電撃執筆タイムアタック

弧野崎きつね

電撃執筆タイムアタック

 私には三分以内にやらなければならないことがあった。

 小説の投稿である。


 私は、文筆を生業にしようと目論む、弱冠二十二歳の新卒であった。

 運よく就職はできたものの、与えられた仕事は文筆にえん所縁ゆかりもなく、時間を差し出して、生きる糧を得るだけのつまらない毎日が始まった。

 このまま老いてゆくのは忍びない。何者かになろうと決意し、手始めに、小説投稿サイトに登録したのだ。

 それから早十余年。作品一覧は、今も空白のままである。


 仕事は変わった。

 かつて与えられた仕事は部下に与えるものとなり、時間の代わりに成果を差し出しすようになった。始業時間や終業時間に縛られない自由を得たのだ。

 そして気づいた。私の人生に、仕事以外、何も残っていないことに。突然時間を与えられても、何をしたらよいか分からないのだ。

 楽しく遊んでいたはずの就職する前のことが、靄がかかったように不確かで、海に隔たれた外国のように、そこへ訪れるのが面倒に感じる。朧気ながら覚えているのは、小説が好きだったということだけだ。ずっと馬車馬のように働いてきたせいかもしれない。愛してやまなかったはずの小説を、もう十余年読んでいない。

 あらゆる余暇を注ぎ込んで、与えられた仕事をこなそうと努力したからだ。今まで関わりのなかった仕事が怖かったのだ。かといって辞職して行く宛もなかった。仕事に慣れてからは、築き上げた地位を手放すのが怖かった。

 今いる場所を去らねばならなくなったら、どこへ行けばよいか分からない。幼い頃から、ずっとそうだった気がする。だから本が好きだったのだ。どこへも行かずに、どこへでも行けたから。そして、私も、私の好きな人を、私の好きな場所に連れていきたいと思うようになったのだ。

 芽が出るように、あるいは根を伸ばすように、遠く隔たった過去の記憶が芋づる式に繋がっていく。それで、小説投稿サイトに登録していたことも思い出した。そのIDとパスワードも。試しにログインを試みると、できた。海の向こうの青二才は、当然の顔をして地続きだった。

 十余年ぶりの夢の入口は、真っ白のままだった。そして、私が訪れるのを待っていたかのように、お題に沿った八百字以上の短編を募集するキャンペーンが始まった。締め切りは四日後の午前十一時五十九分。参加することに決めた。


 それがのことである。

 現在は、午前十一時五十五分三十八秒。締め切りまで、約三分。

 仕事上のトラブルがあって、それ以外のすべてを後回しにしたせいで忘れていた。せっかく再開した夢の続きをこんなことでは終わらせない。機会を得ては逃すのを繰り返せば、いつの日か機会を得ることそのものが億劫になってしまう。決意したならきちんと挑戦せねばならない。そして、大きな傷を負わないように失敗するのだ。また立ち上がるために。

 それはつまり、書くということだ。文字の羅列を超えた意味のある文章を。八百字に満たなくても投稿する意義のある文章を。

 しかし、何もないところから、何かを生むことはできない。今あるのは、当時のまま掘り起こした小説家を目指す青年の情熱、夢と希望。社会人としての技能と経験。そして、三分を切った残り時間である。

 これらを使ってどうするか考えるより先に、すべてを結びつける稲妻のようなインスピレーションが降り立った。書くべき内容を正確に認識するより速く、私の両手がキーボードを叩き始める。流れるように文章を生み出す火事場の馬鹿力。ゾーンに入ったように、書くべき内容、その表現方法、すべてが瞬時に決まっていく。澱みなく文章を紡ぎながら、遅れて追いついた認識が書かれたものを並行して確認していく。後から校正する時間は無いが、間違いなどないし、すべて時間内に完了すると分かっていた。

 実際に書き終わったのは、午前十一時二十八分三十七秒。八百字には満たなかったが、それで良かった。私は、また立ち上がるために、痛くないように転ぶのだ。清々しい気持ちで、投稿ボタンを押した。午前十一時二十八分五十三秒。マイページに戻って確認しても、確かに投稿されている。

 私は、少しの間、背もたれに身を預け、深呼吸をした。そして用意していたカップラーメンを食べ、仕事に戻ろうとしたところで、小説投稿サイトから通知が来ていることに気付いた。私の書いた小説に、コメントが来ているらしい。信じられなかった。投稿してから1時間と経っていないし、キャンペーンの要件も満たしていない。

