一層一掃

長尾たぐい

Streptococcus mutans

 彼らには三分以内にやらなければならないことがあった。その準備はとうに済んでいる。土地を削り、仲間の屍を積み上げることで堅牢な城を築いてきた。そこには先ほど天から降り注いだ水分と養分が十分にため込まれている。これを利用して彼ら自身にとって最もよい環境を作り上げるのだ。すでにその試みは幾度も挫折している。彼らは数こそ無量大数に近しいが、自身らの挑戦がいつ始まり、これまでの歴代の蹉跌がどのようなものであったかを知るものはいない。幾星霜にもわたる時の中で、数多の死と生と世代交代がこの地で繰り返されてきた。世界は厳しい。天は恵みをもたらす一方で、いとも簡単に彼らの作り上げた城を、そして彼ら自身を葬り去ることができる力を持っていた。それに対抗する術を彼らは持たなかった。

 それは彼ら以外の勢力も同じことだった。彼らとは全く異なる環境――例えるなら砂漠と湿地帯ほどの違いを持つような――を居とする種族もそうだった。彼らとその種族はこの地を自分たちの楽園とするため、大いに競い合った。獰猛なある種の生き物とは異なり、この地に住まうものたちは直接相手を打ちのめしなどしない。己が楽園は他にとっての地獄。ただそれだけのこと。

 こうして敵対する相手あらば、ひらりひらりと身を翻す日和見主義者あり。当然この地にもそれらはいる。天の恵みに浴し、嵐に翻弄されながら、彼らかと彼らの敵対種族のどちらかの、あるいはどちらでもない場所で生存を試みていた。彼らと敵対種族の関係がそうであるように、日和見たちと彼らの間に直接的な干渉はない。ただ、彼らの側から状況を概観すると、近々の災いはどれも規模が小さく、おかげで彼らは日和見たちが築き上げた平坦な城を足掛かりに勢力圏を拡大していた。すべきことは滞りなく遂行され、三分の十倍の時間を大幅に超えたころ、彼らは安寧の地の実現を目前としていた。いける。

 その確信は徹底的に打ち砕かれた。

 彼らの築き上げた城は破壊の限りを尽くされた。彼らのほとんどは知る由もなかったが、そこまでは今まで起きたことのある難事が繰り返されたにすぎなかった。だが、今、天がもたらした惨禍はこれまでで一番精密で、網羅的で、徹底されていた。この地に住まうものの全てが終わりを予感した。


「はい、お疲れさまでした。今回、予防歯科に初めて来院されたとのことで……やはり歯垢が層になっていましたね。虫歯になりかけのところがいくつかあるので一応レントゲン撮りましょう。あと、歯周病のサインである歯肉のポケット。これも深かったです」

「今まで、歯磨きはちゃんとしているつもりだったんですが……最近忙しくてテキトーになってたのかな」

「それはあるかもしれませんが、お年を考えればそこまで深刻な状態ではありません。日頃の歯磨きの成果だと思います。これからデンタルフロスなどを追加して、しっかり健康な歯を守っていきましょう。継続が大事です。口の中から細菌がなくなることはありませんから」


 彼らの受難は続く。それどころかこれより一層、激しさを増していくだろう。ただし我々は知っている。彼らが真の意味で一掃されることはないということを。彼らの営みは続く。まさに今も、八十億の異なる歴史を刻みつづけている。


〈了〉

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