死んだら全てを破壊するバッファローになる世界
砂塔ろうか
死んだら全てを破壊するバッファローになる世界
その世界には死がなかった。
代わりに、全てを破壊するバッファローがあった。
聖王国に召喚された勇者、ウシジマは巨人と見紛うほどの体躯を縮こまらせながらそれを見ていた。
だが、そんな光景もこの世界では日常なのだろう。王国の姫聖女はいささかも声を震わせず、淡々と告げた。
「勇者様、貴方様をお呼びしたのは他でもありません。あのバッファローを——全てを破壊しながら突き進むことしかできぬ、哀れな死者たちを天の国へと送ってやってほしいのです」
土煙の向こうには幾千幾万もの獰猛な存在がある。それだけを感じ取ることができた。
姫聖女が言うには、全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れはある地点を中心として円形範囲内をぐるぐると周回しているらしい。
それゆえ人類の生存圏とバッファロー爆裂一切壊滅圏(バッファローが周回している範囲をそう呼ぶ)は辛うじて共存ができている。
だが。
「あと1年もすれば、王国領土はすべてバッファロー爆裂一切壊滅圏に呑まれることでしょう。この大地を捨て天の方舟に居住の場を移す計画もありますが、このままでは到底間に合いません」
姫聖女の声はあくまで淡々としていた。絶望に心を揺さぶられ尽くして、最早何も感じなくなってしまったのかもしれない。
それでも、続く言葉には僅かに感情の色が残っていた。
「ですから、お願いします勇者様。……あのバッファローを……半径1000キロメートルの全てを破壊してもなお止まらぬ彼らを止まらせてやってください」
むりだ。
ウシジマはすっかり怯え切っていた。
大きな身体にちっぽけな心。それがウシジマを象徴する言葉だ。
けれど、いや、だからこそ。
「わかったよ。俺、がんばるよ」
ウシジマは断ることができなかった。
◇
姫聖女が言うには、勇者は「生者であると同時に死者でもある」らしい。
言われてみてウシジマははっとした。彼は思い出したのだ。自分が死んだことを。その瞬間の記憶を。
車のヘッドライトが迫っていた。次の瞬間。
時間の流れはゆっくりになって、浮遊感。
ゴッ、と鈍い音が聞こえて何も感じなくなった。
「この世界では、ヒトは死ぬと全てを破壊しながら突き進むバッファローになります」
何度聞いてもわけがわからない。
「なので、生きながらにして一度死んでいる勇者は全てを破壊しながら突き進むバッファローへの変身能力を有します」
「そうなんだ」
頷くほかなかった。
「ですが、ただ変身するだけでは歴代勇者と同じく、あのバッファローの群れに取り込まれることでしょう」
「えっ俺の前にもいたの?」
「ええ。最初の勇者が召喚されたのは100年前。当時はまだ、バッファロー爆裂一切壊滅圏も小さいもので、ほんの半径5キロ程度でした」
「たった30年で4万倍に!?」
「ええそうです。10年前、聖王国は勇者を万人単位で召喚し、全てを破壊するバッファロー同士を衝突させる計画を実施。失敗しました。結果、バッファロー爆裂一切壊滅圏は爆発的に増大しました。バッファロー爆裂一切壊滅圏が発する【バッファロー有引力】によってバッファロー同士の衝突は叶わず、約8万の勇者バッファローはバッファロー爆裂一切壊滅圏の流れに合流してしまったのです」
「そっか……」
なら、勇者をいくら呼んだところで無意味なんじゃないか?
