曖昧な心残り
かなぶん
曖昧な心残り
彼女には三分以内にやらなければならないことがあった――のだが。
「だから! とても大切なことだったんです!……たぶん」
大きく身振り手振りを交えながら熱弁していたものの、最後は心許なく両手を下げ、頭を俯かせる。
そんな動きと語りを聞いていた三人は、それぞれに顔を見合わせた。
「……とりあえず、状況を整理しましょうか」
魔女はそう言うと、手鏡をテーブルの上に立てた。
併せ、上がった頭が鏡と向き合い、驚きに両手を挙げる。
「な、なんなの、この姿は!!? って、この手!?」
「ちゃんと見えているようで何より。……ボタンだったとしても」
鏡を掴んだ自分の手がぬいぐるみの形をしていることに気づき、震える姿へ、魔女は小さくため息をついた。
事の起こりは今から十分前。
この館の主である少年が「できた!」と言う声につられ、居候している魔女と猫が、居間として使っている一室に集まった。
ソファに座る少年へ、猫が恐る恐る尋ねる。
「暫定ご主人……
「別に食べ物じゃないんだから、安心しなさい」
猫の頭を撫でた魔女は、少年が手にしたモノを見て眉を顰めた。
「まじない人形?」
「えっ!? 違うよ? ただの人形だけど……」
魔女の言葉にショックを受けた様子の少年は、完成したばかりの「子ども」を手の中で揉み揉み。
粗い目の布地の肌に、左右で違うボタンの瞳。毛糸の髪はカラフルで、糸で象られた口はにっこり笑っている。
そんな人形をテーブルに置き、頭をひと撫でした少年はぽつりと言う。
「可愛くできたと思うんだけど」
「あー……うん、可愛いとは思うよ。ごめんね、変なこと言って」
隣に座った魔女は慌てて謝罪した。
が、しょげた少年の元気を取り戻すにはいたらず。
同い年に見えても遥かに年上である少年へ、これ以上何を言えば良いのかわからなかった魔女は、答えを求めるように人形を見、
「うぅん……」
「……え?」
馴染みのない声と共に、頭へ手を当て首を振り出した姿に小さく声をあげた。
そして時は現在。
動かない口ながら声を発した人形の語りにより、わかったことは次の通り。
人間の女であること。
声音から、子どもより上の年齢であること。
目が覚めたら人形だった、という事実については自分の夢ではないかと思っているようだが、目覚める前に意識を失った点には憶えがあるということ。
ただし、何故意識を失ったかについては不明であり、その直前まで何かをしなければならないと強く思っていたことだけは明確に憶えている。
「何をしなければいけなかったかは、全く憶えていないのにね」
魔女がそう言えば、テーブルの上でへたり座る人形は、顔を覆って泣く素振り。
「し、仕方がないでしょ! こんな経験ないんだもの……」
敬語から口調が砕けたのは、巨人に見えていた目の前の子どもたちが、本当は人間である自分と同じサイズと知ったためか。
「それ以前に、どこの誰かもわからにゃいにょも、どうしたもにょかにゃあ」
「ううっ」
追い打ちをかけるように、テーブルの端を両手に掴み、顔の半分を覗かせた猫が呑気に感想を述べる。
「目覚める前に意識をなくして、この子の中に」
少なすぎる手がかりに、この騒ぎで人形の評価から立ち直っていた少年が考え、はっと気づいて顔をあげた。
「……もしかしてこの人」
「何かわかったの!?」
「もう生きてないんじゃ?」
「そんなっ!?」
「幽霊ってヤツかにゃ?」
「うう……言われてみれば確かに。あんな必死に何かしようと思うことなんて、きっと生死に関わることだったのかも。それができないから死んでしまったって考えたら――ああっ! なんで死んだのよ、私! というか誰なのよ、私!」
「さっきまで夢だって言ってたにょに、死んでるにょは受け入れるにょかにゃ?」
いくらか大袈裟にも思える人形の悲嘆に、猫が冷静な疑問を口にする。
しかしその声は人形に届かず、このやり取りを眺めるだけだった魔女が手の平を打ち鳴らした。
「不確定なことが多すぎるんだから、不用意に思い込まないで。生きていた場合、それに引きずられて死んでしまうかもしれないんだから」
「そ、そうなの?」
「そうかもしれにゃい。鰯の頭も信心から、って言うし」
「……よく知ってるわね、そんなこと」
「えっへん!」
人形が呆気に取られる中、褒め言葉だと解釈して胸を張る猫。
――その裏で。
「
こっそり魔女を呼んだ少年は整った眉を寄せて問う。
「自分で言っといてなんだけど、あの人って本当に幽霊なの?」
「んー……正直なところ、わからない。そもそも”幽霊”ってモノの捉え方は、魔女たちの中でもコレって定義づけされてないから」
「そうなんだ」
「うん。ただ……
「何度か試してはいるんだけどね」