 はやる気持ちのまま見に行くと、そこにあったのは苦言であった。知らず弾んでいた気持ちが萎んだ。そして、良いことが書かれていると根拠なく信じた盲目さを恥じた。

 それは、キャンペーンに参加していながら八百字に満たないこと、投稿ジャンルが間違っているように感じること、そもそも内容が面白くないことを批判していた。

 一見して、すべて正しいように見えたが、そうではない。彼は、私の作品の表層しか見ていないのに、深くまで見通した気になっているのだ。ピカソのキュビズムを見て、絵が下手だと言うようなものだ。私は、すぐに返信した。やんわりと批判が妥当していないことを告げ、正しく読むためのヒントを与えた。しかし、彼は苛立ったように反論してきた。やや侮蔑的な表現もあり、私もカチンときて、強い言葉で反論した。ここから先は、売り言葉に買い言葉である。次第に熱くなって、口喧嘩の様相を呈し始めた頃、彼は、投稿ジャンルにあるまじき嘘を並べ立てた、小説投稿サイトの秩序を乱す愉快犯として、私を大いに弾劾した。私は、しめしめと思っていた。

 投稿ジャンルは、「エッセイ・ノンフィクション」である。

 私は、ここに、八百字の代わりに、作家として栄華を極めた噓八百を書き連ねたのだ。そして、そのすべてが嘘であると暗に示すことで、私自身の現状が全くの真逆であることを皮肉る自己批判エッセイになる仕掛けを施した。しかも、八百字に満たないことも、噓八百のうちであると解釈すれば、あたかも真実の私は八百字に到達しているかのような錯覚さえ覚えることができる。締め切りまでの三分間で、発案し書き切ったとは到底思えないような、天才的奸計。こうして見事に嵌った愚か者がいることも、本作が優秀な作品であることの証左である。私は、嬉々としてそのように述べた。そして、待てど暮らせど、更なる反論はない。どうやら負けを認めたらしい。つまり、私の勝利である。はっはっは!

 ……敵を打ち負かした歓喜が薄れるにつれ、次第に恥ずかしさが募ってきた。八百字の代わり嘘八百を並べたのだ、などと得意げに披露した己が何度も蘇ってくるが、冷静になってみると、ただのオヤジギャグに過ぎない。これを天才と持て囃していたと思うと顔から火が出るようだ。三分でできるカップラーメンが、ミシュランの名店に敵う訳がない。ピカソを気取るなど、あのときの私はどうかしていた。

 次いで、「エッセイ・ノンフィクション」に噓八百を書くことはポリシーに違反するような気もしてきた。しかし、他に適当なジャンルがあるようにも思えないし、このような生活を夢見ていたことは確かなので、厳密には嘘でもない。紹介文で、過去の妄想であるかのように匂わせてお茶を濁すことにした。

 いつまでも悶えてもいられない。いよいよ仕事に戻ろうかというとき、またしても小説投稿サイトから通知が来た。悪い予感がしたが、確かめないわけにもいかない。覚悟を決めて確認すると、なんと星がついたらしい。これに悪い意味などあろうはずもない。喜び勇んで見に行くと、確かに一つ星がついていた。星をくれたのは、口喧嘩をしていた彼だった。私の醜態に閉口しただけかと思いきや、正しく勝ち星であったらしい。有終の美である。レビューもあり、次回への期待が書かれていた。

 次回とは何かと思えば、なんと、お題に沿った八百字以上の短編を募集するキャンペーンの第2回が始まっていた。次の締め切りは、またしても四日後の午前十一時五十九分である。

 私は悟った。どこの世界も同じなのだと。

 このキャンペーンがいつまであるのかは、分からない。調べれば、直ぐに分かることなのかもしれない。だが、そんなことはどうでもよい。何かを始めるということは、結局、終わりなき闘争に身を投じるということなのだ。

 私は、マイページに戻り、作品一覧を見た。

 そこには、己をべて、顔から火を出し、ようやく灯った一つ星があった。それは、喧嘩の後の捨て台詞、いつ消えるとも知れない哀れな星だ。

 それを眺めているうちに、第2回にも参加することを決めていた。その次は分からない。しかし、あるならきっと参加するだろう。私は、既に身を投じているのだ。

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