振り返らず荒野を逃げた。ようやく地響きから十分に離れたと感じられたころ、振り向いた時には全ての小屋は見る影もなく、我が同胞はらからもまた同じであった。」


 地平を埋め尽くすほどのバッファローの群れという証言は、生物学的常識からはいささか信じがたい。

 しかし、当時の資料には同様の証言が複数回登場する。

 この「進軍」によりもとより脆弱であったイギリス軍の補給線は打撃を受け、直接の被害を受けなかった地域でも弾薬の不足による敗走が相次いだ。


 冬期の自然休戦を経た1764年春、なおも尋常ならざる巨体のオスに先導されたバッファローの群れは植民地を破壊して回っていた。これもまた生態から考えれば異常な事態である。

 弾丸に怯えず、突進速度から大砲の着弾も困難を極め、野生の勘を以てあらゆる罠をも回避するバッファローの群れを前に、栄華を誇った大英帝国といえども為す術なく敗北を喫するかに思えた。

 状況の変化したのは4月23日。

 イギリス軍人ウィリアム・ジョンソンの下に、ある報せがもたらされた。


「交戦した先住民複数が、バッファローについて証言した」


 ジョンソンは直ちに聞き取りを行い、その中でイギリス軍においては『悪魔デーモン』と渾名されていた先導がマウヮトルーと呼ばれていることが判明する。

 加えて彼らは踊りの中で『シャーマンと大いなる神秘との繋がりがマウヮトルーを走らせている』と歌い、味方を鼓舞していた。

 この証言を受け、ジョンソンは「霊感に導かれるように」シャーマンの撃破を目標とした作戦行動を開始する。

 バッファローの襲撃により下がりきった軍の士気は呼応するように高揚し、5月11日から5月19日にかけて現在のペンシルバニア州周辺で行われた大規模攻勢により、先住民の集団3つを制圧し、シャーマン7名が処刑された。

 入植者たちに「バッファロー三絶」の概念がもたらされたのはこの時であるとされている。

 ジョンソンはイギリス人植民地全体へ向けて「バッファローへの偉大なる勝利」を宣言し、バッファローによる被害は1764年6月以降大幅に減少したことが記録されている。


 とはいえジョンソンらはマウヮトルー自体に勝利したわけではなく、マウヮトルーと思われる個体による被害はなおも散発的に報告された。

 とはいえ、そこにイギリス人植民地の全てを破壊し突き進むかに思えたかつての苛烈さはなく、この時代に北アメリカ大陸で流されたあまりに多くの血の一滴として、次第にその恐怖は入植者たちの歴史から薄れていった。

 それでも、マウヮトルーはパウワウの踊りに語り継がれる英雄であり、残り11体のバッファロー三絶たちもまた、かつてこの大陸を蹂躙しながらも、英雄として語られるべき偉大な存在であったことは疑いようがない。

 現在、バッファローは乱獲により当時とは比べるべくもないほどに減少しており、あるいは13体目のバッファロー三絶が生まれうる環境にはないのかもしれない。

 だが――私はいつの日か自由の女神を、エンパイア・ステートビルを、エシュロンを、国連本部を、ホワイトハウスをも破壊しながら突き進むバッファローの群れを夢見ずにはいられないのである。

 ああ永遠なれ、バッファロー三絶。

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