少年は元からこの館に在る人形か、自身が作成した人形に限り、身体を操り状態を探ることのできる能力があった。しかし、目の前の人形に限っては何かが邪魔をしているらしく、少年の能力が入り込む余地がない。
「定義は曖昧だけど確実に言えるのは、”幽霊”って呼ばれるモノにはエネルギーがあるってことね。そして、あの人形を満たしているのは、善悪のどちらにも傾いていない、純然たる力。あの中身が本当に元人間の幽霊なら、彼女はその……声から想定する年齢にしては、私よりも……す、素直な人なんだと思う」
「…………」
それとなく魔女の視線が人形から逸らされ、少年が何とも言えない顔になる。
極力言葉を選んだ――そう捉えるのが妥当な反応。
つまるところ、ここにいる三人よりもあの人形の中にいるモノは、精神的に純粋なのだろう。良い意味でも、悪い意味でも。
「せめて、何か一つでも手がかりがあれば」
話を変えるように魔女がそう言ったなら、ふと思い出したように猫が問う。
「魔女様魔女様、ミミも聞きたいことがあるにょですが、コレから
「……紐?」
猫が宙を指す動作に魔女が少年を見る。
意味するところに気づいた少年はすぐに首を振り、一度猫が指す宙を見ては、再び魔女と顔を見合わせた。
* * *
宙に浮かぶザラついた映像。
その中では一つのニュースが流れていた。
怪しい療養施設の院長が詐欺で捕まった。そこでの施術中に一時意識不明になった患者については、今では回復している――。
その内容だけを見た魔女は、浮かぶ映像を杖の一振りで消し去ると、座っていたソファの背もたれに背中をくっつけた。
「……災難っちゃ災難だけど、これで良かったとも言えるわね。今回の件を経て、たぶんきっと、あの純粋さは失われてしまっただろうから」
「二度とこの子や、他の子にうっかり入ることはない……んだよね?」
隣で例の人形を撫でる少年に、魔女は小さく頷いた。
「ええ、それについては断言できるわ。彼女の場合、ただ純粋に、助けたいって気持ちだけであんなことになってしまったわけだから」
人形本来の動かない姿を視界の端に入れつつ、魔女の遠い目が映すのは、過去に誰かが見た光景。
最も信頼している院長が怪しいと決めつけられる中、若い娘はその治療がどれだけ素晴らしく、真実かを知らしめるため、彼女自身はまだ一度も成功したことがない”施術”に挑戦した。
――幽体離脱。
それを行うことで、自分を含め患者の悩みを深く知り、解決に導いてきた院長。
無謀にも弟子を志願した彼女を受け入れてくれた、唯一の理解者。
今こそ報いるべきだと、渋る相手に「三分だけでいいですから」と言って。
結果、彼女は意識を失った。
次の日、意識を取り戻した娘は、知り得たことがあるのだと語ろうとするのだが、それが何か思い出せず、その前に慕ってきた院長の本当の姿を、数々の見過ごせない証拠と共に報されたなら、絶望する。
絶望して――確かに成功していた幽体離脱も、その間の思い出せない出来事も、何もかもを夢と片付け、悪い記憶として奥底にしまい込んだ。
魔女の思惑通りに。
「今回はミミに助けられたわね。じゃなかったら彼女、いつまでここにいたことか」
「みー」
膝上の猫を撫でれば、気持ちよさそうにしつつも不思議そうに首を傾げる。
「幽体と肉体を繋ぐ、文字通りの命綱。私たちには全然見えなかったものね」
人形から伸びた、猫にしか見えなかった紐。それを頼りにできたからこそ、意識のない娘がいる病院に辿り着けたのだ。
「でも……悪い人ではなさそうだったけど」
少年の言葉に魔女は頷いた。
「ええ。それどころか、善人に分類されるでしょうね」
思い起こされるのは、病院――自分の身体が近づいたことで取り戻されていく記憶から、彼女が申し出た提案。
――ね、子どもだけだと何かと大変でしょう? これでも大人なんだから、身体が元に戻ったら助けになるよ。まあ、できることがあれば、だけど。
純粋な、含みのない、本当に無垢な申し出。
だが、魔女はこれを聞き入れず、身体を持たない彼女の記憶を消した。
「だからこそ、私たちを憶えていられたら困るの。だって彼女は……本当にただの善人で、ただの……人間だから」
その気になれば、人形から彼女を消し去れたこの館の主と。
その気になれば、人形ごと彼女を切り裂けた猫と。
その気になれば、彼女を単なる力として浪費できた魔女と。
共生するのに、ここまでそぐわない存在はないだろう。
それぞれに招く災いがあるなら尚のこと。
魔女の考えを知る少年はそれ以上言わず、「そっか」と頷いた。
負けじと「にゃあ」と鳴いた猫は、二人の間に移動すると、捻じ込むように丸まって眠りにつく。
曖昧な心残り かなぶん @kana_bunbun
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