そんな言葉が喉から出かかる。
しかしまだ希望は残されていた。
「以来、王国はバッファロー問題に物理的に対処するのではなく魔法的に解決する方法をとることにし——そして1年前、ついに見つけたのです。莫大なバッファロー爆裂一切壊滅圏をバシュッと消し去る方法を」
「バシュッと」
「バッファロー爆裂一切壊滅圏の中心——そこにいた全ての元凶を、全てを破壊するバッファローの力で破壊するのです」
「そこにいた? じゃあ今はどこに」
「ここに」
「?」
「今、貴方の隣に」
ぐさり。
ウシジマは背後から何かに刺された。背後の何者かはウシジマの屈強な肉体を刺し貫いたそれを引き抜く。
傷口が灼けたように熱い。
血が止まらない。
感覚的にわかる。壊れてはいけないところが壊れた。
ウシジマの巨躯がくずおれる。
姫聖女はウシジマの背後にいた何者かに一礼すると、倒れたウシジマのもとに歩み寄った。
「騙すような真似をしてごめんなさい。でも、私は貴方に殺されたかった」
「どう、して……」
「私の知る限り、最も勇者の名を得るに相応しいと思った人だったから」
温度を失い、やがてバッファローになるであろうウシジマの手を姫聖女は取る。
「貴方はずっと臆病だったけれど、それでも最期の瞬間。貴方は幼い子供を救った。自らの命と引き換えにして……」
ああそうだ。ウシジマは今はっきりと思い出した。静かな雨の日。傘を差した子供が横断歩道の上で小さな水溜りの上に立ってちゃぷちゃぷと音を立てて遊んでいた。
子供はその遊びに夢中になっていて、信号が変わったのに気付かなかったのだろう。そこに、車が突っ込んできて——。
「貴方こそ真の勇者。臆病な心に一欠片の勇気を持つ貴方になら、私は殺されてもいい」
「君は……なん、で」
「私は、姫聖女としていにしえより聖王国のために献身してきました。西に猛虎が現れればそれを討ち、東に病める龍あればそれを癒し、北に大陸ほどの亀が現れればそれを調伏し、南に不死の鳥が現れればそれを喰らい——そんな私は英雄視されていました。ですがずっと、不満だったのです。私は、そんなものじゃない。もっと
「だから、死者をバッファローに……?」
姫聖女は静かに頷いた。
「同時に私は私を呪いました。私が勇者と認める者のみが私を殺せる——と。楽しかったなあ。みんなにバケモノとして見られるのは。私を女子供だと下に見てる刺客がだんだんと減ってきて、刺客さえも私に怯えるようになって、そしてついには刺客を差し向けることすら諦めて。ふふっ」
ウシジマが聞いた姫聖女の言葉の中で一番感情が滲み出ていた。その喜悦が伝わってくる。
でも。と声のトーンを一段落として姫聖女は言った。
「悪者をするのにも飽きちゃいました。だから、異世界の人間から適当に見繕って『勇者』候補を召喚することにしたんです……ああ、そろそろバッファローになりそうですね」
ウシジマは
「では端的に、これからのことをお話ししましょう。貴方はバッファローになると、バッファロー有引力に従い、バッファロー爆裂一切壊滅圏の流れに合流しようとします。そのルート上に今、私はいます。そして、私を殺したあなたは————おや」
「ぐ……っ」
ウシジマは、傷口から血をますます零しながら己の巨躯を持ち上げ、立ち上がろうとする。
「なにを」
「動く……俺が死んでも、君を殺さないために」
そんな行為に意味がないことは、誰の目にも明らかだった。
むしろ、そんなことをすれば彼はこの世界の人々の憎しみの対象となるだろう。この機会を逃せば、もうこの世界には全てを破壊し突き進むバッファローの群れと一人の少女以外に何も残らなくなってしまうかもしれないのだから。
だというのに、何故そんなことをするのか。何もしなくても英雄になれるのに。
「……俺は何も知らないけど……でも、……誰も、君を一人の人間として救おうとする人がいなかった…………と思う」
姫聖女はその悠久に近い生の中で民を救い、世界に災いをもたらした。
そんな彼女は数多の目に英雄視され、数多の目に憎悪と恐怖の対象として認識されてきた。それほどまでに圧倒的な存在だったのならば、「ただの人間」として認識される機会に恵まれなかったのではないか——。
「今さら、私に、そんな風に扱われる資格があると? そんなことをしたところで、この世界は何も変わらない! ただバッファローが一頭増えるだけ! なのに、どうして」
ウシジマは初めて笑った。
その時、はじめて姫聖女の本当の姿が見えた気がした。
「俺は……意味があると、そう信じて、い——ぅ」
ウシジマは倒れた。
ほんの数歩。横に動いただけだ。
姫聖女が同じようにほんの数歩、横に動けばそれだけで彼の行動は無意味なものになる。
「………………なんで、そんな満足げな顔ができるの」
ウシジマの巨躯が膨れ上がる。
バッファロー化だ。
筋骨隆々とした身体に赤茶けた毛が生え、全身の骨がメキメキと音を立てて変形する。
やがて、そこには一匹の巨大な雄バッファローが寝ていた。
バッファローはほどなくして起き上がりバッファロー有引力に従って走り出すだろう。そうして、この世界が終わるまで未来永劫走り続けるだろう。
勇者の末路として、それはあまりにも————。
「馬鹿な人。ほら、これでもう、貴方の頑張りは無駄になっちゃった」
姫聖女はバッファローの前に立つ。
かつて勇者だったバッファローが目覚める。
衝突。
姫聖女の肉体はそのあらゆる機能を破壊されて宙に舞う。
同時、バッファロー爆裂一切壊滅圏とそこに合流せんとするバッファローはほんの一瞬。光に包まれ——。
あとには、何も残らない。
その場に居合わせた騎士——姫聖女に従い、最後の勇者を刺してバッファローにした男は後にこう語る。
「姫聖女は最期の瞬間、最後の勇者と同じ顔をしていた。彼が、あの災禍の化身をヒトに戻したのだ」
(了)
死んだら全てを破壊するバッファローになる世界 砂塔ろうか @musmusbi
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