黒髪心中

いいの すけこ

永遠の三分

 私には三分以内にやらなければならないことがあった。

「あと三分で、列車が来るわ」

 夜風に黒髪が舞った。織子おりこの髪は闇と同じ色をしている。それでも長い髪は絹の織物のように艶めいて、風になびいていた。

「付き合わせてしまってごめんなさいね、姫子ひめこ

「私は構わないわ。むしろ声をかけてもらって光栄よ」

 織子のそれとは違い、跳ね回るくせっ毛を片手で押さえつけながら私は言った。

「家出の手伝いなんて、姫子まで不良娘と言われてしまうかもしれないわ」

「織子と纏めて不良と呼ばれるなら、それも良いでしょう」

 背後の木造駅舎が、吹きすさぶ木枯らしにぎしぎしと鳴る。

 優しい駅長さんは、待合室で達磨ストーブにでも当たっていれば良いと言ってくれた。

 けれどあと三分で列車が来るから、待合室を出てホームで列車を待つことにしたのだ。


「居残りで遅くなるけれど、姫子と一緒よと言ってあるの。そうしたら家の者も、あっさり納得したわ」

 私は腕に巻いた時計を確認した。まだ大して遅い時間でもないのに、冬の日暮れは早い。

 列車の到着まで、二分を切った。

「だけど後で、姫子が怒られてしまうのかしら」

 織子が俯く。織子は校則の三つ編みを解いていて、流したままの髪が横顔に垂れ下がった。黒髪は夜の帳のように、織子の表情を隠す。

「私のせいで誰かが怒られると思うと、やっぱり怖いわ」

「私、織子のためならどんなに怒られたって構わないの」

 だから顔を上げて。

 その憂いた表情は、私を心配してくれているの?

 それとも自由への不安?

 それとも、それとも。

「織子のためなら、どこまでも遠くへ行って構わない」

 秒針が刻一刻、時を刻む。

 もうすぐ列車が来る。

 ねえ織子、私、貴女と二人列車に飛び乗って、何もかも捨てる覚悟だってあるのよ。

「ありがとう」

 織子が淡く微笑む。


「でも大丈夫」

 ホームを照らす電灯が、ばちんと音を立てた。

 光に近づきすぎた蛾が羽根を焼かれて、墜落していく。

「私を東京で、待っていてくれる人がいるの」

 織子は学生鞄と一緒に、大きな鞄を持ち直す。

「それは……男の方?」

 織子ははにかんだ。あまりにも可愛らしい仕草だった。

「小さい頃、よく遊んでいた幼馴染なの。高等学校へ上がる前に東京へ引っ越してしまったのだけど、ずうっと文通をしていたわ」

 高等学校に上がる前。

 私と出逢う前の織子。

「卒業後すぐに縁談があると打ち明けたら、東京へ逃げておいでと言ってくれたの。私、とても嬉しかった」

 線路の先に、列車の明かりが見えた。

 列車はもうすぐにでもホームへ滑り込む。

 私と織子の、最後の三分間が終わろうとしていた。


「落ち着いたら連絡するから、姫子も東京へいらっしゃいな。彼を紹介するわ」

 織子の細い手が、私の手を握る。

 白い手の甲に浮かぶ静脈に、織子が生身の人間であることを実感する。

 その手はもう離れてしまう。人のものになってしまう。

「姫子は永遠に、私の一番のお友達」

 うっすら涙を浮かべて、織子は手を離した。

 地面に置いた鞄を持ち上げて、織子は私に背を向ける。

 三分が過ぎて、列車が織子を乗せる前に。

 私は織子を、私だけのものにしなければならない。

「織子」

 列車の音に紛れるほどの小さな声で、私は織子の名前を呼ぶ。

 聞こえなくていい。振り向かなくていい。

「好きよ」

 黒髪の流れる小さな背中を押す。

 ホームに入ってきた列車が、けたたましく警笛を鳴らした。











  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

黒髪心中 いいの すけこ @sukeko

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