侯爵令嬢の向かう先

国城 花

侯爵令嬢の向かう先


侯爵令嬢には三分以内にやらなければならないことがあった。


そのために、走っているとは言えないギリギリの速さで廊下を優雅に歩いている。

少々重いスカートを軽やかに揺らし、踵の高いヒールで静かに歩く。

令嬢らしく、すれ違う生徒たちに笑顔を振りまくことも忘れない。


「そんなにお急ぎで、どうされたのですか?」


すらりと長い脚でスタスタと後ろをついてくる黒髪の執事は、不思議そうに尋ねる。


「ちょっと、やらなければならないことがあるのよ」

「やらなければならないこととは?」

「当ててごらんなさいな」


にこりと微笑む令嬢に、執事はふむと考える。


「次の授業の予習でしょうか」

「私に必要だと思うの?」

「学年一位のお嬢様には必要ないですね。では、ご令嬢仲間からの情報収集でしょうか」

「失礼ね。あれは友人との楽しい会話よ。そして残念ながら、違うわ」

「では、化粧室で身だしなみを整えることでしょうか」

「違うわ。もしかして、どこかおかしいかしら」

「髪に花びらがついておりました」


そう言って、令嬢の長く美しい金髪からさっと花びらを取る。


「さっき外にいたから、その時についたのね」


淡く色づいた花びらを、執事はハンカチに包んで胸元にしまう。


速足で歩いていた侯爵令嬢がピタリと足を止めると、その視線の先には人が集まっている。

人だかりの中心では、赤髪の男子生徒が銀髪の女子生徒を睨みつけている。


「--公爵令嬢!貴様との婚約をここに破棄する!」


赤髪の男子生徒の言葉を聞いて、ざわざわと周りの生徒たちに動揺が広がる。

赤髪の男子生徒はやり切ったとばかりに小鼻を膨らませ、銀髪の女子生徒は一瞬だけ眉を寄せる。


「第三王子があのような人目のある場所で公爵令嬢に対して婚約破棄を宣言ですか。馬鹿なんですかね」

「あの王子は元々馬鹿よ」

「そうでした」


この国の後継者は優秀な第一王子なので国の行く末は安泰だろうが、しばらくは王家の醜聞が流れそうである。


「あぁ、いけない。あんなことを気にかけている場合ではないのよ」

「あれを見に来たのではないのですか?」

「違うわよ」


再び速足で歩き始めた侯爵令嬢は、王子の婚約破棄を「あんなこと」と片付けて背を向ける。

執事は騒動の顛末が気になって後ろ髪を引かれながらも、お嬢様について行く。


「鐘が鳴るまでには終わらせなければならないのよ」

「どこかの国の幸薄令嬢みたいなことを言いますね」

「私の言動が幸が薄いとでも言いたいの?」

「いいえ。その令嬢は結果的に王子に嫁ぐので、最終的には幸多めです」

「ギリギリ許すわ」

「ありがとうございます」


侯爵令嬢は人気のない廊下にポツンと立っている男性を見て足を止めると、安心したように胸をおさえる。


「あぁ、良かった。間に合いそうだわ」


令嬢は美しい金髪を揺らしながら、頬を薄っすらと赤く染めて男性に駆け寄る。

まるで恋人に駆け寄るかのような軽やかな足取りに、男性は令嬢の存在に気付かない。


何故なら、足音がしないから。


ドサリと、男性の体が床に倒れる。

黒髪の執事は慣れたように男性に近付き、脈を確かめる。


「お見事です」


侯爵令嬢はにこりと微笑み、手に持っているものを再びスカートに忍ばせる。


「当然でしょう。私はあの家の娘なのだから」

「それならば、時間ギリギリに依頼を思い出さないでください。あまりにギリギリ過ぎて、もう仕事を終えたのだと思っていましたよ」

「…ちょっと、いろいろあったのよ」


気まずそうに、令嬢は視線を逸らす。


「依頼をギリギリまで忘れるほど毒草畑にいらっしゃることを『ちょっといろいろあった』と仰るのであれば、旦那様に告げ口しますよ」

「…次からは気をつけるわ」

「是非そうしてください」


そう言って執事は、ポケットから一通の封筒を取り出す。

そして、宛名のない真っ白な封筒を侯爵令嬢に差し出す。

令嬢はそれを受け取り、にこりと微笑む。


「また、らなければならないわ」


遠くで、鐘が鳴った。


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