すべてを破壊しながら突き進むバッファローの群れ

宮古遠

すべてを破壊しながら突き進むバッファローの群れ

 

10月10日

バッファローの群れがくるから逃げろ、と記憶の中で親父が云う。それが親父をみた最後だ。親父は祖母を助けようと家へ戻って群れに呑み込まれて死んだ。突き進むバッファローどもは親父の身体を吹き飛ばし、踏み潰し、見るも無惨な奇形へと変えた。祖母もみつかることはなかった。もう何度みたかわからない。たぶん明日もみるだろう。



11月3日

逃げおおせたぼくは、いま、ひたすら歩いている。或る街で手に入れたショッピングカートを押しながら、歩きながら、生き延びている。ショッピングカートの中には水と、すこしの食料と、双眼鏡と、防水シートと、ポリ袋と、毛布と、ラジオと、猟銃がある。ラジオからもう声はしない。放送をするものがいないから。猟銃はバッファローに立ち向かうためでなく、それ以外の動物か、自分を撃ち抜くためのものだ。いつか耐えられなくなったら使うだろうと思っていたが、思ったわりには気配がない。ずいぶん寒くなってきたが、防寒具がぼくを暖めてくれる。身体としては生きたいらしい。疲弊はあるが。けれども思うのは、生き延びてよかったのか、ということ。うなされるだけなのに。生きているといえるのか。


その日、バッファローの群れがあらゆるものを破壊した。突如として発生したそれは決して止まることがなかった。生き物であるはずだが、いまとなってはその群れが生きているのか死んでいるのか、生き物でないなにかなのか、誰にも確かめようがない。まだTVが機能していたとき、ある人が画面の向こうで「天罰だ」と云った。が、天罰であるならばもっと、この世にあるなにかにとって都合がよいものになる気がする。これはそうではない。破壊のみで理由はない。勝利も敗北もない。滅され、それで終わる。


水牛は群れのようでありながら、ひとつの暗闇、絶望、恐怖、そのものの姿をとっていた。訪れを示す轟音が人々を、動物を畏怖させた。海を渡ることはできないだろうと思われていたがそんなことはなく、彼らは山を越え、海を越え、破壊と阻止せんとする兵器どもの連鎖を超え、ただどこまでも、どこまでも、無に帰すためにやってきた。この世の凡てを壊すために。人間も、彼ら以外の動物も、植物もなにもかも、彼らが突き進んだ後にはなにも残らない。ただ、ただ、破壊だけが、消失がそこにはあった。


今日、ぼくはここで、あきらめた人たちの亡骸をみた。子供を連れた家族だった。たべものはない。生きるために逃げ続けるのはどこかで必ず終わりがくる。来なくとも終わらせねばならなくなる。それが目の前の光景である。自分はどうだろう。やはりいつかこうするだろうか。それともバッファローの群れに自分の生をゆだねるのか。


明日は東の土地へゆく。

たべものがあるとよいのだが。



11月8日

轟音がした。

生きているかわからない。



6月7日

生きている。

生き延びてしまった。

どうしてかわからないが、ぼくはまだここにいる。


いま世界は、もう、どこにあるかわからない。まだ世界はあるのだろうか。ここにはなにかがあるのだろうか。ぼくにはもうわからない。だのに生きている。困っている。しばらくなにも食べていない。水はまだある。いつかはなくなる。ぼくが生きたのは、いきのびたかったからじゃない。死んだもののため、親父のぶんも生きるだとかそういうきもちがあるわけでもない。破壊されたものを嬉しいとか、悲しいとか、心理感情の伴いがあり、反骨で生きているわけでもない。ただ生きている。生き延びてしまった。ただ。


ぼくには目的も意義もない。彼らを恨み、それらを滅したいと思うわけでもない。終わるときは終わるし、生き延びるときは生き延びる。そうあるものでしかないと感じる。が、はたして、生き延びるのがぼくでよかったのか。ぼくなんかよりも生きたかったものはたくさんいるはずなのに、どうしてぼくみたいなものがここに居るのだろう。猟銃を手に取る。そういう日にしてみようと思う。


バッファローは変わらず、あらゆるものを壊していた。壊すものがもうなさそうだが、そも、壊すとは、どこまでのことを云うのだろう。バッファローたちはぼくらにとっての世界をたしかに壊したが、それらが壊れたところで破壊とは云えないのかもしれない。壊すとはなんだろう。意味を失うことだろうか。意味とはなんだろう。意味などそもそもあるのだろうか。わからない。わからないが、いまは受け入れるしかない。破壊を前提に生きるしかない。生きるしかなかった。だから生き延びてしまった。


丘のうえで、猟銃を、自分のあごにあててみる。みたが、わからない。これで引き金を引けば、頭が吹っ飛んでおしまいになる。が、おしまいになったところでどうなのだろうと思えてき、ここで止まる。などとここに書き連ねているのは動作確認的なもので、実際にはそうならなかった、というわけでもない。いつかはそうなる。ぼくは消える。消え方を選ぶ余地はまだある。


ぼくが消えたあと、この日記を読む人がいるだろうか。いるならば。この男は諦めてこうなったというより受け入れてこうしたと思ってほしい。思ってほしいだけで、どう取るかはそっちの自由。読まれるはずのない状態で誰かに呼びかけることほど小恥ずかしいものはない。いっそ消そうと思ったが、どうせ読まれないのでこのままにしておこうと思う。都合良く残るわけもないのだし。残っても意味などないのだし。これは、ただの日記。整理をするためだけのもの。読むのはぼくしかいない。生きている間のぼくしか。


轟音。


今日はやめる。

明日はどうだ。


南へゆく。

 

 

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すべてを破壊しながら突き進むバッファローの群れ 宮古遠 @miyako_oti

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